伊藤 蘭(いとう らん/1955[昭和30]年1月13日~)は、日本の女優、ナレーター、歌手。元キャンディーズのメンバー。



東京都武蔵野市出身。
「蘭」という名前は蘭の花が好きだった祖父が命名した。
父方の曾祖父は、第15代広島市長・伊藤貞次(1878年~1943年/新潟県岩船郡出身)。

幼少期は活発だが恥ずかしがりやで口数が少なく人前に立つ性格ではなかったが、中学入学後自分で変わりたいと演劇部に入部。さらに、当時ファンだったフォーリーブスのバックで踊るスクールメイツの姿に憧れて自ら応募する。

1969(昭和44)年、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。入学後、スクールメイツのメンバーに選抜される。同期生には田中好子・太田裕美らがいた。


1972(昭和47)年、NHKの歌番組『歌謡グランドショー』マスコットガールのオーディションに田中好子・藤村美樹とともに合格。この3人組は「キャンディーズ」と命名され、マスコットガール兼アシスタント(椅子・マイク運び、代理音合わせなど)として活動。なお、グループ名の由来は、当時のNHKプロデューサーの「食べてしまいたいくらいかわいい」という想いから。


1973(昭和48)年3月、日本大学第二高等学校卒業。
同年4月、日本大学芸術学部演劇学科に入学するも、ほとんど通えず中退。
9月1日、伊藤蘭(ニックネーム:ランちゃん/メンバーカラー赤)は、田中好子(ニックネーム:スーちゃん/メンバーカラー青)、藤村美樹(ニックネーム:ミキちゃん/メンバーカラー黄)とともにキャンディーズとして“あなたに夢中”(作詞:山上路夫/作曲:森田公一/編曲:竜崎孝路)で歌手デビュー。当初は最も歌唱力があるとされたスーがリードヴォーカルを担当し基本的に三人のセンターで歌唱、ランのコーラスパートはソプラノだった。オリコン週間シングルチャート最高位(以下「オリコン」)36位。

 

12月5日、ファーストアルバム『あなたに夢中〜内気なキャンディーズ〜』をリリース。
また、歌手活動の他に『新春かくし芸大会』、『8時だョ!全員集合』、『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』などのテレビ番組で見せたコミカルな一面も人気を呼んだ。


1974(昭和49)年1月21日、2枚目のシングル“そよ風のくちづけ”(作詞:山上路夫/作曲:森田公一/編曲:穂口雄右)をリリースし、オリコン39位。
4月21日、3枚目シングル“危い土曜日”(作詞:安井かずみ/作曲:森田公一/編曲:竜崎孝路)をリリースし、オリコン46位。

 

6月21日、セカンドアルバム『危い土曜日〜キャンディーズの世界〜』をリリース。
9月21日、4枚目シングル“なみだの季節”(作詞:千家和也・作・編曲:穂口雄右)をリリースし、オリコン40位。
12月10日、サードアルバム『なみだの季節』をリリース。


1975(昭和50)年2月21日、5枚目シングル“年下の男の子”(作詞:千家和也/作・編曲:穂口雄右)リリース、初の大ヒットでオリコン9位を記録。この曲からメインヴォーカル及びセンター位置をスーからランに交代。これは当時のマネージャー諸岡義明の提案によるもので、ランだけファン層が異なり、お姉さん的なイメージを持たれていることに着目、同曲もランをイメージして作られたものであった。

 

4月21日、4枚目のアルバム『年下の男の子』を初の全曲オリジナルで構成しリリース。
6月1日、6枚目シングル“内気なあいつ”(作詞:千家和也/作・編曲:穂口雄右)リリース、オリコン18位。

9月1日、7枚目シングル“その気にさせないで”(作詞:千家和也/作・編曲:穂口雄右)リリース、オリコン17位。

 

10月1日、5枚目のアルバム『その気にさせないで』をリリース。
12月5日、8枚目シングル“ハートのエースが出てこない”(作詞:竜真知子/作曲:森田公一/編曲:竜崎孝路)をリリース、オリコン11位。

