松本 伊代(まつもと いよ/本名:小園 伊代[こぞの いよ]/旧姓:松本/1965年6月21日~)は、日本の歌手、タレント。

 

 

 

東京都大田区出身。

実姉はダンスインストラクターで、1990年代前半頃には「松本伊代姉」(まつもと いよねえ)名義で歌手デビューも果たした。

“マイ・ラグジュアリー・ナイト”が1977年にヒットしたことで知られる歌手「しばたはつみ」(1952年4月11日~2010年3月27日/別名「はつみかんな」)は再従姉妹(はとこ)で、遠縁にあたる。

 

1980年、中学3年生の時、原宿でスカウトされる。

 

 

1981年、第5回長崎歌謡祭にてグランプリを受賞。

同年、TBS系テレビ番組『たのきん全力投球!』にて、田原俊彦の妹役オーディションに合格し芸能界デビュー。

10月21日、1stシングル“センチメンタル・ジャーニー”(作詞:湯川れい子/作曲:筒美京平/編曲:鷺巣詩郎)でアイドル歌手としてデビュー、オリコン週間ランキング(以下「オリコン」)9位を記録した。デビュー曲ながら、売り上げは34.3万枚と自身最大のヒットになり代表曲となった。

 

当時のキャッチコピーは「瞳そらすな僕の妹」「田原俊彦の妹」。

12月5日、1stアルバム『センチメンタルI・Y・O』を発売。

 

 

1982年2月5日、2ndシングル“ラブ・ミー・テンダー”(作詞:湯川れい子/作曲:筒美京平/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン11位になり、16.2万枚と自身3番目のヒットとなった。

 

4月21日、2ndアルバム『サムシングI・Y・O』を発売。

 

5月21日、3rdシングル“TVの国からキラキラ”(作詞:糸井重里/作曲:筒美京平/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン15位。

 

8月5日、4thシングル“オトナじゃないの”(作詞:糸井重里/作曲:筒美京平/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン16位。

 

10月5日、3rdアルバム『オンリー・セブンティーン』発売。

 

11月5日、5thシングル“抱きしめたい”(作詞:康珍化/作曲:亀井登志夫/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン9位とトップ10に返り咲いた。

 

12月、『第24回日本レコード大賞』新人賞を始め、同年に多くの音楽新人賞を受賞する。キャッチコピーの通り、妹的存在として多くのファンを拡大させた。

 

 

1983年3月3日、6thシングル“チャイニーズ・キッス”(作詞:康珍化/作曲:亀井登志夫/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン12位。

 

6月1日、7thシングル“太陽がいっぱい”(作詞:篠塚満由美/作曲:羽佐間健二/編曲:鷺巣詩郎)を発売、オリコン14位。

 

6月21日、4thアルバム『エンドレス・サマー』発売。

 

8月25日、8thシングル“恋のバイオリズム”(作詞:来生えつこ/作曲:吉田拓郎/編曲:萩田光雄)を発売、オリコン16位。

 

11月23日、9thシングル“時に愛は”(作詞・曲:尾崎亜美/編曲:鷺巣詩郎)を発売、自身も出演したTBS系テレビドラマ『私は負けない!ガンと闘う少女』の主題歌になり、自身2番目の18.7万枚を売り上げるヒットとなる。オリコン8位。

 

年末、『第25回日本レコード大賞』ゴールデン・アイドル賞を獲得した。 

 

 

1984年2月21日、10thシングル“恋のKNOW-HOW”(作詞・曲:尾崎亜美/編曲:小林信吾)を発売、オリコン10位。

 

10月、『オールナイトフジ』の司会に就任、1986年3月まで務めた。

12月29日に放送された『オールナイトフジ』にて、自著と称する『伊代の女子大生 まるモテ講座』を宣伝した際に本の内容について質問をされ、「まだ読んでないのですけど」と発言、その場にいた片岡鶴太郎から「自分で書いた本なのにまだ読んでないとはどういうことか」と突っ込まれた事がある。この件については「ゲラの状態で最終チェックはしましたが、製本になった状態を見たのはこの時が初めてだったので、(製本された本を)まだ読んでいないと発言した」と一度は弁明をした。しかし、後にこの弁明に関しても「嘘です」と白状しており、この著書はすべてゴーストライターによる代筆だったことを認めている。

