山本 リンダ(やまもと リンダ/本名:稲葉 あつ子[いなば あつこ]/旧姓名:山本 あつ子[やまもと あつこ]/1951年3月4日~)は、日本の歌手、タレント。60年代および70年代アイドル。

 

 

福岡県小倉市(現:北九州市)にて、アメリカ軍の軍人である父親と、大阪出身の日本人の母親との間に生まれたハーフ。父親は山本が1歳の頃に朝鮮戦争で戦死した。そのため女手一つで育てられ、家庭は非常に貧しかった。

 

5歳の時、神奈川県横浜市に転居。小学校時代はハーフであるため学校でいじめられ、近所の大人たちからも白眼視されていた。そんな山本をいつも優しく慰めてくれたのは母だった。

 

1962(昭和37)年、母に楽をさせたいと考え、雑誌『装苑』のモデルオーディションを受けたことをきっかけに、人気モデルとして活動する。

 

 

1966(昭和41)年、高校在学時の15歳で、シングル“こまっちゃうナ”(作詞・曲・編曲:遠藤実)をミノルフォンレコード(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)より発売し歌手デビュー。累計売上70万枚とも100万枚とも言われる大ヒット、国民的アイドルとして全国に知られるようになる。

 

 

1967(昭和42)年3月1日、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)テーマソング“世界の国からこんにちは”(作詞:島田陽子/作曲:中村八大/編曲:只野通泰)発売。レコード会社8社の競作で、三波春夫(テイチク)、坂本九(東芝音楽工業)、吉永小百合(日本ビクター)、叶修二(日本グラモフォン)、弘田三枝子(日本コロムビア)、西郷輝彦・倍賞美津子(日本クラウン)、ボニージャックス(キングレコード)に対し、ミノルフォンからは山本が歌唱。なお、総売上は300万枚を超えたが、中でも三波春夫盤が最高となる140万枚を売り上げるミリオンセラーとなった。

 

12月31日、『第18回NHK紅白歌合戦』に初出場、“こまっちゃうナ”を歌唱した。

当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」であった。 だが、デビュー曲“こまっちゃうナ”以降はしばらくヒットに恵まれず、人気が低迷。

 

 

1968(昭和43)年6月20日、10枚目のシングル“フリ・フリ5”(作詞:幸田栄/作・編曲:遠藤実)を発売。

 

 

1969(昭和44)年2月10日、ハーベストレコードに移籍し、移籍第一弾、通算13枚目シングルとして、1968年の米英合作ミュージカル映画『チキ・チキ・バン・バン』(Chitty Chitty Bang Bang)主題曲のカヴァー“チキチキバンバン”(作詞:岩谷時子/作曲:R.Sherman/編曲:東八郎)を発売。B面はポール・モーリアのインストゥルメンタルで知られる“恋はみずいろ”のカヴァー。

 

6月1日、前作に続き洋楽カヴァーシングル“恋のバンバン”(作詞:阿部マリ/作曲:ベン・ミラー/編曲:竹村次郎)を発売。

 


1971(昭和46)年7~12月放送の東映製作『仮面ライダー』(毎日放送)に出演。同作プロデューサー阿部征司は「山本は事務所移籍前で歌の仕事を控えていたため、すぐに出演OKをもらえた」と語っている。夏を迎えて『仮面ライダー』は大ヒットし、高視聴率を獲得。リンダの認知度は、子ども達のみならずお茶の間全体で上昇した。

同年、キャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)に移籍する。

 

 

1972(昭和47)年6月5日、キャニオンレコード移籍第二弾シングルとして、当時の超売れっ子作詞家・作曲家コンビだった阿久悠・都倉俊一による“どうにもとまらない”を発売。セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲はオリコン最高位3位の大ヒットとなり、再び脚光を浴びた山本は、当時前例のなかったへそを出して歌う大胆な衣装、情熱的で激しいダンス、扇情的な歌詞の内容などが話題になり、「アクション歌謡」の先駆けとなった。これにより“こまっちゃうナ”時代を上回る人気を獲得し、「へそ出しルック」の第1号となる。

同年、アルバム『どうにもとまらない』を発売。

 

 

9月5日、シングル“狂わせたいの”(作詞:阿久悠/作・編曲:都倉俊一)発売、オリコン6位。

 

11月25日、シングル“じんじんさせて”(作詞:阿久悠/作・編曲:都倉俊一)を発売、オリコン10位。

 

同年、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックした。

 

 

1973(昭和48)年2月25日、“狙いうち”(作詞:阿久悠/作・編曲:都倉俊一)がオリコン14位。

 

同年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場する。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得し、後のピンク・レディーに先駆けて「アクション歌謡」を全国に定着させた。『狙いうち』というタイトルが「ボールをヒットさせる」ことを想起されることから、東京六大学野球の明治大学応援団は、作詞者の阿久悠が明治大学OBであったこともあり、同曲を「チャンステーマ」として導入した。それが甲子園にも伝播し、以後は高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われていた。

6月10日、シングル“燃えつきそう”(作詞:阿久悠/作・編曲:都倉俊一)発売、オリコン15位。

 

同年、アルバム『燃えつきそう 山本リンダの魅力』を発売。

 

12月10日、シングル“きりきり舞い”(作詞:阿久悠/作・編曲:都倉俊一)発売、オリコン28位。

 

 

1974(昭和49)年8月25日、29枚目のシングル“闇夜にドッキリ”(作詞:阿久悠/作曲:都倉俊一/編曲:穂口雄右)を発売。

 

12月31日、第25回NHK紅白歌合戦に3年連続4回目の出場、“闇夜にドッキリ”を歌唱。

 

 

