KEIKO(ケイコ/出生名:山田 桂子[やまだ けいこ]/1972年8月18日~)は、

日本の歌手、作詞家。別名:keiko、KCO、kco、K-C-O。

 

 

 

日本大分県臼杵市出身。実家は地元で有名な料亭「山田屋」。東京の系列店(ふぐ料理専門店)はミシュランガイドで三つ星の評価を得た。

大分県立臼杵商業高等学校在学中、文化祭のためにバンド「パリンセス・パリンセス」を結成、担当はヴォーカル。

高校卒業後、大阪に就職・転居。大阪大国町に住んでいた時は、ホテルニューオータニ大阪内にある日本料理店や、心斎橋のブティックなどに勤務していた。

 

1995年8月、小室哲哉が主宰するイベント「EUROGROOVE NIGHT」内で開催されたオーディションに出場し、小室の目に山田桂子が留まる。山田は「KEIKO」と改名して、同イベントにハーフのMCとしてANISSとともに参加していたマーク・パンサーと、ユニット「Orange」を結成。後に小室が参加、ユニット名は「globe」となった。 メンバーおよび担当は、小室哲哉(KOMURO TETSUYA/Vo,PLAYER)、KEIKO(Vo)、MARC PANTHER(Vo,RAPPER)。

 

 

1995年8月9日、1stシングル“Feel Like dance”でデビューし、いきなりオリコン初登場3位、95万枚の大ヒット。本人達のビジュアル露出は徹底して控え、PVは当初CG映像のみだった。

 

9月27日、2ndシングル“Joy to the love (globe)”発売、早くもオリコン初登場1位を記録。

 

11月1日、3rdシングル“SWEET PAIN”もオリコン初登場2位、90万枚を突破し、デビュー間もなくしてミリオンセラー寸前となるヒット作を連発。知名度が爆発的上昇に伴い、globeはテレビや音楽番組への出演を解禁。同時に、それまで素顔を見せなかった“Feel Like dance”のPVをglobeの歌唱映像に変更するなど、次第に露出度を増やしていくことになった。

 

 

1996年1月1日、JR東日本のCMソングに起用された4thシングル“DEPARTURES”を発売、売上230万枚の大ヒットとなる。同曲はオリコン年間シングルチャート2位、プラネットとCDTVの年間シングルチャート1位を記録。

 

3月27日、5thシングル“FREEDOM”発売、オリコン3位。

 

3月31日、1stアルバム『globe』はデビューから僅か7ヶ月の発売で売上400万枚以上、翌年4月、出荷枚数455万枚の当時の日本記録を達成する大ヒット。同年の第38回日本レコード大賞アルバム賞に選ばれた。その後、GLAYとB'zのベスト・アルバムがこの記録を後を追うように更新するが、当時のavex依田会長は「オリジナルで超えてみろ」と発言したとされる。

 

8月28日、6thシングル“Is this love”発売、PVはアメリカ合衆国アリゾナ州で撮影され、総額

1億円という当時としては破格の撮影費が投じられた。オリコン1位。

 

9月、ロードムービー撮影という名目のglobe初ツアー「Private Tour house of globe」敢行。“Is this love”のCD購入者から抽選で招待してコンサートが行われた。

10月30日、JR東海のCMソング第二弾として7thシングル“Can't Stop Fallin' in Love”を発売し、130万枚のミリオンセラーを記録。同曲で年末のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。 

 

 

1997年1月15日、8thシングル“FACE”も130枚を突破する自身3枚目のミリオンセラーとなる。

 

3月5日、アルバムから先行して9thシングル“FACES PLACES”発売、オリコン3位。

 

3月12日、2ndアルバム『FACES PLACES』を発売。オリコン1位。

 

その後、前代未聞の大阪、福岡、名古屋、東京4大ドームツアー「globe@4_domes」を敢行。

4月9日、10thシングル“Anytime smokin' cigarette”発売、オリコン6位。

 

5月、初の日本国外でのツアー「TK PAN-PACIFIC TOUR '97 IN TAIPEI」開催。安室奈美恵、TRFとともに台湾・台北を訪れ、テレビ出演やライヴを行った。

7月、小室とエイベックス(松浦勝人・千葉龍平ら)との関係に大きな亀裂が生じ、globeは活動停滞を余儀なくされる。

10月15日、TBS系ドラマ『青い鳥』主題歌に決まっていた11thシングル“Wanderin' Destiny”をリリースするがメディア出演は一切なく、紅白歌合戦にも不参加となった。オリコン2位。

 

11~12月、「TK GROOVE MUSEUM Kissing Asiaツアー」にマークと小室が参加するも、KEIKOは千葉龍平の所属事務所に在籍していたため不参加、globeの曲は華原朋美が歌唱した。

 

 

