レイフ・ギャレット(Leif Garrett/出生名:Leif Per Nervik/1961年11月8日~)は、

アメリカ合衆国の俳優、歌手。

 

 

 

1961年11月8日、レイフ・ギャレットことレイフ・パー・ネルヴィクは、スタントマン兼俳優でカメラ・オペレーターでもあるリック・ネルヴィクと女優兼衣裳デザイナーのキャロリン・ステラーの間に、アメリカ合衆国カリフォルニア州ハリウッドで生まれた。

5歳の時、父親の暴力が原因で両親は離婚し、母親に引き取られた。

同じく5歳の時から、妹のドーン・リン(Dawn Lyn Nervik/1963年1月11日~)とともに子役として活動を開始、エンターテインメントのキャリアをスタートした。

 

1973年、主人公の息子役で出演した『ウォーキング・トール』で注目される。

 

1975年、CBSのテレビドラマシリーズ『スリー・フォー・ザ・ロード』(Three for the Road)で主人公の息子役を演じたことで、視聴率の低い番組ではあったものの、少女たちからギャレット宛にファンレターが殺到。これがアイドルとなるきっかけとなった。

 

15歳で高校を卒業。

 

1976年、ギャレットの人気に音楽業界が注目し、男性アイドル歌手として当時人気絶頂だったショーン・キャシディのプロデューサーだったマイケル・ロイドと契約。

同年後半、アトランティック・レコードと5枚のアルバムの契約書にサインした。

 

 

1977年初頭、シングル"Come Back When You Grow Up"でデビュー、さらにアルバムのレコーディングを行った。

 

7月22日、自身の名を冠した1stアルバム『Leif Garrett』をリリース、米誌『ビルボード』の「Billboard Top LPs & Tape」チャート(現「Billboard 200」/以下「全米」)で37位、オーストラリアでは「Kent Music Report」チャートで週間最高2位、同年間チャートで19位のヒットとなった。
8月、ビーチ・ボーイズの“サーフィンUSA”(Surfin' U.S.A. )のカヴァーをアルバムからリカット、「Billboard Hot 100」(以下「全米」)で20位、オーストラリア(以下「豪州」)で2位、西ドイツ(以下「西独」)で6位、スイスで4位のヒット。これを皮切りにコンスタントに全米チャート入りを果たすようになった。とりわけ西ヨーロッパとオーストラリアで人気が沸騰した。

 

同年、"Runaround Sue"をリリース、全米13位・豪州8位・西独19位。

 

 

1978年、1syアルバムからのシングル"Put Your Head on My Shoulder"が全米58位・豪州24位、

"The Wanderer"が全米49位を記録。

 

 

同年半ば、スコッティ・ブラザーズ・レコード(Scotti Brothers Records)と契約し、2ndアルバムをレコーディング。

9月2日、2ndアルバム『Feel The Need』をリリース、全米34位・豪州8位を記録した。

 

10月、アルバムから最初のシングル“ダンスに夢中”(I Was Made for Dancin’)をリリース(英国でのリリースは翌1979年1月)、全米10位・豪州2位・西独10位・全英4位を記録、さらにアイルランド5位、ニュージーランド3位、カナダ12位と世界的なヒットとなった。日本ではギャレット本人が出演したナビスコ「アイダホポテトスティック」のCMに使用されたことから大ヒットし、オリコンの総合チャートで最高位12位、1979年のオリコン年間チャートで31位、35万7千枚の売り上げを記録。さらにオリコン洋楽シングルチャートでは1979年4月2日付から通算14週1位を獲得、1979年の年間チャート洋楽部門にて1位を記録した。

 

 

 

同年、西ドイツで芸能雑誌がその年に一番活躍した歌手に贈る賞の金賞を受賞。

 

 

1979年4月3日には自身の冠ショー『Leif』がCBSで放映され、ブルック・シールズや、マイケル・ロイド・プロデュースでアメリカ進出を遂げたばかりのピンク・レディーなどがゲスト出演した。その模様は日本でも放送された。

同年、アルバム『Feel The Need』から"Sheila"をリカット、豪州63位に終わった。

 

続いてタイトルナンバー“Feel The Need”をシングルカット、全米57位・豪州97位・西独43位・全英38位を記録した。B面曲“ニューヨーク・シティ・ナイツ”(New York City Nights)は翌1980年に田原俊彦が“哀愁でいと”(日本語詞:小林和子/作曲:Andrew Joseph DiTaranto ・ Guy Hemric/編曲:飛澤宏元)のタイトルでカヴァーして歌手デビュー、大ヒットした。これを受けて日本では、AB面を逆にして再びプロモーションされた。

