小西 康陽(こにし やすはる/1959年2月3日~)は、日本の音楽家。

元「PIZZICATO V」(ピチカート・ファイヴ)のリーダー。

 

 

 

印刷業者の息子として北海道札幌市に生まれる。

両親の意向により、3歳の時に東京都渋谷区恵比寿の母親の実家に移り、母方の祖母と2人の伯母に育てられる。

港区立神応小学校卒業。小学校5年生の頃に音楽に目覚め、以降レコード・コレクションを始める。また、漫画にも熱中し、雑誌『COM』や『ガロ』、24年組の少女漫画などを読み耽る。

中学2年の時に札幌市に移り、北海道札幌南高等学校卒業。

 

 1年浪人の後、青山学院大学経営学部に入学。サザンオールスターズを生んだ音楽サークル「ベターデイズ」に所属。後に「8 1/2」に参加する鈴木智文や、ピチカート・ファイヴをともに結成する高浪慶太郎、鴨宮諒、宮田繁男らと知り合う。 

大学3年生の頃から映画マニアになり、ミュージシャンデビューする25歳までの間、名画座を渡り歩き年間200本もの映画を観る。大学卒業時には、日活の助監督試験を受験した。

 

1984年、小西康陽、高浪慶太郎、鴨宮諒、佐々木麻美子の4人をオリジナルメンバーとして「PIZZICATO V」(ピチカート・ファイヴ)結成。当初はドラマーの宮田繁男(後のオリジナル・ラヴメンバー)を加えた5人の予定だったが、4人で「ファイヴ」を名乗ることとなった。

 

 

1985年8月25日、細野晴臣プロデュースにより12インチシングル“オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス”でテイチク/ノン・スタンダードレーベルよりデビュー。同レーベルでは計2枚の12インチシングルを残す。

 

 

1986年、CBS・ソニーレコードへ移籍。

 

 

1987年、ファーストアルバム『couples』をリリースするが全く売れず、ソニー側から「ライヴの出来るヴォーカリストへの交代」を要求される等の事情もあり同年、鴨宮諒と佐々木麻美子の二人が脱退。当時オリジナル・ラヴで既に活動していた田島貴男を2代目ヴォーカルに迎える。

 

 

1988年、セカンドアルバム『Bellissima!』リリース。

 

 

1989年7月21日、『女王陛下のピチカート・ファイヴ』リリース。

 

 


1990年5月21日、『月面軟着陸』リリース。一部では話題となるが、商業的な成果を残せず、クラブに通う若者や流行に敏感な者だけが熱狂的に支持するハウス系バンドと見られていた。

 

6月21日、CBS/ソニー時代唯一のシングル“ラヴァーズ・ロック”をリリース。

 

同年、ピチカート・ファイヴは日本コロムビア/SEVEN GODS(後にTRIADレーベル)に移籍。背景には前所属レコード会社CBS・ソニーの販売戦略に対する疑問もあった模様。

移籍と同時に田島貴男がオリジナル・ラヴに専念するため脱退、レコーディングやライヴに参加していた元ポータブル・ロックの野宮真貴を3代目ヴォーカルに迎える。

 

 

1991年、高浪慶太郎が高浪「敬太郎」と改名し、「高浪敬太郎コンボ&オーケストラ」(小西も2曲参加)としてフジテレビ系テレビドラマのサウンドトラックである「学校へ行こう! LET'S GO TO SCHOOL」を手がけたのを皮切りに、大量のリリース攻勢を仕掛ける。

 

 

1992年9月21日。6thアルバム『SWEET PIZZICATO FIVE』リリース。

 

 

1993年4月、"スウィート・ソウル・レヴュー"リリース、カネボウ化粧品「REVUE」シリーズ春のキャンペーンソングという大型タイアップを掴み、本作はオリコン19位とスマッシュ・ヒット。

 

6月に発表したアルバム『ボサ・ノヴァ 2001』(元フリッパーズ・ギターの小山田圭吾との共同プロデュースによるアルバム)はオリコンチャートで最高7位を獲得。

 

 

12月にリリースの「東京は夜の七時」も、フジテレビ系子ども番組『ウゴウゴルーガ2号』のオープニング曲に採用されてさらに知名度を高め、一気に一流アーティストの仲間入りを果たす。オリコン50位。

 

 

1994年にはミニアルバム『5×5』をアメリカのマタドールレコード (Matador Records) からリリースして北米デビューを果たし、続いてリリースされたアルバム『MADE in USA』も全世界での売上げが20万枚に達した。

 

4月21日、6thシングル“ハッピー・サッド”リリース、オリコン66位。

 

7月21日、7thシングル“スーパースター”リリース、オリコン77位。

9月、アルバム『Overdose』をリリース。

10月に高浪が脱退し、小西、野宮の二人で活動していくことになった。

 

 

1995年2月からは米国およびお欧州の14都市でツアーを行い、成功を収める。

3月、初のベストアルバム『PIZZICATO FIVE TYO〜Big Hits and Jet Lags 1991-1995』をリリースした。

 

11月、コンピレーションアルバム『裸の王様・王様のアイデア 小西康陽の仕事1987-1994(ソニー・ミュージック篇)』をリリース。

 

