ジョーイ・テンペスト(Joey Tempest/出生名:Rolf Magnus Joakim Larsson/1963年8月19日~)は、スウェーデン出身のシンガーソングライター、ミュージシャン。

 

 

 

1963年8月19日、ロルフ・マグナス・ジョアキム・ラーソンは、スウェーデンの首都ストックホルムで生まれ、郊外のウップランズ・ヴェスビー(Upplands Väsby)で育った。

少年期の彼にとって「シン・リジィ」や「レッド・ツェッペリン」は最大のアイドルであった。

10代の頃は「メイド・イン・ホンコン」や「ロクサーヌ」など、幾つかのバンドのメンバーとして活動。当時はリードヴォーカルに加えギターとベースを交互に担当していた。

 

 

1979年、後にヨーロッパとなる前身バンド「FORCE」を結成。ジョーイ・テンペスト(Vo)、同郷のジョン・ノーラム(G)、トニー・レノ(Ds)、ピーター・オルソン(B)というラインナップだった。

ジョーイ・テンペストという芸名は、過去に本人がウィリアム・シェイクスピアの詩『テンペスト』(The Tempest)から採ったと主張している。芸名を使用する理由は、北欧名は英語圏には難しいということもあるが、ジョーイの場合、自身の本名がばれる事を嫌がっていたようだ。

 

 

1982年、フォースはスウェーデンのバンドが4000余りも出場した同国最大のロックコンテストで優勝、さらにジョーイがベストヴォーカル、ジョン・ノーラムはベストギタリスト賞に選ばれる。

同コンテストでの優勝がきっかけでレコードとの契約を獲得、これを機にバンドは「ヨーロッパ」 (EUROPE)に改名した。

 

 

1983年、1stアルバム『幻想交響詩』 (EUROPE)でメジャーデビュー。日本での人気が先行し、北欧メタルの先駆者として世界のどこよりも先に人気に火がつく。アルバムからは"Seven Doors Hotel"がシングルカットされ、日本でヒットした。なお、日本盤は欧米盤とジャケットデザインが異なる。

 

 

 

1984年、2ndアルバム『明日への翼』(WINGS OF TOMORROW)をリリース。北欧メタルの地位を確固たるものにする。アルバムからは"Lyin' Eyes"、"Stormwind"、"Dreamer"、"Open Your Heart"がシングルカットされた。

 

 

 

 

 

この頃、トニー・レノが脱退、後任にイアン・ホーグランド (Ds)が参加、さらにキーボーディストのミック・ミカエリ (Key)が加入した。ミックの加入前、初期の2枚のアルバムではジョーイがキーボードを兼任していた。

同年、初来日。

 

 

1985年の終わりに、スウェーデン映画『ON THE LOOSE』のサウンドトラックを手がけた他、スウェーデンの支援事業であるSWEDISH METAL AIDにも“Give A Helping Hand”という曲を提供している。この曲のプロデュースは、後にヨーロッパに加入するキー・マルセロが担当した。

 

 

1986年2月、メインキーボード・リフをミックから借りたキーボードでジョーイが作曲したタイトルトラック“ファイナル・カウントダウン” (The Final Countdown)をアルバムからのファーストシングルとしてリリース、全英を始め25カ国のシングルチャートで1位を獲得、全米でも8位に入った。日本でもオリコン洋楽シングルチャートで1987年4月13日付の1位を獲得し、全世界累計売上780万枚を記録、EUROPEの名前は世界に知れ渡るようになる。

5月に3rdアルバム『ファイナル・カウントダウン』 (The Final Countdown) をリリース、全米8位・全英9位まで到達し、全世界累計1500万枚の売り上げを記録する大ヒットとなった。

同アルバムからのシングルは他に、全米30位・全英12位に到達した"Rock the Night"、ジョーイとミックとのジャムセッションを通じ共作し全米3位になった"Carrie"、"Cherokee"がリリースされた。また、 "Love Chaser"は,、オートバイのワールドGPのドキュメンタリー映画『プライド・ワン』の主題歌として、日本でのみシングル発売された。

 

 

 

 

アルバムとシングルがともに好調なセールスを記録する一方、音楽性のポップ化や、アイドル的なテレビ出演など音楽以外の仕事が増えるのに従い、疑問を感じたジョン・ノーラムが脱退。後任にキー・マルセロ(G)が迎えられた。

本アルバムの発売前からBon JoviはEUROPEのことをライバル視していたという。日本のある雑誌でインタビューを受けた際、「日本でのEUROPEの人気はどうなの?」と逆取材したというエピソードがある。

同年、ジョン・ノーラムの妹トーン・ノーラムのアルバム『One of a Kind』をプロデュースした。

 

 

1988年、4thアルバム『アウト・オブ・ディス・ワールド』(OUT OF THIS WORLD)をリリース。全米では最高19位、100万枚の売り上げを記録した。これによりABBA以来の2作連続で全米トップ20入りを果たしたスウェーデン出身の音楽グループとなった。全英でも12位に入った完成度の高いアルバムではあるが、音楽性のポップ化はさらに推進された。アルバムからのシングルは、全米31位・全英34位になった"Superstitious"を始め、"Open Your Heart"、"Let the Good Times Rock"、"More Than Meets the Eye"がリリースされた。

 

 

 

 

 

