カート・コバーン(本名:Kurt Donald Cobain/1967年2月20日~1994年4月5日)は、

アメリカ合衆国のミュージシャン、ソングライター。

ロックバンド「ニルヴァーナ」のヴォーカリスト兼ギタリストとして有名。

 

 

1967年2月20日、アイルランド及びフランス系の自動車整備工ドナルド・リーランド・コバーン(1946〜)と、イングランド及びドイツ系のウェイトレスのウェンディ・フレイデンバーグ(1948〜)夫妻の間に誕生。ビートルズが大好きで、絵の上手な子どもだったという。

 

1975年に両親が離婚したことで大きな精神的衝撃を受け、カートは内向的で引きこもりがちな少年に変わってしまった。カートは、その後も父親に棄てられたという感覚を拭い去ることができなかったという。 

離婚後、最初は父の元へ引き取られる。トレーラーハウスの中で、ブラック・サバス、レッド・ツェッペリン、エアロスミスを聴いて育ち、自身の音楽に強く影響を与えた、と後に何度かインタビューで語っている。 

学校では友達を作らず、図書館で主にチャールズ・ブコウスキーなどの本を借り、それを読んで過ごしていた。その中でアメリカ合衆国の小説家ウィリアム・バロウズ((William Seward Burroughs II)の『裸のランチ』(Naked Lunch)と出会い、後の人生、歌詞、両面において強い影響を受ける。 

高校在学中、パンクバンド「メルヴィンズ」のリーダー、バズ・オズボーン(Buzz Osborne)と出会う。バズ・オズボーンから貰ったテープを聴き、パンク・ロックに興味を抱き音楽を始める。最初のギターは14歳の時に質屋で買ったもので、当初はAC/DCやレッド・ツェッペリンなどの曲を練習していた。

 

1985年、カート(Vo,G)、デイル・クローヴァー(B)、グレッグ・ホカンソン(Ds)によるバンド「フィーカル・マター」(Fecal Matter) を結成。しかし同年12月に、ホカンソンが脱退。 その後カートとデイルは、シアトルにあるカートの叔母、マリ・アールの家で4トラック・レコーダーを用いて『lliteracy Will Prevail demo』を録音。このデモテープにおいてデイルは、ベース、ギター、そしてドラムまで担当している。

 

1986年にはベースにバズ・オズボーン、ドラムにマイク・ディラードが加入したが、カートはオズボーンがベース用のアンプの購入を拒否したことから、オズボーンがフィーカル・マターとしての活動を本気でしようとはしていないと考え、2月にフィーカル・マターは解散した。

 

高校のクラスメイトの音楽的才能は決してカートと見合うものではなく、時にそれが彼を大いに苛立たせた。また、彼が演奏したかったのはパンク・ロックであったのに対し、周囲の人間はヘヴィメタル志向であったことも、彼にとって大いに気に入らない点であった。そんな苛立ちからか、次第に周囲との折り合いが悪くなり、高校を中退。その高校で用務員などで働き始める。 そんな中、カートは同じくパンク・ロックを愛好するクリス・ノヴォセリックと出会う。音楽の趣味、周囲への不満などで意気投合し、1年後バンド結成にいたる。

メンバーは、カート・コバーン(Vo,G)、クリス・ノヴォセリック(B)、アーロン・バークハート(Ds)。バンド名は、フィーカル・マター、セルアアウツ、スキッド・ロウ、ペン・キャップ・チュー、テッド・エド・フレッドといった変遷を経て、最終的に「ニルヴァーナ」(Nirvana=涅槃)に落ち着いた。

 

1988年11月、シングル“Love Buzz”をリリース。

 

1989年6月15日、ニルヴァーナは最初のアルバム『ブリーチ』(Bleach)をインディーレーベル「サブ・ポップ」からリリース。だが、チャートでの動向はBillboard Hot 100(以下「全米」)89位止まりとなった。

 

それから程なくして、技術的な問題から、カートはドラマーのチャド・チャニングを解雇する。

 

1990年9月1位日、シングル“Sliver”をサブ・ポップからリリース、

ドラムスはセッションドラマーとしてダン・ピーターズ(Dan Peters)が演奏している。

 

その後、オーディションを経てデイヴ・グロールをドラマーに迎える。これにより、よく知られたメンバー、カート・コバーン(Vo,G)、クリス・ノヴォセリック(B)、デイヴ・グロール(Ds)が顔をそろえることとなる。

 

1991年、ゲフィン・レコードに移籍し、ニルヴァーナは、メジャー・デビューに向けてレコーディングを開始する。

9月10日、先行シングル“スメルズ・ライク・ティーン・スピリット”(Smells Like Teen Spirit)をリリースし、全米6位・全英7位を獲得。多くの批評家からその年のベストシングルとして推挙された。ミュージック・ビデオも、MTVビデオミュージック・アウォーズに於いてベストニューアーティスト賞、及びベストオルタナティブ・アーティスト賞を獲得した。

 