 

 

さらに、『Feel The Need』からの最後のシングル"When I Think of You"が全米78位になった。

 

11月3日、世界的にアイドルとして人気絶頂の最中、麻薬吸引と飲酒が原因で交通事故を起こす。これがきっかけで人気は陰りを見せた。

同年、3rdアルバム『Same Goes for You』をリリース、全米129位で止まった。アルバムからのシングルは、"悲しみのダイアル”(Memorize Your Number)が全米60位、"I Was Looking for Someone to Love"が全米78位となった。

 

 

 


この頃、ギャレットは露骨にティーン・アイドルのイメージを嫌い始め、その反動か、フィアンセのニコレット・シェリダンとのセミヌード写真を公開。

こうしたことなども相まって、アイドルとしての人気がさらに下降、これに比例して歌手としての活動もさらに停滞した。

 

 

1980年、4thアルバム『Can't Explain』をリリースするも、シングル"You Had to Go and Change on Me"ともども、チャートとは無縁だった。

 

同年、日本でA面に“ニューヨーク・シティ・ナイツ”を収録、B面に"ダンスに夢中"をカップリングして再発し、オリコン56位。

 

 

1981年、都倉俊一とジョン・ダンドレアによるプロデュースのアルバム『My Movie Of You』をリリース、全米アルバムチャートに復帰したが、185位に終わった。

これを最後にレコードのリリースは長らくなくなった。

 

 

1986年、L・ロン・ハバード(L Ron Hubbard)のアルバム『The Road to Freedom』に客演、タイトルトラックにバックヴォーカルを提供し、“The Way to Happiness”ではゲイル・モランやニッキー・ホプキンスらとともに参加、リードヴォーカルを担当した。

 

 

レコードのリリースが難しくなったギャレットは俳優業に戻り、1983年の映画『アウトサイダー』(The Outsiders)、1990年の映画『The Spirit of '76』(日本未公開)などに出演した。しかし、これら以外では役や作品の質に恵まれなかった。

 

その後はヘロイン中毒に苦しみ、1990年代には映画、テレビドラマに出演する機会が少なくなった。


 

1990年代後半以降は1970年代を回顧する番組への出演や司会、過去に人気があった有名人が出演するリアリティ番組に出演しながらも、徐々に音楽活動に復帰。

 

 

1998年、ベストアルバム『The Leif Garrett Collection』をRock 'n Roll Recordsからリリース。

 

 

1999年、クリストファー・ウェイド・ダマーストとマイケル・スコット(ディストーション、デッドタイムストーリー)とバンド「ゴッドスピード」(Godspeed)を結成。彼らはギャレット自身のレーベルTongue and Groove Recordsで3曲のEPをレコーディングし、『Rosie O'Donnell Show』でデビューしたが、数回の公演で解散した。

 

 

2000年にはオルタナティブ・ロックバンド「メルヴィンズ」(Melvins)のアルバム『The Crybaby』の中でニルヴァーナの“Smells Like Teen Spirit”のカヴァーでゲスト・ヴォーカルを務めている。

 

また、他方では、クリスチャン・ロックや1960年代から1970年代のアイドルを集めたフェスティバルといったようなライブ出演やアルバム制作を行っている。

 

 

2003年、アルバム『F8』をリリース。

 

 

2006年の大晦日、ギャレットはバリー・ウィリアムズが主催するレトロなアクト「Original Idols Live!」でラスベガスのステージに初登場した。ショーには、ベイ・シティ・ローラーズやカウシルズも登場した。

 

 

2007年11月、アルバム『Three Sides of... 』をCleopatra Recordsからリリース。これは、当時のバンド「F8」と、1990年代のバンドGodspeedとで録音した曲に、いくつかの新しい楽曲を加えて構成されている。

 

 

 

 

2010年代初頭、ギャレットはパンクロック・アーティストでソングライターのクレイグ・エルス(Craig Else)とのコラボレーションを開始。ギャレットはインターネット上でエルスと共作した2つのシングル、2010年の“Everything”と、2012年の“HelpYou、Make You”をリリースした。二人はまた、ニール・ヤングの「老人」のカヴァーをレコーディングした。

 

 

 

2019年に自伝『Idol Truth』を刊行した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「レイフ・ギャレット」「Leif Garrett」