 

12月31日、“年下の男の子”で第26回NHK紅白歌合戦に初出場。


1976(昭和51)年3月1日、9枚目シングル“春一番”(作詞・作曲。編曲:穂口雄右)リリース、オリコン3位を記録。

 

4月1日、6枚目のアルバム『春一番』をリリース。
5月31日、10枚目シングル“夏が来た!”(作詞・作曲・編曲:穂口雄右)リリース、オリコン5位。
7月21日、7枚目のアルバム『夏が来た!』をリリース。

 

9月1日、11枚目シングル“ハート泥棒”(作詞:林春生/作曲:すぎやまこういち/編曲:船山基紀)リリース、 オリコン17位。

 

11月21日、12枚目シングル“哀愁のシンフォニー”(作詞:なかにし礼/作曲:三木たかし/編曲:馬飼野康二)リリース、オリコン12位。

 

12月31日、“春一番”で『第27回NHK紅白歌合戦』に2年連続2回目の出場。


1977(昭和52)年3月1日、13枚目シングル“やさしい悪魔”(作詞:喜多條忠/作曲:吉田拓郎/編曲:馬飼野康二)リリース、オリコン4位。

 

4月21日、8枚目のアルバム『キャンディーズ1 1⁄2〜やさしい悪魔〜』を2枚組でリリース。
6月21日、14枚目シングル“暑中お見舞い申し上げます”(作詞:喜多條忠/作曲:佐瀬寿一/編曲:馬飼野康二)リリース、オリコン5位。

 

7月17日、日比谷野外音楽堂でのコンサート中、突然キャンディーズの解散を宣言。その最中、伊藤が泣き叫びながら発言した「普通の女の子に戻りたい!」は、当時流行語ともなった。
9月1日、9枚目のアルバム『Candy Label』を30cm盤1枚+17cm盤1枚の変則2枚組でリリース。
9月21日、15枚目シングル“アン・ドゥ・トロワ”(作詞:喜多條忠/作曲:吉田拓郎/編曲:馬飼野康二)リリース、オリコン7位。

 

12月5日、16枚目シングル“わな”リリース。ミキがメインボーカル及びセンター位置を担当した唯一のシングル曲。オリコン3位。
同日、10枚目のアルバム『CANDIES 1676 DAYS〜キャンディーズ1676日〜』をベスト盤3枚+洋楽カバー1枚+未発表曲・新曲1枚の5枚組でリリース。
12月31日、“やさしい悪魔”で『第28回NHK紅白歌合戦』に3年連続3回目、そして最後の出場を果たす。
同年以降、ランは一部自分だけがソロで歌う歌の歌詞を作り、そのうちの大部分の作曲をした。主な作品に、“つばさ”、“アンティックドール”、“黄色いカヌー”、“へそまがり”、“恋がひとつ”、“今日から私は”、“鏡の中で”、“MOONLIGHT”、“ろうそくの灯に”、“ささやき”、“悲しみのヒロイン”等がある。このうち“つばさ”は翌1978年のキャンディーズ解散コンサートの最後に歌われた曲であり、シングルカットもされた。(本人はシングル化されることには反対だった模様)


1978(昭和53)年2月25日、17枚目シングル“微笑がえし”(作詞:阿木燿子/作・編曲:穂口雄右)リリース、初のオリコン1位を達成(3月12日付)し、累計売上も100万枚を超え、キャンディーズにとって最大のヒット曲となった。

