河島 英五(かわしま えいご/1952[昭和27]年4月23日~2001[平成13]年4月16日)は、日本のシンガーソングライター、俳優。

 

 

大阪府東大阪市出身。

1969年、大阪府立花園高等学校在学中に、フォークに魅せられたバスケット仲間4人でフォークグループ「ホモ・サピエンス」を結成。リーダーとして歌い始める。

高校卒業後も「ホモ・サピエンス」で活動。

 

 

1973年、自主レーベルから「ホモ・サピエンス」名義で“気狂いバンドを見捨てないで(クレイジー・バンド~冷たくしないで”をリリース。

 

 

1974年、別の自主レーベルから“何かいいことないかな”をリリース。

支離滅裂派フォークとして「あのねのね」らと活動をともにした。

デビュー当時は、その風貌とヴォーカルスタイルから「吉田拓郎の再来」などと騒がれた。

 

 

1975年4月25日、シングル“何かいいことないかな”を「河島英五とホモ・サピエンス」名義でワーナーパイオニアよりリリースし、メジャーデビュー。

 

6月、「河島英五とホモ・サピエンス」名義のファーストアルバム『人類』リリース。“酒と泪と男と女”収録。

 

8月10日、「あのねのね プラス1」名義でシングル“青春旅情”(作詞・曲:河島英五/編曲:瀬尾一三)をリリース。

11月25日、2枚目シングル“てんびんばかり”を発売、B面に“酒と泪と男と女”収録。

 

12月21日、沢田研二7作目のアルバム『いくつかの場面』がリリース。ヒット曲“時の過ぎゆくままに”を収録し、名うてのミュージシャン達が多数楽曲を提供し話題になった本作で、河島が作詞作曲し提供した“いくつかの場面”がアルバムタイトルに採用、全体を締めるラストナンバーとして収録された。

同年、萩原健一がリリースしたファーストソロアルバム『惚れた』にて、“酒と泪と男と女”をカヴァー。

 

 

1976年、河島英五とホモサピエンスは全国ツアー後、セカンドアルバム『運命』を残し解散。

河島はソロ歌手として活動を始める。

 

ソロになった河島は京都の「拾得」や「磔々」を皮切りに、全国のライヴハウスでの活動を精力的に展開。圧倒的なパワーによるライヴが各地で話題を呼び、同時にファーストアルバムの中の1曲“酒と泪と男と女”(作詞・曲:河島英五)が急浮上。この歌は河島が19歳の時、彼の叔父の姿を見て作曲したものである。萩原健一がカヴァーし、テレビの歌番組などで歌っていたが、同じ頃、河島の歌唱ヴァージョンが京都・伏見の清酒メーカー・黄桜酒造(現:黄桜)のCMソングとして使われるようになると全国的なヒットとなり、河島の知名度も全国区になった。

 

 

1976年6月25日、「河島英五」名義で“酒と泪と男と女”をA面にしてシングルリリース。B面は“てんびんばかり”(作詞・曲:河島英五/編曲:宮本光雄)。オリコン調べで、週間ランキング最高位9位、1977年度年間ランキング43位、1978年度年間ランキング57位。

 

 

1977年、インド、アフガニスタンへ放浪の旅に出る。以降、78年ペルー、79年トルコ、80年ネパールを単身放浪。そこに息づく自然に触れ、生活する人達と交流する中で音楽と生き方について多くのものを学ぶ。

同年、ソロ名義としては初のアルバム『信望』をリリース。

 

 

1978年7月10日、小柳ルミ子の26枚目シングル“泣きぬれてひとり旅”(作詞・曲:河島英五/編曲:森岡賢一郎)を作詞作曲提供。京都府京都市と石川県金沢市の「女一人旅」をテーマにしたご当地ソングで、河島自身も後にセルフ・カヴァーした。金鳥(大日本除虫菊)蚊取線香CMソング。オリコン30位。

 

9月25日、シングル“殉愛”発売、NTV系ドラマ『殉愛 ひとすじの恋』主題歌。

 

