大江 慎也(おおえ しんや/1958年9月30日~)は、日本のミュージシャン。

1980年代に活動したバンド「ルースターズ」の初代リーダー兼ヴォーカリストとして知られる。

 

 

 

1958年9月30日、公務員の父と小学校教諭の母の下、出生名「上野 慎也」として福岡県北九州市八幡西区黒崎の八幡厚生年金病院で生まれ、同市若松区で育つ。

両親のことを「お父様」「お母様」と呼ぶようしつけられて育った慎也は、幼稚園の時にはヴァイオリンを習い、3歳の時には英語のアルファベットを覚えて言えるようになっていた。

9歳の時、父の愛人問題が原因で両親が離婚したため母方の籍に入り、大江姓となる。

以後は教員として働く母に育てられた。小学校時代は学業やスポーツや図画工作に秀でた人気者だったが、両親の離婚で苗字が変わったことがきっかけでいじめを受けるようになる。

 

緑ヶ丘幼稚園、北九州市立二島小学校を経て、熊本にあるカトリック系中高一貫校の熊本マリスト学園中等部に進む。同校では級長と副級長を務めたが、複数の先輩から同性愛の相手として言い寄られ、やがて寮生活の厳しさに疲れるとともに勉強漬けの生活に嫌気がさし、1年で自主退学、北九州市立向洋中学校に転入学する。この頃から、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、ドアーズ、T・レックスなどを聴くようになる。

また、楽器を持ち、ジミ・ヘンドリックスの“リトル・ウィング”をコピーして楽しんでいた。

 

中学卒業後は福岡県下有数の進学校である福岡県立東筑高等学校に進む。

1975年頃、中学の同級生で組んだアマチュアバンド「薔薇族」にギタリストとして参加。後にルースターズでドラムを担当する池端潤二は薔薇族の頃からのメンバーだった。

高校時代は勉強しなかったにもかかわらず最初は成績優秀で、「IQが試験の測定値のトップレベルを遥かに上回っている」と教師から告げられたこともあり、九州大学・広島大学・東京大学の受験を考えていた。しかしその後、化粧して学校へ行ったり、突然早退したり、中退を希望して1ヶ月休学したりするようになり、最終的には「大学を卒業しても結局普通の仕事に就くならあまり意味がない」と考え、大学進学をやめて音楽の道に進む。

 

1977年、薔薇族はメンバーの就職などにより解散、大江は地元の松田楽器店にてバイトをしながらバンドをいくつか経験するが長続きせず。

この頃、シーナ&ザ・ロケッツがデビューするに当り鮎川誠からベーシストとして誘われたが、ヴォーカル志向だった大江はこの話を断ったという。

 

 

1979年1月、元・薔薇族の大江慎也(G)と池畑潤二(Ds)の二人と、元・自慰獣及びTHE CRAMPの花田裕之(G)、井上富雄(B)、南浩二(Vo)の三人が加わり、北九州にて「人間クラブ」を結成。ただし井上は自身がリーダーを務めていた掛け持ちバンドに専念するため程なくして脱退、ベースは元自慰獣のギタリスト本山浩幸や大江が担当し、 L-MOTIONで大江がベースを弾いていたという。

同年7月、ヤマハ主催のロック・コンテスト第6回「L-MOTION」でグランプリを受賞。なお、最優秀グランプリを取ったバンドの一つが、現・俳優の陣内孝則が在籍したザ・ロッカーズだった。

コンテストでの入賞を機にメジャー・デビューを期待された人間クラブだったが、南が突然脱退したことでデビューすることなく解散した。なお、出回っている人間クラブの音源はブートレグというべきもののみである。

 

 

 

 

11月、南が抜けた後に残った人間クラブの元メンバー、大江慎也(Vo,G)、花田裕之(G)、井上富雄(B)、池畑潤二(Ds)で「ザ・ルースターズ」を結成。当初の英語表記は「The Roosters」だった。バンド名はウィリー・ディクスン作のブルーズの名曲"Little Red Rooster"に因む。

 

 

1980年11月25日、シングル“ロージー/恋をしようよ”(ともに作詞・曲:大江慎也、以下特記無い限り同)と1stアルバム『THE ROOSTERS』を同時発売し日本コロムビアからデビュー。当初はローリング・ストーンズ、チャック・ベリー等のカヴァーを中心としながら、R&B、ブルーズロック、パンク・ロックを基調としたハイテンションなサウンドを展開していた。“C'mon Everybody”はエディ・コクランの、“Mona (I Need You Baby)”(作詞・曲:Ellas Modaniels)はボ・ディドリーの代表曲(をカヴァーしたローリング・ストーンズのバージョン)のカヴァーで、人間クラブ時代の楽曲“Hurry Up”も収録している。

 

 

 

 

 

 

1981年、シングル“どうしようもない恋の唄/ヘイ・ガール”を1stアルバムからリカット。“どうしようもない恋の唄”は人間クラブ時代の楽曲で、南浩二が作詞、大江が作曲した。

 