1998年3月31日、3rdアルバム『Love again』が発売初日に200万枚出荷、これによりデビュー後3枚のアルバムの総出荷枚数が2年で1000万枚を超え、デビューアルバムからの出荷枚数1000万枚超えの最速記録を更新。同時発売の12thシングル“Love again”はオリコン9位。

 

 

7〜8月、4都市7公演の全国ツアー「globe tour 1998 “Love again”」を催行した。

同年秋、「BRAND NEW globe 4 SINGLES」と題し、9月2日14th“wanna Be A Dreammaker”(オリコン1位)、9月23日15th“Sa Yo Na Ra”(オリコン1位)、9月30日16th“sweet heart”(オリコン1位)、10月7日17th“Perfume of love”(オリコン2位)と4連続シングルリリース。10月26日付オリコン週間シングルチャートで4曲が同時に上位10位以内にチャートインした。これはオリコンシングルチャート史上初の記録であり、「発売日が異なる再発でない同一アーティストによるシングルの複数チャートイン」として現在も記録保持。“wanna Be A Dreammaker”は1998年第40回日本レコード大賞を受賞した。また、4枚各々に封入されている応募券を送ると非売品シングルCD“winter comes around again”の応募者全員プレゼント企画を実施(同曲は2002年11月発売のベスト・アルバム『8 Years 〜Many Classic Moments〜』にTK mixで収録)。

 

 

 

 

12月9日、4thアルバム『Relation』発売、オリコン1位。

 

 

1999年2月、初のリミックスアルバムの公開レコーディングを実施。参加できたのは、アルバム『Relation』を購入し、応募10万通の中から選ばれた200組400人のみで、抽選倍率は約500倍だった。当日はタイトル未定で、後に『FIRST REPRODUCTS』として発売された。

3月25日、17thシングル“MISS YOUR BODY”発売、オリコン6位。

 

9月8日、18thシングル“still growin' up”発売、オリコン4位。

 

9月22日、「BEST+NEW ALBUM」というコンセプトの5thアルバム『CRUISE RECORD 1995-2000』発売日に大阪 Virgin Megastore 心斎橋店にて発売記念インストアイベントを実施。当日は「1day globe ジャック!!」と銘打ち、店内全てをglobeのCDで埋め尽くすという大胆な企画も決行、イベントに花を添えた。

 

12月15日、19thシングル“biting her nails”発売、オリコン13位。

 

 

2000年1月、globe初のライヴハウスコンサート敢行、参加できたのは、「Coca Cola TOUCH THE globe LIVE 2000! キャンペーン」の応募115万枚から選ばれた2,700人で倍率約100倍。

3月29日、globeメンバー3人をフィーチャーした(ソロ)プロジェクトglobe featuringが始動、メンバーそれぞれがシング恵右を同時発売した。KEIKOは「globe featuring KEIKO」としてシングル“on the way to YOU”をリリースし、2度のソロライヴツアーを行った。

 

6月14日、20thシングル“とにかく無性に…”発売、オリコン4位。

 

11月22日、21thシングル“DON'T LOOK BACK / like a prayer”発売、オリコン5位。

 

 

2001年3月28日、6thアルバム『outernet』発売、オリコン9位。22thシングル“garden”を同時発売、オリコン19位。

 

8月1日、23thシングル“try this shoot”発売、オリコン10位。

 

11月14日、24thシングル“Stop! In the Name of Love”発売、オリコン7位。

 

12月5日、25thシングル“genesis of next”発売、オリコン8位。

 

12月12日、「ayumi hamasaki & keiko」名義で“a song is born”(作詞・作曲:ayumi hamasaki・ Tetsuya Komuro)をavex traxよりリリース。9月11日に発生したアメリカ同時多発テロを受け、被害地の一刻も早い復興の願いをこめて立ち上げた「songnationプロジェクト」の一環として発表されたシングル曲。オリコン1位。

 

 

2002年2月6日、26thシングル“Many Classic Moments”発売、オリコン24位。同時発売で、7thアルバム『 Lights』 発売、オリコン 2位。

 

 

4月10日、27thシングル“OVER THE RAINBOW / INSPIRED FROM RED & BLUE”発売、オリコン10位。

 

4月17日、8thアルバム『 Lights2』発売、オリコン 2位。

 

9月、X JAPANのYOSHIKIが加入し、「globe extreme」としての活動が始まる。その日お台場にて開催されたavexの一大ライヴイベント「a-nation」のステージ上で突如発表されたこのセンセーショナルなニュースは、アジアを始めとした世界中に配信された。

11月22日、小室哲哉と結婚。

11月27日、YOSHIKIが参加した28thシングル“seize the light”発売、オリコン8位。これ以降、YOSHIKIが関わったオリジナル楽曲は発表されていない。

 

 

2003年3月26日、29thシングル“get it on now feat. KEIKO”発売、オリコン35位。

 

12月10日、ソロシングルとして『KCO』をリリース、映画「ミシェル・ヴァイヨン」日本イメージソング“HUMANRACE”等を収録。

 

