デーモン・アルバーン OBE(Damon Albarn OBE/1968年3月23日~)は、

イギリス出身のミュージシャン、音楽プロデューサー。

 

 

父キース、母ヘイゼルの下、東ロンドン・レイトンストーンのホワイトチャペル病院で誕生。芸術家の両親の下、自由な気風の家庭で育ち、幼少時から音楽や芸術に親しむ。

9歳の時、父がノース・エセックス・オブ・アートの学長職を得たのを期にエセックス州コルチェスターに転居。この頃バイオリンやピアノを習い始め、地元の公立中高等学校、スタンウェイ校に入学するも、郊外特有の均一な価値観を押し付ける校風が合わず、いじめにもあった。

12歳の時、1学年下のグレアム・コクソンと出会う。二人は音楽を通じて親交を深め、一緒にオーケストラでオリジナル曲を披露したり、バンド活動も始める。その一方で、演劇にも興味を持つ。

15歳の時、クラシック作曲コンクールでヤング・ミュージシャン・オブ・ザ・イヤーを受賞。

 

中高等学校卒業後、ロンドン近郊の演劇学校に入学。しかし役者としての能力に限界を感じ、

1年で退学。

 

1988年、ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジの定時制に入学し、グレアムと再び同級生となる。音楽に対する情熱を取り戻したデーモンは、様々なバンドを組み、デモテープを制作するなどして、音楽的な才能を伸ばしていった。デーモンが組んだバンドの一つ「サーカス」では、デイヴ・ロウントゥリーがドラム、旧知のグレアムがギターを担当、後にグレアムの大学の友人アレックス・ジェームスがベーシストとして加入した。

同年12月、バンドはJ.D.サリンジャーに触発されて「シーモア」(Seymour)と名を改めた。

 

1990年3月、バンド名を「ブラー」(Blur)に改名するとすぐにFood Recordsと契約。

10月15日、“She's So High”を発売、デーモンはブラーのフロントマンとしてメジャーデビュー。

 

1991年4月15日発売の2ndシングル"There's No Other Way"が全英8位と初のトップ10入り。

 

8月26日、1stアルバム『レジャー』(Leisure)で全英7位を獲得、母国で順調に成功を収めるも、その後のアメリカ進出には失敗。この経験から、英国的なものにバンドのアイデンティティを強く求めるようになり、アメリカ発のグランジブーム吹き荒れる英国のシーンで、レコード会社の反対を押し切り、敢えてブリティッシュ・ロックの伝統を踏襲。

 

1992年3月30日、シングル"Popscene"発売。

 

1993年、2ndアルバム『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』(Modern Life Is Rubbish)はセールス的には振るわなかったものの、作品そのものは高い評価を獲得した。

 

1994年3月7日、“ガールズ&ボーイズ”(Girls & Boys)発売、全英5位で初のゴールド獲得。

 

4月25日、3rdアルバム『パークライフ』(Parklife)を発売、イギリスに沸き起こった国民的音楽ムーブメント「ブリットポップブーム」のまさに火点け役・代表格となり、英国ではクオドラプル・プラチナに認定された。翌1995年のブリット・アワードではオアシスの『オアシス』等を退けてベスト・アルバム賞他、史上最多の4部門を受賞した。アルバムからのシングルカットは、“トゥー・ジ・エンド”(To the End)が全英16位、タイトルトラック“パーク・ライフ”(Parklife)が全英10位、“エンド・オブ・ア・センチュリー”(End of a Century)が全英19位となった。

 

 

 

1995年8月14日、先行シングル“カントリー・ハウス”(Country House)で初の全英1位。

 

9月11日発売の『ザ・グレイト・エスケープ』(The Great Escape)で、「ブリットポップ」ブームが沸き起こり、デーモンは一躍シーンの中心人物となる。音楽だけでなく、フレッド・ペリーのポロシャツや、アディダス、ナイキを小奇麗に着こなすモッズ風ファッションから「ネオ・モッズ」のアイコンとして人気を博し、甘いルックスも相まって、当時日本でもファッション雑誌の特集にも多く登場した。 しかし、ブラーより少し遅れてブレイクしたオアシスとの対立や、マスコミの執拗な狂騒からパニック障害を患うなど精神的に疲弊し、余りにポップになったブラーの音楽性を巡ってローファイな音楽志向であったグレアムと対立するようにもなる。アルバムからのシングルは他に、“ザ・ユニヴァーサル”(The Universal)が全英5位、“ステレオタイプス”(Stereotypes)が全英7位、“チャームレス・マン”(Charmless Man)が全英5位となった。

 

 

 

 

1996年、映画『トレインスポッティング』に個人名義で“クローゼット・ロマンティック”を提供。

 