6月25日、2ndアルバム『THE ROOSTERS a-GOGO』を発売。収録曲“ONE MORE KISS”は“DISSATISFACTION”とのカップリングで、“GIRL FRIEND”はシングル用にバージョンを変えて“WIPE OUT〜TELSTAR”と組み合わせ、それぞれシングル発売された。また、“BACILLUS CAPSULE”(作詞:柴山俊之/作曲:鮎川誠)はサンハウスの未発表曲で、鮎川誠が“ビールス・カプセル”のタイトルでソロアルバムに収録している。

 

 

 

 

11月25日、初めて全曲オリジナルで構成された3rdアルバム『INSANE』を発売。1曲目“Let's Rock (Dan Dan) ”は全篇英語詞だが、日本語詞バージョンがシングル発売された。

 

 

 

 

1982年3月13日、石井聰亙監督の映画『爆裂都市 BURST CITY』が公開され、俳優デビュー。劇中の架空のバンドであるバトル・ロッカーズのギタリスト、フライング風戸役として出演した。

しかしこの頃から大江が精神的にダウンし始める。

10月、“ニュールンベルグでささやいて”を録音し終えた後、ジャケット撮影をしたスタジオの壁に笑みを浮かべつつ頭を打ちつけるなどの奇行が見られるようになる。

これを心配した母に促されて精神科を受診、神経衰弱により大江は初めて精神科に入院。

ライヴはキャンセルを余儀なくされ、1983年6月までの半年近くにわたり音楽活動を休止した。

11月21日、12インチ45回転シングル“ニュールンベルグでささやいて”(作詞:大江慎也・中原聡子/曲:大江慎也)を発売。

 

 

 

1983年6月、下山淳(G)、安藤広一(Key)が加入。時期を同じくしてドラムの池畑潤二が脱退し、代わりに灘友正幸が加入。

7月1日、12インチ45回転シングル“C.M.C.”を発売。

 

 

10月21日、4thアルバム『DIS』をリリース。この頃のサウンドは当時日本でも人気のあったU2やエコー&ザ・バニーメンのようなニュー・ウェイヴの色が強くなり、ディレイギターやキーボードの多用など、初期の骨太なロックとは異なるサウンドを奏で出す。安藤は、P-MODELのキーボーディストだった三浦俊一に、DX7にテープ・エコーを通すことで音色を柔らかくする手法を教えるなど、当時のP-MODELのサウンドにも影響を与えている。

 

 

 

 

1984年1月、ベースの井上富雄が脱退し、柞山一彦が加入。

4月21日、アルバム『GOOD DREAMS』を発売。1982年の“ニュールンベルグでささやいて”及び1983年の“C.M.C.”の2枚の12インチ45回転ミニアルバム収録曲のリミックスに、新曲の

“Hard Rain”、“All Alone”を加えた編集盤。“All Alone”はサンハウスの“ふっと一息”のカヴァーである。このアルバムから英語表記を「The Roosterz」とする。この表記の変更は大江の突発的な思いつきによるもので、「別にたいした意味はなかった」「なんだか有機質から無機質になったなって今にしてみると思うけど」と大江は語る。

 

 

12月21日、アルバム『Φ PHY』 を発売、大江在籍時にリリースされた最後の作品となる。大江の精神は不調をきたし、ライヴやレコーディングで歌えなくなることが多く、バンドは不安定な状態にあった。それにも関わらず、アルバムは幻想的なサウンドと歌詞で、皮肉なことに、アルバムの売り上げは過去最高だったという。

 

 

 

 

1985年3月、大江が再び精神状態を悪化させ入院。また安藤広一も脱退し、バンドは解散かと思われた。

7月21日発売のシングル“SOS”(作詞:柴山俊之/作曲:花田裕之)から大江に代わり、花田裕之が正式にメイン・ヴォーカルを取ることになり、ルースターズは活動を継続。大江はその後、解散までバンドに復帰する事はなかった。

 

 

1986年4月、映画『爆裂都市』のサントラを作るために結成されたユニット「1984」のライヴに

大江がゲスト参加。1984はデビュー以来ルースターズをプロデュースしていた柏木省三が組んだユニットで、初期にはルースターズのメンバーや、後にルースターズのキーボーディストとなる安藤広一等が参加していた。

同年、1984のアルバム『Birth Of Gel』にも大江はゲスト参加。

大江の復帰に伴い、1984は大江のバックバンドを務めるようになるが、この時には柏木を除き、ラインナップはルースターズのメンバーから変わっていた。さらに柏木は大江のソロワークでもプロデューサーを務めるが、徐々にオーバープロデュースが露になっていく。

 

 

1987年1月、1stソロ・アルバム『ROOKIE TONITE』をリリースしてソロデビュー。

 

8月、2ndソロ・アルバム『HUMAN BEING』を発売。

 

この頃、結婚(後に離婚)。アルバイトで家庭教師や皿洗いをする。その他、運送会社の仕分けや中華料理店の調理の手伝い、便所掃除、新興住宅地の便槽掘りなどをしたこともある。

 

 

1988年4月、ジョニー・サンダースと共演したシングル“GREAT BIG KISS”を「大江慎也 with ジョニーサンダース」名義で発売。

 