 

2005年6月29日、30thシングル“Here I Am / New Album Playlist”発売、オリコン9位。

 

 8月10日、10thアルバム『globe2 pop/rock』発売。

 

 

2006年3月23日、11thアルバム『maniac』発売、オリコン12位。

5月31日に発売されたJKのシングル“晴れる道 〜宇宙人に合わせる顔がねぇ!〜”3曲目“この僕が”では「KCO」名義で、初めて自分が歌う曲以外での作詞を行い、作詞家としての活動も開始させた。

8月9日、globe初のミニアルバム『new deal』を発売後、事実上の活動休止状態に陥る。

10月、鮎川誠らとバンドTHE AURIS (SUPER) BANDを期間限定結成、ヴォーカルとして参加。デビュー曲“MY WAY”は10月24日、ナップスタージャパンから先行配信された。この企画はKEIKOにとって芸能界の音楽活動で初めての小室プロデュース以外での活動となった。

 

OBS感謝祭(開局55周年記念)に小室とともに出演、“I WANT YOU BACK”を熱唱した。

 

 

 2007年12月25日にファンクラブ「house of globe」によるイベントが行われ、1年4か月ぶりにメンバー3名が揃い、ファンの前で数曲を披露した。このイベントにおいて、今後のglobeとしての活動展望が明かされたが、翌年にファンクラブ「house of globe」が休止を発表。

 

 

2008年、KEIKO単独でユニバーサルミュージックへ移籍、ソロ名義を「KCO」に変え、本格的なソロプロジェクトが始動した。

3月12日、ソロシングル“春の雪”発売。表題曲の歌詞は小室とKCOの共作。オリコン30位。

 

6月より自身の公式サイトにて、ブログを開始。

6月16日、小室のブログの記事において、globeが活動再開を宣言。

8月31日、a-nationにシークレットアーティストとして出演し、globeが約2年ぶりに活動再開。

11月、当時の夫の小室哲哉が逮捕される。

 

 

2009年5月、小室が懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受ける。

 

 

2010年8月18日、ソロ名義を「K-C-O」に変え、avexのHP内に公式サイトを開設(現在閉鎖)。併せてTwitterアカウントも公表された。

4月30日、ソロアルバム『O-CRAZY LUV』を発売。

 

9月、ブログも再開。

 

 

2011年10月24日、自宅で、首の後部に激痛を訴え倒れた。夫の小室が救急車を呼び都内病院に緊急搬送。「クモ膜下出血」と診断され、25日未明から約5時間にわたる手術を受けた。

12月8日に退院、早期発見だったため脳に大きな損傷は無く、後遺症の一つである高次脳機能障害については現在のところ特に心配することは無く、当面は自宅療養と通院でリハビリをしていくと小室は説明したが、以降、療養に専念しているため、表舞台には登場していない。

 

2013年10月、事務所の分社によりエイベックス・ヴァンガードに所属する。

 

2015年8月9日、東京・新宿ステーションスクエアで行われたglobeのサプライズライヴで、肉声のメッセージが公開された。肉声の披露は、2011年10月の発病以来、3年10か月ぶり。

 

2017年6月11日、小室のTwitterにて、実家の料亭「山田屋」付近で撮影された療養中のKEIKO本人と小室、女の子の3ショット写真が公開された。

8月15日、小室のInstagramにて、療養中に録音されたKEIKO自身の歌声を公開した。

 

2018年1月19日、前日発売の『週刊文春』の報道をうけ小室が記者会見を行い、音楽活動からの引退を表明。小室は会見で女性との不倫関係を否定するとともに、妻であるKEIKOが高次脳機能障害を患っていることを公表。KEIKOは不倫を否定した小室の言葉を信じたいと連絡を待っていたが、会見の数日後に小室の代理人弁護士から母親に連絡があったという。

同年末、KEIKOは弁護士を立てて小室に対し別居中の生活費を求める調停を申し立てた。

 

2019年1月14日、自身のTwitterにて、しばらく停止していたTwitterの再開が発表された。

10月、小室との離婚調停中のKEIKOは復縁の可能性について完全否定。なお、この頃には順調に回復、歌や踊りの練習をしつつ時々大分の実家から上京している様子が伝えられた。

 

2020年4月、小室がKEIKOに対して離婚調停を申し立て、3月上旬から東京家裁で1回目の調停が始まっていることが報じられた。2018年末にKEIKO側が申し立てていた調停はKEIKO側の要求に近い額で決着しており、その後に離婚調停が始まったという。

 

2021年2月26日、小室との離婚が成立。

3月10日、中京テレビの情報報道番組『キャッチ!』の取材で「体は元気」、「今後ボイストレーニングをする予定」と報じられた。

 

 

 

 

 

 

 

(還暦l記事)

 

 

(参照)

Wikipedia「KEIKO」「globe」