その後、疎遠だったグレアムと手紙のやり取りを通じて仲を取り戻し、バンドの方向性を確かめ合う。この頃からアメリカのオルタナティブ・ロックやヒップホップにも接近するようになる。

 

1997年1月20日、先行シングル“ビートルバム”(Beetlebum)発売、ブラーとしては初めてPVをアニメーションで製作した。全英1位。

 

2月10日、アルバム『ブラー』(Blur)を発売、「ブリットポップは死んだ」の発言とともに、アメリカのオルタナティヴ・ロックの影響を背景に、それまでのポップなブラーのイメージとは真逆の実験的で野心的な作品となった。旧来のファンの戸惑い以上に新たなファンを獲得し、本作によってデーモンはアーティスティックな面でも正当に評価される。シングルカットは他に、“コーヒー&TV”(Coffee & TV)が全英11位、“ノー・ディスタンス・レフト・トゥ・ラン”(No Distance Left to Run)が全英14位。

 

 

 

 

4月7日、シングル"ソング2"(Song 2)発売、全英2位。

 

同年、ロバート・カーライル出演の映画『フェイス』に出演。かつて役者を志していたデーモンだが、自分は第一にミュージシャンとの自覚もあり、以降の出演は断っている。

 

1998年、コミック・アーティストのジェイミー・ヒューレットと、既存の商業音楽へのアンチテーゼとして、覆面バンド「ゴリラズ」(Gorillaz)のプロジェクトを立ち上げ、様々なジャンルの曲を実験的に製作していく。

 

1999年2月22日、ブラーのシングル“テンダー”(Tebder)発売、全英2位。

 

3月15日、ブラーの6thアルバム『13』発売、実験性とともにグレアムの存在感も増していく。

 

同年には映画『ラビナス』で現代音楽の巨匠マイケル・ナイマンと映画音楽のサウンドトラック・アルバムを作り、グレアムに少し遅れてソロキャリアをスタート。

 

2000年、映画『私が愛したギャングスター』音楽制作。

 

2001年、『101レイキャビーク』でも映画音楽を作っている。

3月26日、本格始動させたゴリラズのデビュー・アルバム『ゴリラズ』(Gorillaz)が大ヒットを記録。ブラーではなかなか達成できなかったアメリカ進出を果たす。アルバムからのシングルは"Clint Eastwood" (featuring Del the Funky Homosapien)が全英4位・全米57位、"19-2000"が全英6位、

"Rock the House"が全英18位を記録。

 

 

 

2002年には、オックスファムの招待で2000年に訪れたマリで、現地のミュージシャンとともに録音していたアフリカ音楽のアルバムを発表する。

10月、薬物依存による体調不良とバンドの方向性についての意見の相違から別行動になっていたグレアムが、ブラーからの脱退を表明。

 

2003年5月5日、ブラーのアルバム『シンク・タンク』(Think Tank)を発売。アルバムジャケットのアートワークは覆面芸術家「バンクシー」のグラフィティが使用されている。

 

 

2005年5月9日、ゴリラズのシングル"フィール・グッド・インク"(Feel Good Inc.)を先行発売、全英2位・全米14位。

 

5月23日、ゴリラズの2ndアルバム『ディーモン・デイズ』(Demon Days)を発売、全英1位・全米6位になったのを始め前作を上回る世界的な大ヒットを記録。

 

8月29日、ゴリラズのシングル"Dare"リリース、全英1位・全米87位。

 

11月21日、シングル“ダーティー・ハリー”(Dirty Harry)発売、全英6位。

 

2006年からは「LIVE 8」の向こうを張って「アフリカ・エクスプレス」という、西洋のミュージャンとアフリカのミュージャンのコラボレーション・イベントをスタートさせた。

同年、イースト・ロンドン大学から美術学名誉修士号を授与された。

 

2007年、デーモン・アルバーン(Vo,Key)、トニー・アレン(Ds)、ポール・シムノン(B,Cho)、サイモン・トング(G,Cho)が結成した新バンド(デーモン曰く「名前は無い」)のアルバム『ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン』(The Good, the Bad & the Queen) も全英2位・全米49位と大ヒット。主なシングルは、"Kingdom of Doom"が全英20位、"Herculean" (featuring The Sixteen)が全英22位。

同2007年は、マンチェスター・インターナショナル・フェスティバルからのオファーで、西遊記を題材にしたオペラ『モンキー:ジャーニー・トゥー・ザ・ウエスト』の制作に挑戦。

 

 

2008年、中国音階を勉強して制作したオペラのサウンドトラック『モンキー:ジャーニー・トゥー・ザ・ウエスト』は、中国音楽と現代音楽の融合が見られる異色作となったが、全編中国語のヴォーカルの作品としては史上最高位となる全英5位を獲得。

