ヴィニー・ヴィンセント(Vinnie Vincent/出生名:Vincent John Cusano/1952年8月6日~)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、ロックギタリスト、作曲家。

 

 

 

アメリカ合衆国コネチカット州ブリッジポート(Bridgeport)出身。

1970年代からフィリックス・キャバリエのアルバムに参加するなど、地道に活動。

1980年代初頭には「ウォーリアー」(WARRIOR)というロックバンドを結成、後期はジャーニーに在籍したこともあるロバート・フライシュマンも加入した。

 


1982年、キッス(KISS)の初代リードギタリストであるエース・フレーリーが事実上脱退。当時は契約の関係で公にされていなかったエースの離脱に際し、ヴィニーはアルバム『暗黒の神話』(Creatures of the Night)のレコーディングメンバーとして起用される。

時を同じくしてウォーリアーは解散。

10月28日に発売されたアルバム『暗黒の神話』の制作でヴィニーはリードギターをプレイするのみならず、"I Love It Loud"、"I Still Love You"、"Killer"の3曲で作曲にも参加、バンドに大きく貢献した。

 

 

 

彼のギタリストとしてのアピールの末、根負けしたジーン・シモンズとポール・スタンレーは、「エース・フレーリーの様に弾くこと」を条件にヴィニーをツアーメンバーとして起用。あくまでエースの代役だったヴィニーではあるが、古代エジプトのアンクをモチーフにしたメイクも施され、「Ankh Warrior」(古代エジプトの戦士)というキャラクターを与えられた。しかし、プレイスタイルに対する制約に不満を感じたヴィニーは、やがてツアーの中盤でエースの代役を放棄し、超絶な速弾きスタイルで自身本来のギタープレイを観客に見せつける。これにはジーンが黙っておらず彼を注意するも、ヴィニーは言うことを聞かなかった。事実、LAメタルブームが迫っていた当時、彼のギタープレイは観客から高評価を得た。そして、エースの脱退が正式発表され、ヴィニーはそのまま正式メンバーとなる。しかし、ヴィンセントは、法的にはバンドのメンバーではなかった。バンド内での役割や給料をめぐって争いがあったこともあり(バンドの総利益の何%かを要求したが、はっきりと拒否されたという報道もある)、ヴィンセントは正式な雇用契約を結んでいないためである。

 

 

1983年9月23日、キッスはヴィニー正式加入後初めての、そして結果的に正式メンバーとしては唯一となったアルバム『地獄の回想』(Lick It Up)を発表。本作の大半でヴィニーの名前がクレジットされており、作者にヴィニーが名を連ねる“Lick It Up”と“All Hell's Breakin' Loose”がシングルカットされた。

 

 

 

本アルバムの発表を機に、キッスは従来のトレードマークであったメイクを落とし、素顔での活動を開始。だが、ヴィニーはツアーでのギター・ソロが長すぎてメンバーから止められたことに反発するなど、目立ちたがり屋で協調性に欠ける性格を嫌ったジーンとポールからは解雇を言い渡される。しかし、後任が決まらないことやツアーの関係から、翌年のツアー終了までヴィニーはバンドに同行した。

 

 

1984年1月のLAフォーラム公演では、ポールの合図にもかかわらず、ヴィニーはソロを弾き続けた。ポールはヴィニーに見せつけられたと非難し、ヴィニーは他の3人のメンバーが自分のソロを台無しにしてパフォーマーとしての自分を抑えつけようとしていると主張した。彼らは、エリック・カーとジーン、そして平和を維持しようとしたローディ数人によって引き離された。

3月のカナダ・ケベックでのライヴでは、バンドがセットを締めくくる準備をしているときに、ヴィニーが即興でソロを始め、他のバンドメンバーは何もできずにステージに立っていた。ヴィニーはその直後に脱退、一説には2度目の解雇であったという。今回は永久的な解雇となった。

 

 

キッス脱退後、ヴィニーは旧友ロバート・フライシュマンとヘヴィメタルバンド「ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン」(Vinnie Vincent Invasion)を結成。メンバーはヴィニー(リードG)、ロバート(Vo)、ダナ・ストラム(B)、ボビー・ロック(Ds)。 当初ヴォーカリストはマーク・スローター(後にダナ・ストラムとともにスローターを結成)の予定だったが、マークがヴィニーに送ったオーディションテープに連絡先を書き忘れたため連絡が取れず、仕方なくロバートを起用した。

 

 

1986年8月2日、1stアルバム『ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン』(VINNIE VINCENT INVASION)を発表。キッス在籍時には思うように披露できなかった超絶な早弾きギタープレイを前面に押し出し、ヴィニーのギタープレイばかりが目立つ内容となっている。デモテープを聴いた所属レコード会社の社長からは、「凄い! まるで侵略(インヴェイジョン)しているようだ」と評され、新人としては好成績を記録した。キッスでもレコーディング候補だった収録曲“バック・オン・ザ・ストリート”(Back on the Street)は、後にジョン・ノーラムのアルバム『トータル・コントロール』でカヴァーされた他、エース・フレーリーのソロバンド「フレーリーズ・コメット」もライヴでカヴァーした。 

