ジェイムス・ブラント(James Blunt/本名:James Hillier Blount/1974年2月22日~)は、

英国イングランド出身の歌手。元軍人。

James Bluntの日本語表記は、ワーナー・ミュージック・ジャパンの当該ページで採用されている「ジェイムス・ブラント」に準じた。

 

 

イングランド出身。

イギリス陸軍航空隊に所属していた父チャールズ・ブラント大佐とジェーン・アン・ファラン(旧姓アモス)の初めての子、長男として、ハンプシャー(Hampshire)のティッドワース(Tidworth)にある陸軍病院で生まれた。ジェイムスの後、さらに2人が誕生した。

ブラント家は兵役の長い歴史があり、そのルーツは10世紀にデンマーク人の祖先がイギリスに到着したことにまで遡る。

ジェイムスは主にハンプシャーのセントメアリーボーンで育ったが、父親の軍の駐屯地に応じて、ミドルウォロップ、ネザーエイボン、ヨーク、ニコシア、ゾーストなど、イギリスやキプロス、ドイツなど世界中を2年ごとに移動した。

 

子どもの頃にピアノやヴァイオリンを習い、14歳でギターを始めた。

また父から飛行機の操縦を教わり、16歳でパイロットのライセンスを取得した。

 

ブリストル大学(University of Bristol)には、将来4年間の従軍を条件に軍の奨学金を得て進学。航空宇宙製造工学と社会学を学び、1996年に社会学の理学士号(Hons)を取得し卒業。

 

大学卒業後、サンドハースト王立陸軍士官学校で訓練を受け、イギリス陸軍に入隊。

キャプテン(大尉)のランクにも昇格した。

1999年、イギリス軍から派遣され、NATO平和維持部隊の一員として、当時紛争状態にあったコソボに3年間赴任。コソボでの従軍中にも、休息時にはギターを持ち、曲作りを行っていた。そしてまだ従軍中だった時に、エルトン・ジョンのマネージャーに連絡を取るなど音楽の道を模索していた。

 

2002年、音楽に専念するためにイギリス軍を除隊後、ジェイムスは、他の人が綴りやすいように、本名の「Blunt」と同じような発音で綴りが異なる芸名「Blount」を使い始めた。 

そして除隊後程なくしてシンガー・ソングライターとして音楽出版社と契約した。

 

2003年初め、自身の「カスタードレコード」(Custard Records)レーベルを立ち上げたばかりのリンダ・ペリー(Linda Perry/元4 Non Blondes)がロンドンを訪れた時にジェイムスのプロモーションテープを聴き、すぐにライヴ演奏を観に行った。リンダはその夜、ジェイムスに契約を申し出て、数日後に彼はカスタードレコードとレコーディング契約を結んだ。

1か月後、彼はプロデューサーのトム・ロスロックに会うためにロサンゼルスに旅立った。

ロスではトムのホームスタジオに入り、多くの楽器をジェイムス自ら演奏した。

レコーディング中、ジェイムスは女優のキャリー・フィッシャーと一緒に宿泊した。キャリーはアルバムの命名に貢献し、彼は彼女のバスルームで“Goodbye My Lover”という曲を録音した。

 

2004年10月11日、1stアルバム『バック・トゥ・ベッドラム』(Back to Bedlam)でデビュー。

10月18日、イギリスでのデビュー・シングル“ハイ”(High)をリリースし、最初はTOP100にも入らなかったが、後の“ユア・ビューティフル”の大ヒットを受けて、翌2005年に全英シングル・チャートで最高位16位と、TOP20入りを果たす。

 

 

2005年3月7日、2ndシングル“ワイズ・メン”(Wisemen)をリリース。

 

5月18日、3rdシングル“ユア・ビューティフル”(You're Beautiful)をリリース、英国では初登場で12位にチャートインし、6週間後に1位に達した。英国で成功した後、同曲はヨーロッパ本土に渡り、同年夏の大陸全体で最大のヒット曲の1つになった。アメリカでは、2006年にBillboard Hot 100(以下「全米」)で1位に達し、イギリス人男性シンガー・ソングライターとしては、エルトン・ジョン“キャンドル・イン・ザ・ウィンド”以来のNo.1ヒットとなった。日本ではフジテレビ系ドラマ『小早川伸木の恋』挿入歌、トヨタ・ヴィッツCMソングに起用された。同曲のヒットにより、最終的にジェイムスと彼の共作者は、アイヴァーノヴェロ賞を受賞した。

 

この曲のヒットにより、『バック・トゥ・ベッドラム』は2005年夏、イギリスで通算9週連続アルバム・チャート第1位を記録する。全世界のアルバム・セールスは、1300万枚を突破し、2007年のグラミー賞でも主要3部門を含む5部門にノミネートされた。日本盤も2005年10月に発売され、40万枚を超える大ヒットとなる。

また、アルバムからは他にシングルカットされた“グッバイ・マイ・ラヴァー”(Goodbye My Lover)が全英9位、2ndシングル"ワイズ・メン"が2006年に再発されて全英23位に達した。

 

2006年4月、初来日公演。

 

2007年4月、“No Bravery”がフランス限定でシングルリリース、全仏15位となった。

 

7月23日、新しいアルバムからの先行シングル“1973”をリリースし、全英4位、さらに全ヨーロッパ・ラジオ・チャート2週連続No.1を記録した。

 

9月17日、2ndアルバム『オール・ザ・ロスト・ソウルズ』(All the Lost Souls)をリリース、イギリスを始め全世界12カ国で初登場1位を記録した。

アルバムからの主なシングルカットは他に、映画『P.S. アイラヴユー』主題歌になった"セイム・ミステイク"(Same Mistake)が全英57位、翌2008年にリリースしフジテレビ土曜プレミアムスペシャルドラマ『愛馬物語』主題歌になった"キャリー・ユー・ホーム"(Carry You Home)が全英20位、“アイ・リアリー・ウォント・ユー”( I Really Want You)が全英171位、“ラヴ・ラヴ・ラヴ”

( Love, Love, Love)が全英121位となった。

 

 

 

 

 

2008年4月、2度目の来日公演を行う。

同年、フランスのラップ歌手Sinikとのコラボ曲“Je réalise”をリリース。

 

2009年、イタリアの歌手ラウラ・パウジーニ(Laura Pausini)とのデュエット曲“Primavera in anticipo (It Is My Song)”をリリース。

 

 

2010年11月8日、3rdアルバム『サム・カインド・オブ・トラブル』(Some Kind of Trouble)をリリース、全英4位・全米11位。アルバムからシングルカットされた中では"Stay the Night"が全英26位を記録した。

 

 

2011年8月、「サマー・ソニック2011」で来日を果たす。

 

2013年10月21日、4thアルバム『Moon Landing』をリリース、全英2位・全米20位を記録した。

シングルカットは、"Bonfire Heart"が全英4位とヒットし、翌2014年にリリースされた"Heart to Heart"が全英42位を記録した。

 

 

 

2017年3月24日、5thアルバム『The Afterlove』をリリース、全英6位。主なシングルは"Love Me Better"が全英93位となった。

 

 

2018年、ベルギーのロスト・フリークエンシーズ(Lost Frequencies)の“Melody”にフィーチャリングされ、欧州を中心に大ヒットした。

 

2019年10月25日、6thアルバム『Once Upon a Mind』をリリース、全英3位。主なシングルは"Monsters"が全英90位になった。

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ジェームス・ブラント」(Wikipedia日本版では左記の表記)「James Blunt」

公式サイト