 

1979年 4月1日、加藤登紀子に楽曲提供(作詞・作曲)した“生きてりゃいいさ”(編曲:馬飼野俊一)が31枚目のシングルとして発売。後に河島もセルフカヴァーした。

7月25日、シングル“風になれ”をリリース、東宝映画『トラブルマン 笑うと殺すゾ』主題歌、B面“夕陽の摩天楼”は同映画挿入歌。

10月26日、『3年B組金八先生』第1シリーズ放送開始、第1話で、“てんびんばかり”が挿入歌として使用される。

11月1日、加藤登紀子の32枚目シングル“燃えろジングルベル”(編曲:玉木宏樹)を作詞作曲提供し、デュエット歌唱も行った。クレジットは加藤登紀子と河島英五の連名。河島による加藤のシングルA面への曲提供は2作連続となった。

 

11月、シングル“酒と泪と男と女”/“てんびんばかり”を再発。

同年、アルバム『河島英五作品集』を発売。加藤登紀子に提供した“生きてりゃいいさ”や、小柳ルミ子に提供した“泣きぬれてひとり旅”などのセルフ・カヴァーを収録。

 

 

1980年5月25日、SMS Records移籍第一弾シングル“旅のわすれもの”を発売、NHK銀河テレビ小説『御堂筋の春』主題歌。

10月にアルバム『文明I』、11月『文明II』、12月『文明III』と3枚のアルバムを立て続けに発表。1977年から長年にわたり世界で放浪の旅をしてきた経験を作品として結実させた。この後もケニア、ボリビア、インドネシアと各国を訪ね歩く。

 

 

1981年3月5日、シングル“竜馬のように”を発売、サッポロビール「ビン生」CMソング。

 

 

1982年1月21日、シングル“父親(あしたへ)”を発売、「週刊就職情報」CMソング。

 

 

1984年12月5日、シングル“野風増~お前が20才になったら”をリリース、B面は“酒と泪と男と女”。“野風増”(作詞:伊奈二朗/作曲:山本寛之)は元々、作曲者の山本寛之が1980年にリリースしたものを河島がカヴァー。翌1985年には橋幸夫が通算154枚目のシングルとしてリリースした他、多くのカヴァーを生んだ。「野風増」は「のふうぞ」と読み、岡山県を中心とした中国地方での「やんちゃ・生意気」などという意味の方言「のふうぞ」に漢字を当てたもの。

 

 

1986年4月21日、シングル“時代おくれ”(作詞:阿久悠/作曲:森田公一/編曲:チト河内・福井峻)を発売、白鶴酒造のCMソング。B面は“黄金時代”。オリコンシングル週間ランキングでは最高77位と目立った動きを見せなかったが、同年の『日本有線大賞』では「特別賞」を受賞。現在も多くのおやじ世代にカラオケで歌われている。

 

8月27日、シングル“時代おくれ”を、B面に“人生”をカップリングして再発。“人生”は、TBS系花王愛の劇場『母さん、家においでよ』主題歌。

同年、アルバム『時代おくれ』をリリース。

 

 

1987年9月21日、シングル“ろまんちすと”(作詞:阿久悠/作曲:鈴木キサブロー/編曲:川村栄二)をリリース、国際証券(現:三菱UFJモルガン・スタンレー証券) 企業イメージソング。

 

 

1980年代、NHKの番組「北陸東海」(中部7県で放送)の「英五のろまんちすと紀行」に旅人として出演、中部7県(愛知県・岐阜県・三重県・静岡県・富山県・石川県・福井県)各地を訪れた。なお、河島はこの番組のオリジナルテーマソングも歌っている。

 

 

1991年2月21日、テレビドラマ『木枯し紋次郎』主題歌の“だれかが風の中で”をカヴァーしシングル発売。カップリングの“伝言”は、ANB系時代劇『戦国乱世の暴れん坊 齋藤道三 怒涛の天下取り』主題歌。