 

1996年3月20日発表のシングル“ベイビィ・ポータブル・ロック”が日産「ミストラル」CMソングに起用されたこともあり、オリコン19位のヒット。

 

12月21日、“メッセージ・ソング”をリリース、オリコン68位。

 

 

1997年、小西によって新レーベル*********(readymade) records,tokyoを設立。

3月1日、12thシングル“イッツ・ア・ビューティフル・デイ/愛のテーマ”を発売。

 

6月21日、アルバム『Happy End Of The World』リリース。11月、シングル"大都会交響楽"をリリース、1998年6月25日発売のセガサターン用ソフト(後にプレイステーションへも移植)『クロス探偵物語』のテーマソングとして起用された。

 

 

12月10日、1994-1997期のベストアルバム『PIZZICATO FIVE JPN〜Big Hits and Jet Lags 1994-1997』リリース。

 

 

1998年1月、筒美京平が作曲したシングル"恋のルール・新しいルール"をリリース。

 

7月、ミディアムバラード調のシングル"きみみたいにきれいな女の子"リリース。

 

9月、ザ・コレクターズの加藤ひさしをフィーチャーした(実態的には野宮とのデュエット)"ウィークエンド"をリリース。

 

10月からの新番組『サタスマ』の音楽を小西が手がける事になり、エンディング・テーマに"プレイボーイ・プレイガール"が採用、アルバム(CD/限定LP盤)のタイトル曲だった同曲は、翌11月にシングル・カットされた。

 

 

1999年のCDリリースはJBL maxisonic seriesと銘打ち、4月に初マキシシングル(ミニアルバム形態に近い)"darlin' of discotheque e.p."から始まり、7月の“nonstop to tokyo e.p."、10月の「パーフェクト・ワールド」、11月の1900年代最後のアルバム『PIZZICATO FIVE』と続いた。

 

 

 

2000年2月、readymade recordsのアーティストによるコンピレーション盤を発売。

7月、野宮がソロとしてCDデビュー。

8月、小西プロデュースの“慎吾ママのおはロック”が発売、ミリオンセラーを記録。

 

9月にシゲル・マツザキ(松崎しげる)とYOU THE ROCK★をフィーチャリングしたシングル“東京の合唱”を発売し、「東京」を一種のブランドテーマとしたプロデュースに傾斜して行く。

 

9月30日には『女性上位時代』〜『ロマンティーク96』までのSEVEN GODS・TRIADレーベル時代のオリジナルアルバムが再発売された。

11月、オリジナルクリスマスソング“12月24日”をシングル発売。

 

同日発売でPIZZICATO FIVE初のDVDとしてPV集『readymade TV Volume.3』をリリース。

 

 

2001年1月1日、21世紀最初でオリジナルとしては最後のアルバム『さ・え・ら ジャポン』をリリース。「東京」から視野を広げて「日本」をテーマにあらゆる楽曲が詰め込まれた本アルバムでは、“東京の合唱”でフィーチャーされた松崎しげる・YOU THE ROCK★を始め、雪村いづみ、デューク・エイセス、ロケットマン(ふかわりょう)、横山剣(クレイジーケンバンド)、クレモンティーヌ、イマクニ?、ハナレグミ等の豪華ゲストをフィーチャリング。

 

同2001年、PIZZICATO FIVE解散。

ピチカート・ファイヴ解散後もそのマニアックな才能とキャラクターを活かし、ドラマや映画のサントラの他、CM曲や数々のリミックスアルバムに多数参加している。ヨーロッパやアメリカを中心に、海外での人気も高いミュージシャンでもあり、プロモーション・ビデオなどでのアートワークや映画評論、コラムなど多彩な活動を行っている。

 

 

2009年12月より、ビクターエンタテインメントに移籍し、新レーベルREADYMADE-VICTOR INCORPORATED COMPANYの略である(レディメイドが/ビクターで/いろいろ/出しますの意味を持つ)「READYMADE V.I.C.」を設立、

 

 

2010年3月にはリミックスワーク集である『ATTRACTIONS! KONISHI YASUHARU Remixies 1996-2010』をリリース、

 

 

2011年3月31日、ユニバーサルミュージックに「PIZZICATO ONE」プロジェクトを立ち上る。

5月25日、自身初のソロアルバム『11のとても悲しい歌』をリリース。

 

11月16日に「DJ Duo NOEL & GALLAGHER 」名義でDJ NOELこと 辻一臣とともに『Play Loud』をリリース。

 

 

2015年6月、PIZZICATO ONE名義で『わたくしの二十世紀 』リリース。

 

 

 

2016年6月6日、コンピレーションボックス『素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事1986-2018』をリリース、小西がこれまでに作詞、作曲、編曲で携わった歴代作品の中から90曲を収録したコンピレーションボックスを完全生産限定盤にて発売。

 

 

2019年11月6日、小西康陽監修・選曲によるピチカートファイヴの最新型ともいえる『THE BAND OF 20TH CENTURY : Nippon Columbia Years 1991-2001』をリリース。

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「小西康陽」「ピチカート・ファイヴ」

ピチカート・ワン | PIZZICATO ONE - UNIVERSAL MUSIC JAPAN