11月1日、シングル“ビリーヴ”(作詞:売野雅勇/作曲:筒美京平/編曲:萩田光雄)を発売、作詞家に売野を初めて起用した。TBS系テレビドラマ『転校少女Y』の主題歌として使われたが、ドラマ本編に松本本人は出演しておらず、純粋に歌手・アーティストとしての曲提供となった。オリコン11位。

 

 

1986年8月5日、シングル“信じかたを教えて”(作詞:川村真澄/作曲:林哲司/編曲:船山基紀)を発売、この川村・林・船山による作家陣の作品は「恋愛三部作」と呼ばれる。

 

12月16日、シングル“サヨナラは私のために”(作詞:川村真澄/作曲:林哲司/編曲:船山基紀)を発売、恋愛三部作の第二弾。

 

 

1987年3月2日、『夕焼けニャンニャン』の総合司会に就任、田代まさしとともに番組終了の同年8月31日まで担当。

3月21日、シングル“思い出をきれいにしないで”(作詞:川村真澄/作曲:林哲司/編曲:船山基紀)を発売、恋愛三部作の第三弾。NHKテレビドラマ『おじいちゃんの贈り物』主題歌。

 

 

1989年9月21日、25thシングルとして、フォーク・クルセダーズの名曲“悲しくてやりきれない”(作詞:サトウハチロー/作曲:加藤和彦/編曲:佐橋佳幸)をカヴァーして発売。

 

 

1991年1月21日、アルバム『マリアージュ〜もう若くないから〜』を発売。

 

 

 

1993年、番組共演がきっかけとなり、B21スペシャルのヒロミと結婚、その後2男の母となる。

長男は俳優でタレントの小園凌央。

 

 

2005年5月8日にフジテレビ系列で放送された『伊代&ちえみ&早見の花の芸能界ウラ同窓会』で松本伊代、早見優(はやみ ゆう/1966年9月2日~)、堀ちえみ(ほり ちえみ/1967年2月15日~)の3人が再会し意気投合。3人は中森明菜、小泉今日子、シブがき隊、石川秀美らと同じ1982年にデビューした「花の82年組」で、堀越高等学校の同窓生という共通点がある。

9月15日、TBS系列で放映された『うたばん』の企画「うたばんスター誕生」に元アイドルとして3人で出演。3人はそこでレコード会社4社からのスカウトを受け、その中からディズニー社の新プロジェクトを計画していたエイベックスから歌手ユニットとしてデビューすることが決定、ママドルユニット「キューティー★マミー」を結成した。ユニット名は、アニメ・映画等で有名な永井豪原作の漫画作品『キューティーハニー』と、母親を意味する「マミー」をもじったものである。

 

 

2007年1月17日、エイベックスよりリリースされたオムニバスアルバム『クラブ・ディズニー2007』にキューティー★マミーとして“ミッキーマウスマーチ”で参加。

3月7日、エイベックスよりリリースされたオムニバスアルバム『Disneymania presents POP PARADE JAPAN』にもキューティー★マミーの“ミッキーマウスマーチ”が収録された。

 

11月21日、ビューテイフル塊魂 オリジナルサウンドトラック『塊ステキ魂』に“BOYFRIEND A GOGO”で参加。

 

 

2009年、アイドル時代の12枚のオリジナルアルバム+ボーナスCD・DVDをまとめたBOXセット「SWEET 16 BOX」のボーナストラックとして、尾崎亜美が作詞・作曲・アレンジ・プロデュースに至るまで担当した19年振りの新曲“私の声を聞いて”をリリース。配信限定ではあるがシングルカットもされた。 

 

 

 

2012年、品川ステラボールにてデビュー30周年記念コンサートを開催。

 

 

2015年12月2日、“センチメンタル・ジャーニー まだ50歳ver.”(作詞:長久允/作曲:筒美京平/編曲:Avec Avec)を配信限定でリリース。フェイスマスク「ルルルンプレシャス」CMソング。

 

 

2016年10月15日、東京・Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASUREにてデビュー

35周年を記念してアニバーサリーライヴを開催。

 

 

2017年2月、京都府警察右京警察署に早見優とともに「1月13日に京都市内のJR山陰本線の線路内に無断で立ち入った」として鉄道営業法違反容疑で書類送検され、3月21日に起訴猶予処分となる。京都地方検察庁は処分理由を「踏切内の通路からすぐ脇に立ち入った場所に留まり、電車往来への支障も生じていないことや反省していることなどを考慮した」としている。

 

 

2021年10月21日、“センチメンタルジャーニー”発売並びにデビュー40周年を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「松本伊代」「キューティー★マミー」