12月31日、『第42回NHK紅白歌合戦』に初出場。当日は第1部の白組トリで、ピアノを弾きながら “時代おくれ”を歌唱。

 

 

1992年12月12日、シングル“ほろ酔いで”を発売、沢の鶴「本醸造辛口」CMソング。

 

 

1993年7月21日、シングル“のんべ”リリース、カップリング“オオカミ”は、アートネイチャーCMソング。

 


1995年、阪神・淡路大震災の被災者を励ますために、友人の桂南光らと神戸でチャリティコンサート「復興の詩」を開催。以降、毎年開催した。

この頃、大阪府四條畷市に転居。

11月1日、シングル“魔法の絵の具”リリース、カップリング“行かないでくれ”は、TX系『徳光和夫の情報スピリッツ』エンディングテーマ。

 

 

1997年10月22日、シングル“晩秋”リリース、MBS系ドラマ30『命燃えて』主題歌および、沢の鶴「実楽」CMソング。

 

 

1998年5月21日、シングル“元気だしてゆこう”リリース、NHK時代劇『物書同心いねむり紋蔵』主題歌。

※音がデカいです。

 

同年7月、文化交流コンサートを行うためモンゴルを訪れる。

 

 

1999年、教育映画『まじめで悪いか!』挿入歌に“生きてりゃいいさ”をセルフカヴァー。

 

 

2001年、長女・河島あみるの結婚式に参列。

4月14日、この日のライヴに立ったのが最後の仕事となった。

4月15日、亡くなる前日に体調を悪くし、病院に運ばれるも既に手遅れの状態だったという。

4月16日午前3時22分、肝臓疾患のため死去。享年48。

 

 

 

告別式終了後の出棺の際、棺の上に遺影が置かれ、参列者から「英五」の連呼が起こった。自身のヒット曲“野風増”の歌詞には、息子が20歳になれば2人で酒を酌み交わしたいという内容があったが、河島本人は歌詞通りに息子・翔馬と杯を交わすことは叶わなかった。 

 

6月27日、遺作となった“旧友再会”をシングル発売。カップリングは“雨”。

 

8月17日、堀ちえみの通算22枚目のシングル“ピンクのアオザイの裾を夜風にあそばせ -サウスウインド-”(作詞:河島英五/作曲:河島あみる)がリリース。長女あみるの結婚式にアオザイの衣装で出席した堀ちえみをイメージして作詞したという河島のラストソングを、あみるが作曲し、友人であるサザンライト(桂南光)がプロデュースを担当してCD化したものである。堀にとっても引退後、芸能活動復帰してから初めて発表されたシングルとなった。長男・河島翔馬もフォークギターで参加している。

12月31日、『第52回NHK紅白歌合戦』では、友人であった堀内孝雄が、河島の実写映像をバックに涙ながらに“酒と泪と男と女”を歌唱している。

 

河島の墓は奈良市の十輪院に建てられている。 

河島の忌日となった4月16日は『桜風忌』と呼ばれている。

 

 

2006年、東映映画『ありがとう』主題歌に“生きてりゃいいさ”が使用される。

12月4日、亡くなるまでの6年間を過ごした大阪府四條畷市などが河島の遺志を受け継ぎ、優秀なミュージシャンを発掘目的として『河島英五音楽賞』を創設。友人だった桂南光、遺族の河島あみる、河島翔馬が同日、四條畷市内で会見を行った。年一回、未発表の楽曲を日本国内外から募集し、最優秀1点(賞金50万円)、入選2点を選出。2007年から毎年5月中旬に、受賞者のお披露目を兼ねた「河島英五記念ライブ〜元気だしてゆこう〜」が行われる。

 

 

2011年、ベストアルバム『旧友再会〜ベスト オブ 河島英五〜』リリース。代表曲の他、“元気ですか”等も収録。

 

 

 

 

 

 

 

(修正・追加)

2023年10月28日

 

 

(参照)

Wikipedia「河島英五」