 

 

ツアー直前にロバートが脱退、後任には本来加入するはずだったマーク・スローターが加入。収録曲の“ボーイズ・アー・ゴナ・ロック”(BOYZ ARE GONNA ROCK)のPV撮影はロバート脱退後に行われたが、ロバートの音声はそのままで映像はマークという、前代未聞のチグハグ体制で撮影された。

 

 

1988年5月17日、2ndアルバム『オール・システムズ・ゴー』(ALL SYSTEMS GO)を発表。ギタープレイばかりが目立った前作の反省から、バンド全体のサウンドを重視して制作された。収録曲“ラヴ・キルズ”(Love Kills)は、映画『エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター 最後の反撃』のサウンドトラックに使用され、PVではヴィニーがフレディのコスプレをしている。アルバム発表後はアイアン・メイデンやアリス・クーパーの前座も務めたが、ヴィニーのあまりのワンマン振りに、彼を除くメンバーが全員脱退、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンは消滅した。 なお、2003年に両作品をデジパックに収めた限定版が1,000セット発売された他、同年にリマスタリングされて再発されている。その際に『オール・システムズ・ゴー』の収録曲“ラヴ・キルズ”は一部編集され、インスト曲はカットされている。

 

 

 

1989~1990年、かつての同僚ロバート・フライシュマン(Vo)や他のミュージシャン達と、ソロアルバム『ギターズ・フロム・ヘル』(GUITARS FROM HELL)を制作するが、契約先のエニグマ・レコードが倒産してしまったためにお蔵入りとなる。 更にヴィニーは破産してしまう。

 

 

1991年12月、ヴィニーの惨状を見かねたジーン・シモンズは、制作を開始したキッスのニュー・アルバム『リヴェンジ』にヴィニーを招聘、"Unholy"、"I Just Wanna"など数曲の作曲に参加し再びクレジットに名を刻んだが、当時のギタリストであるブルース・キューリックがヴィニーを快く思っていなかったこともあり、制作中に再び決裂した。

 

 

1992年5月19日、ヴィニーが作曲で参加した、KISSのアルバム『リヴェンジ』(Revenge)がリリース。

 

 

 

 

1996年、キッス・ファンのイベントである「キッス・エキスポ」に招待され、トリビュートバンドのメンバーとして参加、「Ankh Warrior」(古代エジプトの戦士)のメイクを復活させたが、メイクの権利はジーン・シモンズが握っているため、キッス側からクレームがつき、罰金を命じられた。

同時期、新作アルバム『ギターマゲドン』(GUITARMAGEDDON)の予告編として、シングル『THE EP』を自主制作で発売。本作は後に『ユーフォリア』(EUPHORIA)というタイトルで再発売されたが、結局『ギターマゲドン』の制作は中止に終わる。

 

他にもウォーリアー時代のデモや、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン時代のデモ、ライヴ、リハーサルなどの音源をまとめたボックスセット『アーカイブス』(ARCHIVES)も企画され、前金で予約販売が行われるも結局頓挫してしまい、客への返金も行っていない。なお、マスターテープは後にヴィニー本人がネットオークションに出品したという。この件以降、ヴィニー本人は人前に殆ど現れなくなる。

 

 

2002年、リハーサルやセッション、ライヴパフォーマンスを71分間の1トラックに収めたアルバム『アーカイブス・ヴォリューム1』(ARCHIVES VOLUME 1 SPEEDBALL JAMM)の発売になんとかこぎ着ける。上記の未発売に終わった作品を強引にひとつにまとめたもので、タイトルには第1弾とあるが続きはない。

 

 

2008年、ヴィニーのトリビュート・アルバム『KISS MY ANKH: A Tribute To Vinnie Vincent』が発表された。様々なミュージシャンが、キッス(ヴィニーがソングライティングに関わった曲のみ)やヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンの楽曲をカヴァーした。

 

 

2010年、突如彼自身が使用していたジャクソン製のシグネイチャーモデル・ギターが公式発売される。 

 

 

2011年5月22日に妻への暴行容疑で逮捕され、公の場に姿を見せた。なお、今後ミュージシャンとしての活動有無はこの当時不透明となっていた。

 

 

2018年1月、「アトランタKISS EXPO 2018」にゲストとして出席。2011年の逮捕以来久々に公の場へ姿を現した。インタビューを経た後、アコースティックギターを手にして、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン時代の楽曲“Back on the Street”を弾き語りで披露した。公の場でギターを演奏したのは実に20年ぶりとなった。

 

 

 

 

 

 

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(参照)

Wikipedia「ヴィニー・ヴィンセント」「Vinnie Vincent」「キッス」「KISS」