9月24日、メジャーデビューアルバム『ネヴァーマインド』(Nevermind)を発表、バンドと当時のロックシーン両方の流れに大きな影響を与えた。 ビルボード200において1位を獲得、また数々の批評家達からその年のベスト・アルバムに選出された。 RIAAにより、ゴールド、プラチナアルバムとして認定。しかしながら、保守的なグラミー賞には候補にも上らなかった。 2020年、「ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500」に於いて6位。これは、90年代以降のアルバムの中で最高位となる。

 

1992年3月3日、アルバムからの2枚目のカット“カム・アズ・ユー・アー”(Come as You Are)が発売。アメリカン・トップ40において2曲目のヒットになり、「Billboard Hot 100」で32位、全英では9位になった。また、リチウム(Lithium) が全米64・全英11位、イン・ブルーム(In Bloom)が『ビルボード』誌「メインストリーム・ロック」チャート5位・全英28位。

 

 

 

彼らはメジャーでの最初のアルバムから大成功を収めたが、カートは『ネヴァーマインド』の成功に葛藤を感じていたとされる。元々、アンダーグラウンドなシーンをルーツとするカートは、この大成功によって自身の信念を裏切ってしまったように感じており、メディアの伝える彼の姿と本来の自分の姿との乖離に大きな戸惑いを感じてもいた。また、彼自身『ネヴァーマインド』制い作の際、ある程度メジャー市場を意識して曲作りを行っていたことで自身にも強い憤りを感じていた。

 

12月14日、主にインディーズ時代のシングル、B面曲、未発表曲やカヴァー曲などを集めたコンピレーションアルバム『Incesticide』をリリース、全米39位・全英14位。

 

1993年9月13日、3rdアルバム『イン・ユーテロ』(In Utero)を発売。アルバム・タイトルは、直訳すると「子宮内」である。プロデューサーにスティーヴ・アルビニを迎え制作された本作は前作のメジャー志向からアンダーグラウンド志向へと回帰したものとなった。全米1位・全英1位を記録したが、賛否両論が渦巻くアルバムとなる。 

 

アルバムからのシングルは、“ハート・シェイプト・ボックス”(Heart-Shaped Box)が『ビルボード』誌「メインストリーム・ロック」チャートで4位・全英5位、“オール・アポロジーズ(All Apologies) / レイプ・ミー(Rape Me)”が同4位・全英32位。

 

 

 

その後も自身のイメージや思い通りに曲が作れない苛立ち、また少年時代からのうつ病と20歳頃からの持病であった原因不明の胃痛に対する鎮痛剤として使用したことに端を発する薬物依存症に苦しみ、ローマで自殺未遂を起こす。

 

1994年4月5日、シアトルの自宅で薬物を服用の上、ショットガンで頭部を撃ち抜いて自殺しているのが発見される。警察の報告によると、死亡推定日は4月5日。遺書には強烈な筆圧で、親交のあったニール・ヤングの“ヘイ・ヘイ・マイ・マイ”の歌詞の一部「It's better to burn out than to fade away(だんだん消えていくより今燃え尽きる方がいい)」が引用され、ステレオからはR.E.M.のアルバム『オートマチック・フォー・ザ・ピープル』(Automatic for the People)が流れっぱなしになっていた。

没年齢の27歳は、ロバート・ジョンソンやジミ・ヘンドリックス、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリソン、ジャニス・ジョプリンが亡くなった年齢と一緒であり、カートの母は「あの子は愚か者のクラブに仲間入りしてしまった」と嘆いたという。 「愚か者のクラブ」とは、「27クラブ」のこと。

同年11月1日、ライヴアルバム『MTV Unplugged in New York 』をリリース、全米1位・全英1位を記録。

 

1996年10月1日、ライヴアルバム『From the Muddy Banks of the Wishkah 』をリリース、全米1位・全英4位を記録。

 

2002年10月29日、ベストアルバム『Nirvana』をリリース、全米3位・全英3位を記録。

 

2005年、米国議会図書館は、20世紀の「文化的、歴史的、または審美的に重要な」録音物を収集する国立録音登録簿にニルヴァーナの『ネヴァーマインド』を追加した。

 

2014年3月、シアトル市警が彼の死亡現場に残されていた遺品30点を新たに公開した。

4月10日、ニルヴァーナはロックの殿堂入りを果たした。入会式は、ニューヨークのブルックリンで開催された。対象となるメンバーは、『ネヴァーマインド』を発表したカート・コバーン、クリス・ノヴォセリック、デイヴ・グロールの3人。

 

2015年7月、他殺説を訴えるリチャード・リーによって、カートの死亡現場の写真を警察が公開するよう訴える訴訟がなされたが、訴えは棄却された。

 

2016年3月、シアトル市警が、カートが自ら命を絶つために使用したショットガンの画像を初めて公開した。

 

 

 

 

 

 

(関連項目)

 

 

(参照)

Wikipedia「カート・コバーン」「ニルヴァーナ」「Kurt Cobain」「Nirvana (band)」

ニルヴァーナ公式サイト