11月26日にインド・ムンバイからツアー開始。ムンバイで6万人を動員するなど話題を呼んだ。

12月、来日し、名古屋・東京・大阪・横浜の4都市6公演を行い、ツアーは成功裏に終わった。

 

 

1991年、5thアルバム『プリズナーズ・イン・パラダイス』(PRISONERS IN PARADISE)をリリース。前作のポップ路線とは逆にハードロック路線への回帰を図ったが、アメリカナイズされた初期の音源との相違と北欧的な叙情メロディは後退した。セールス的にも失敗に終わり、チャート同呼応も全英61位止まりだった。アルバムからは3枚がシングルリリースされたが、 "Prisoners in Paradise"がスウェーデンで8位、"I'll Cry for You"が全英28位、"Halfway to Heaven"が全英42位になったのみだった。こうした売り上げの不振もあり、当時契約していたエピック・レコーズとの契約も解除されてしまう。

 

 

 

 


1992年、ジョーイはジョン・ノーラムのアルバム『FACE THE TRUTH』収録の"We Will Be Strong"という曲で歌唱。ジョンがヨーロッパを離れて以来初めての共演となった。

 

同年、本体のヨーロッパが活動を停止。理由は度重なるツアーに疲れたバンドが休みを取ろうとしたことによるが、これがあまりにも長期にわたり、事実上の解散となる。

以降、ジョーイはソロ活動を行う。

 

 

1995年、1stソロアルバム『A Place to Call Home』を発売。アルバムからはタイトルトラック"A Place to Call Home"の他、"Under the Influence"、"We Come Alive"、"Don't Go Changin' on Me"がリカットされた。"Right to Respect"という曲でジョン・ノーラムをゲストに迎えた。また、本作を含めジョーイのソロアルバムではミック・ミカエリが共同で曲作りを行っている。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、2ndソロアルバム『Azalea Place』をリリース。"The Match"、"The One in the Glass"、"If I'd Only Known"の3曲がシングルカットされた。

 

 

 

 

 

1999年12月31日、スウェーデンで一回限りの再結成を行い、"The Final Countdown"、"Rock The Night"を演奏。そこで初めてジョン・ノーラム、キー・マルセロによるツインギターが実現した。"The Final Countdown"ではハモリのソロ、"Rock The Night"では、交互にギターソロを担当し、互いのスポットを分け合った。しかし正式な再結成声明が出されたわけではなかった。このライヴの時、再結成について皆で相談していたが、メンバーは全員ソロ活動の契約があったためすぐにというわけにはいかなかったが、以降も互いに電話で連絡を取っていた。時々ジョーイの家にも遊びに行って曲を作っていたこともあり、メンバーは皆やる気満々だった。特にイアン・ホーグランドは「早く再結成しようぜ!」と毎回のように電話で話していたようだ。

 

 

2002年、3作目にしてセルフタイトルとなったソロアルバム『Joey Tempest』をリリース。シングルカットは"Forgiven"のみとなった。

 

 

 

2003年、『ファイナル・カウントダウン』発売当時のメンバーでヨーロッパが再始動。

 

 

2004年、13年ぶりの6thアルバム『スタート・フロム・ザ・ダーク』(START FROM THE DARK )をリリース、従来とは違ったヘヴィな曲ばかりになった。「俺たちは昔の殻を破ってこのサウンドにたどり着いたんだ」と言っていた。ほぼすべての曲を半音下げて歌っている。シングルは、"Got to Have Faith"、"Hero"の2曲をリリースした。

 

 

 

以後、ジョーイはバンドの仕事に復帰し、ロンドンを拠点に活動している。

 

 

2005年、約13年ぶりの来日公演が実現。

 

 

2006年、7thアルバム『シークレット・ソサエティ』(SECRET SOCIETY)をリリース。"Always the Pretenders"がシングルカットされた。

 

 

 

2007年4月に 「SECRET SOCIETY」 ツアーで2年ぶりの来日公演。

 

 

2009年、8thアルバム『ラスト・ルック・アット・エデン』(LAST LOOK AT EDEN)をリリース。シングルは、"Last Look at Eden"、"New Love in Town"がリリースされた。

 

 

 

 

2012年、9thアルバム『バッグ・オブ・ボーンズ』(BAG OF BONES)をリリース。"Not Supposed to Sing the Blues"、"Firebox"がシングルカットされた。

 

 

 

 

2013年からデビュー30周年を大々的に企画。HR/HMフェス『LOUD PARK 13』出演にて来日。ライヴDVD『LIVE AT SWEDEN ROCK - 30TH ANNIVERSARY SHOW』をリリース。

 

 

2015年、来日公演を開催し、2ndアルバム『明日への翼』の完全再現ライブを実施。

同年、節目の10thアルバム『ウォー・オヴ・キングス』(WAR OF KINGS)をリリース。

 

 

2016年、かつての大ヒットアルバム『ファイナル・カウントダウン』のリリース30周年を記念した、完全再現ライヴツアーを企画。

 

 

2017年10月20日、11thアルバム『ウォーク・ジ・アース』(Walk the Earth)を発表。タイトルトラック "Walk the Earth"がシングル発売された。

 

 

 

2019年、1stアルバム『幻想交響詩』、再始動後の6thアルバム『スタート・フロム・ザ・ダーク』をフィーチャーした来日公演を開催。


 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジョーイ・テンペスト」「Joey Tempest」「ヨーロッパ (バンド)」