同年12月、グレアムと和解し、ブラーが再活動することが正式に発表された。

 

2009年、グラストンベリー・フェスティバルやハイド・パークでブラーの復活ライヴを行い、復活を待ちわびたオーディエンスを熱狂と感動の渦に巻き込んだ。

 

2010年3月8日、ゴリラズの3rdアルバム『プラスティック・ビーチ』(Plastic Beach)を発売、ワールドツアーも敢行した。主なシングルは、ボビー・ウーマックと共演した"Stylo" (featuring Bobby Womack and Mos Def)など。

 

 

12月25日、ツアー終了と同時に、ツアー中の隙間時間にipadで製作したゴリラズ4thアルバム『ザ・フォール』(The Fall)を発売。アルバムからのリカットは"Revolving Doors" / "Amarillo"。

 

 

2011年、オックスファム企画のコンゴ民主共和国救済チャリティアルバム『キンシャサ・ワン・ツー』(Kinshasa One Two)を他のミュージシャンとコンゴで1週間でレコーディングしてリリース。

長年温めてきた企画であったエリザベス朝時代の魔術師・錬金術師、ジョン・ディーを題材にしたオペラ『ドクター・ディー』(Dr Dee)の制作を主に音楽面で担当し、デーモンも本人役で出演。

 

2012年、オペラの音楽をもとに同名のアルバム『ドクター・ディー』(Dr Dee)を、スタジオ・アルバムとしては初めてソロ名義の「デーモン・アルバーン」でリリースした。

同年、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーやトニー・アレンと新バンド「ロケット・ジュース・アンド・ザ・ムーン」(Rocket Juice and The Moon)を結成してアルバムを発表。

ソウル・シンガー、ボビー・ウーマックの18年ぶりのスタジオ・アルバム、『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』の共同プロデューサーを務め、高い評価を得た。

 

2013年はブラーのワールド・ツアーをこなす傍らソロ・アルバムを制作。

 

2014年4月、1stソロ・アルバム『エヴリデイ・ロボッツ』(Everyday Robots)を発売、同年のマーキュリー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。

 

 

11月頃、ワールド・ツアー中に香港で録音していた音源を基にブラーのアルバム制作を開始。

 

2015年4月27日、ブラー再結成後初となる12年ぶり通算8枚目のスタジオ・アルバム『ザ・マジック・ウィップ』(The Magic Whip)をリリース、全英1位・全米24位。ツアーも催行した。

 

7月、「不思議の国のアリス」を基にしたミュージカル「ワンダー・ドット・ランド」がマンチェスター国際芸術祭で上演され、音楽制作を担当した。

 

2016年元日、大英帝国勲章(OBE)を授与された。

 

2017年4月28日、ゴリラズの5thアルバム『ヒューマンズ』(Humanz)をリリース、全英・全米ともに2位。主なシングルは"Saturnz Barz" (featuring Popcaan) が全英87位。

 

 

2018年5月31日、ゴリラズの先行シングル"Humility" (featuring George Benson)を発売、ジャズギターの名手ジョージ・ベンソンとのコラボレーションを実現。

6月、来日公演を果たし、リリース前の『ナウ・ナウ』収録曲を初めて全曲披露した。

6月29日、6thアルバム『ナウ・ナウ』(The Now Now)をリリース。

 

10月、11年ぶりに『ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン』のメンバーによる新アルバム『メリーランド』をリリース(同バンドは2019年限りで解散)。

 

2019年7月、前年7月に南アフリカで行われた7日間の制作に参加した「アフリカ・エクスプレス」のアルバム『エゴリ』が発表された。

 

2020年1月、ゴリラズの新曲を1曲づつ不定期発表していく「ソング・マシーン」プロジェクト開始。

第一弾として同月30日、“Momentary Bliss”を発表。

 

5月、アイスランドの自然にインスピレーションを得て始められたという新プロジェクト「ザ・ニアラー・ザ・ファウンテン、モア・ピュア・ザ・ストリーム・フローズ」からの曲を、アイスランドに所有する自身のスタジオからライブ配信した。

10月23日、発表された楽曲をまとめた『ソング・マシーン、シーズン1:ストレンジタイムズ』(Song Machine, Season One: Strange Timez)がゴリラズ7枚目のアルバムとしてリリースされた。

 

10月にはパリで、フランス植民地下のアフリカ奴隷の歴史を題材にしたミュージカル『ル・ヴォル・デュ・ボリ』の音楽制作を担当。新型コロナ(COVID-19)感染拡大のため公演は延期の上、上演回数も減らされ大打撃を被ったがなんとか開演、デーモンも演奏者としてステージに上がった。

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「デーモン・アルバーン」「ブラー」「ゴリラズ」「Damon Albarn OBE」「Blur」「Gorillaz」