6月、3rdソロ・アルバム『BLOOD』を発売。

7月22日、渋谷公会堂で行われたライヴをもってTHE ROOSTERZは解散。このライヴのアンコールで大江は、井上、池畑とともにゲストで参加し、初期の曲“C.M.C”を演奏した。

 

 

1989年4月25日、4thソロアルバム『PECULIAR』を発売。

 

 

 

1990年、「大江慎也+ONES」を結成。

5月25日、アルバム『WILL POWER』を「大江慎也,ONES」名義で発売。

しかしこれ以降、大江の表立った活動が途絶える。

 

 

1999年、thee michelle gun elephant、東京スカパラダイスオーケストラ、POTSHOTなどが参加したトリビュート・アルバム『RESPECTABLE ROOSTERS』が発売、オリコン・チャートで42位を記録した。

 

 

2000年、福岡県遠賀郡岡垣町の母の家で暮らしていた時、激しい下血により救急車で病院に運ばれ、重度の潰瘍性大腸炎との診断を受け、大腸を全摘出され、人工肛門を形成する。これにより通常のトイレでは排便困難となり、身体障害者手帳の交付を受け、人工肛門を何度も買い、2年間に3回の入院と手術を繰り返し、数百万円を費やした。

 

 

2003年、ルースターズ時代のメンバーにより構成されたバンド「ROCK'N'ROLL GYPSIES」へ数曲作詞で参加し、大江は音楽活動を再開する。

ROCK'N'ROLL GYPSIESのレコ発ライヴではアンコールに飛び入り参加した。

同年10月には新たなバンド「UN」を結成する。メンバーは、大江慎也(Vo/G)、元ロッカーズの鶴川仁美(G)、小串謙一(B)、元サンハウスの坂田“鬼平”紳一(Ds)。

 

 

2004年、大江の活動再開を機に周囲のルースターズ再結成への期待が高まる中、ついにルースターズとして改めてラストライヴを行うことが発表される。

7月に行われたフジ・ロック・フェスティバルのグリーン・ステージでのライヴをもって、正式にルースターズは解散。

10月20日、UNのアルバム『KNEW BUT DID NOT KNOW』を発表。ライヴを数本行うも、この年をもってUNは解散した。

 


2006年3月8日、大江は活動再開後初のソロアルバム『THE GREATEST MUSIC』を発表。レコーディングには、花田裕之・井上富雄・池畑潤二というルースターズ時代の面々が参加した。

 

発表直後には、発売記念インストアイベントライヴを数本行い、サポートギタリストとして元thee michelle gun elephantのアベフトシが参加した。

 

 

 

2007年、扶桑社の文芸誌『en-taxi』に短篇小説「右を下にして眠ると」(18号)、「気違いピエロ」(19号)、「STORIED」(20号)を発表。

 

 

2009年、ルースターズ名義で、福岡のホールでライヴを行う。この模様は『IN THE MOTION』名でDVD化し発表された。

これ以降、正式な再結成声明はないものの、ルースターズ名義で何度か不定期に活動。

 

 

2010年9月11日、人間クラブでヴォーカルを務めた南浩二が脳出血のため49歳で死去。

 

 

2013年、ルースターズ名義で、福岡のホールでライヴを行う。この模様は『eating house』名でDVD化し発売された。

同年、京都のライヴハウス「磔磔」にてソロライヴを行う。

10月、「磔磔」にてルースターズ名義でも2日間ライヴを行う。この模様は『All These Blues』と名付けられ、2枚組DVDで発表された。

 

 

2014年4月、「磔磔」でソロライヴ。

7月、名古屋・栄のライヴハウス「名古屋 CLUB QUATTRO」にてルースターズ名義でのライヴを催行。北海道のライブフェス「Join Alive」でもルースターズ名義でのライヴを行った。

7月末、フジロックのグリーンステージで、ルースターズ名義でのライヴを行う。

9月29日、ボックス・セット『Virus Security』を発売、ほぼすべてのスタジオ音源に加え、ライヴ音源や映像作品も網羅した、CD27枚、DVD6枚のセット。

 

 

2015年1月、『フジテレビNEXT』で前年のフジロックでのライヴの模様が1時間特別番組として放映された。

6月22日、『ROOKIE TONITE』などの大江のソロ・アルバムがCOLUMBIA/TRIADより再発。

 

 

2018年7月25日、ルースターズのオリジナル・アルバム11作品がリマスター&初UHQCD化されて発売。

 

 

2021年10月23日、福岡「public bar Bassic.」にて

大江慎也 ソロライヴ 「 Diary of Oct. 23rd 2021 」

を会場観覧限定20名+有料生配信ライヴにて実施予定。

会場18:30 開演19:00 、

会場観覧プレミアムチケット5,000yen+1drink 、配信チケット3,300yenで、チケット販売中。

 【チケット購入URL】 

チケットは10/25の23:59まで購入可能。ライヴ終了後48時間以内は何度でも視聴可能。

 

 


 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「大江慎也」「ルースターズ」