1976(昭和51)年2月10日、大ヒット曲“およげ!たいやきくん”のアンサーソング“私の恋人、たいやきくん!”(作詞:中山大三郎/作曲:穂口雄右/編曲:あかのたちお)発売、オリコン98位。『夜のヒットスタジオ』で子門真人と共演するなど、この曲を契機としてタレント活動も開始する。

 

 

1970年代後半から再度人気が低迷。山本を陰で支えた最愛の母が自宅浴室で事故死し(享年50)、山本自身も所属事務所から解雇されるなど、再び不遇の時代を過ごした。地方の小さなスナックなどでのドサ回りもこなしたが、スナックに歌手の控え室などはなく、狭くて汚いトイレで衣装を汚さないように細心の注意を払いながら着替えなくてはならなかったという。

 

 

1980年代後半、米米CLUBが山本の楽曲をライヴでカヴァー演奏し、話題になる。

 

 

1990(平成2)年、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の番組内で主人公・まる子が山本のモノマネをしたことなどから、山本はリバイバルブームに乗り再ブレイクする。1995年8月6日放送の「まる子フェスタしずおかへ行く」の回では、本人役で山本がアフレコを務めた。

 

 

1991(平成3)年8月1日、『YAMAMOTO LINDA CLUB MIX』発売。

 

8月21日、『踊れる歌える山本リンダ』発売。

 

同年、テレビ時代劇『大江戸捜査網』(1991年度版)に準レギュラーとして出演。第1回では、酔って“狙いうち”を熱唱するシーンを演じた。

12月31日、第42回NHK紅白歌合戦に出場(通算5回目)。

 

 

1993(平成5)年、ヘアヌード写真集を出版し話題となる。朝日放送のラジオ番組『誠のサイキック青年団』(関西ローカル)でパーソナリティの北野誠と竹内義和が山本の写真集を辛辣にこき下ろしたところ、この放送を聴いたファンからの通告で北野らの発言内容を知った山本は激怒し、名誉毀損として1億円の損害賠償を請求した。その後、山本同席の下で番組側が全面謝罪することで示談が成立。各メディアでは、記者会見にて北野と竹内が平身低頭で謝罪する姿が全国的に大きく報じられた。

 

 

1997(平成9)年4月23日、テレビアニメ『新・天地無用!』の主題歌“夢はどこへいった”(作詞:枯堂夏子/作曲:松宮恭子/編曲:岸村正実)を発売。約20年ぶりにシングルランキングでも63位にランクイン、オリコンチャートへの復帰を果たす。

 

 

2001(平成13)年5月3日、7歳年上の常葉大学教授稲葉光彦と結婚。山本にとってこれが初婚である。

 

 

2005(平成17)年、アサヒ飲料の缶コーヒーのCMに起用される。 

1月13日、代表作“どうにもとまらない”の歌詞をアレンジした“どうにもとまらない〜ノンストップ”が発売された。リメイクされた歌詞は阿久悠が「今の若い人達に夢や希望をたくさん送ってあげたい」という想いから新たに書いたもので、テレビアニメ『レジェンズ〜甦る竜王伝説』のエンディングテーマに採用された。これを記念して、同アニメには山本自身もゲストキャラとして1度だけ出演した。なお、「どうにもとまらない〜ノンストップ」には英語バージョンも存在し、こちらも同じく『レジェンズ〜甦る竜王伝説』の初期エンディングテーマとして流れていた。作詞はen:Gary Perlman、歌はen:Brenda Vaughnがそれぞれ担当している。

 

 

同年5月25日、徳間ジャパンに移籍して、48枚目シングル“愛に生きて”(作詞:山本リンダ/作曲:平尾昌晃/編曲:若草恵)発売。シングルA面に初めて自作詞の楽曲が採用された。

 

 

2007(平成19)年、宅配ピザチェーンドミノ・ピザのテレビCMソングとして、“どうにもとまらない”の替え歌“ド〜ミノとまらない♪”が起用される。このCMではお笑いタレントの劇団ひとりが演じるドミノ・ピザのイメージキャラクター「ドミノ★スター」が、多くのドミノ・ピザファンが取り囲むステージ上で同曲を熱唱している。

 

 

2010(平成22)年1月、9mm Parabellum Bulletによって“どうにもとまらない”がカヴァーされる。山本は「9mmバージョンの『どうにもとまらない』は、彼達らしいかっこいいサウンドの中のとってもさわやかなボーカルが印象的でした」とカバー曲を評した上で、同バンドに対しても「この度ほかの楽曲も聴かせていただきましたが、かっこいい。たくさんいい楽曲を作って、大きく羽ばたいてほしい思いです」とエールを送っている。

 

 

2012年4月4日、シングル“恋は花火か 地の雪か”(作詞:阿久悠/作・編曲:都倉俊一)を発売。オリコン116位。

同年、ベスト・アルバム『ザ・プレミアムベスト 山本リンダ』を発売。

 

 

2013(平成25)年10月14日、生誕の地である北九州市の市制50周年関連イベント「第6回北九州ミュージックフェスタ」のフィナーレライヴにゲストで呼ばれ、その席で市長北橋健治から「北九州市特命大使(文化)」を委嘱された。

同年12月4日に放送された『2013 FNS歌謡祭』では、倖田來未とのコラボレーションで“どうにもとまらない”を披露した。

 

 

2016(平成28)年、歌手生活 50 周年記念 セルフプロデュース・ベストアルバム『山本リンダ / My life, My songs』をポニーキャニオンから発売。

 

同年、歌手生活 50 周年記念コンサート 「My Life Songs~感謝をこめて」を東京・中野サンプラザホールにて開催。

 

 

2017(平成29)年、「JAPAN JAM 2017」(千葉市蘇我スポーツ公園)にて、9mm Parabellum Bullet と共演。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「山本リンダ」

公式サイト