作曲家の穂口は、キャンディーズとして最後となった「微笑がえし」のレコーディングにおいて3人に敬意を表し、アイドルではなくミュージシャンとして扱うため、事前練習などはせず初見でレコーディングさせることを提案。スタッフからも異論は出ず、3人も当日に初めて渡された楽譜をもとに完璧な歌唱でこれに応え、レコーディングはあっという間に終了したという。
解散発表の直後はファン、関係者とも賛否が分かれたが、「キャンディーズの3人が解散を望んでいる以上、それを支持する」ことで意思統一が図られた。その後、誰からともなく「最高の状態で解散する」ことへと気運が高まり、そのためには今まで獲得していなかったオリコンチャート1位を獲ることが最終目標となった。そしてその多くの想いが結実し、同曲はキャンディ―ス初の、そして最後のオリコン1位を獲得したのであった。
3月21日、アルバム『早春譜』をリリース。
4月4日、「ファイナルカーニバル」(後楽園球場 / 55000人)をもってキャンディーズ解散。
伊藤蘭は芸能界を一時引退する。
5月21日、「ファイナルカーニバル」の模様を収めたライヴアルバム『キャンディーズ ファイナルカーニバル プラス・ワン』を 3枚組(うちスタジオ録音1枚)でリリース、オリコン1位獲得。
1985年3月21日に初CD化、CD化されたキャンディーズのアルバム中最古の作品。

 

11月21日、シングル“つばさ”(作詞:伊藤蘭/作曲:渡辺茂樹)をリリース、オリコン16位。解散後に発売された通算17枚目のシングルだが、これはキャンディーズの意向に反してリリースされたものであり、またシングル曲として最後にレコーディングされた曲が“微笑がえし”だったこともあり、ラスト・シングルは“微笑がえし”とされている。

 

 

1979年5月18日午後11時半頃、杉並区天沼の八幡通りを歩行中に後ろから来た乗用車にはねられ全治10日の怪我を負った。車はそのまま逃走した。


休業期間中は旅行や映画鑑賞、運転免許の取得などそれまでできなかったことをして過ごし、様々な映画や舞台を見るうちに燃焼しきれなかった女優への思いが次第に膨らんで、新たな世界に挑戦する感覚で復帰を決意する。


1980(昭和55)年、映画『ヒポクラテスたち』(大森一樹監督・作)に主演して本格的に女優復帰し、第2回ヨコハマ映画祭で助演女優賞を受賞。倉本聰、山田太一、市川森一らの脚本作品に次々に出演する。


1981(昭和56)年には「夢の遊眠社」の舞台『少年狩り』(野田秀樹作・演出・主演)に出演。同年度の第19回ゴールデン・アロー賞新人賞(演劇)を受賞する。
以降、同劇団の舞台に主演。座友的立場での客演を続ける。


2000年10月7日、この日放送開始のテレビ朝日系列ドキュメンタリー番組『人生の楽園』でナレーターを務め、2008年12月27日放送分まで担当。その後も時折りロケに参加している。


2008年9月24日に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに岸惠子からの紹介で出演したが、その日が6500回を超える同コーナーへの初出演だった。

キャンディーズの解散後もメンバーだった藤村と田中とは定期的に会っており、3人の交流は田中が亡くなるまでずっと変わることなく続いていた。


2011(平成23)年4月21日、田中好子が乳がんで死去。伊藤は藤村とともに病室で7時間過ごして田中の最期を看取ったことを、田中の通夜の囲み取材のインタビューで明らかにした。
同月25日に行われた田中の葬儀では藤村とともに弔辞を読んだ。
6月8日、ベストアルバム『GOLDEN☆BEST キャンディーズ コンプリート・シングルコレクション』をソニー・ミュージックハウスからリリース。1973年のデビュー曲“あなたに夢中”から1978年のラスト・シングル“つばさ”までの全シングルA面曲を収録したディスク1と、シングルB面やアルバムの人気曲などを収めたディスク2を組み合わせた2枚組。

 


2015(平成27)年4月4日、ベストアルバム『ゴールデン☆アイドル キャンディーズ』を解散コンサートから37年後となる2015年4月4日にリリース。シングルAB面全34曲+企画盤2曲計36曲を網羅した2枚組で、完全生産限定盤。発売元はソニー・ミュージックダイレクト。

 


2019(令和2)年5月29日、ソニー・ミュージックダイレクトよりオリジナル・アルバム『My Bouquet』(マイ・ブーケ)をリリースし、1978年のキャンディーズ解散以来41年ぶりに歌手復帰、ソロ歌手としてデビューした。

 

翌6月、『伊藤 蘭 ファースト・ソロ・コンサート2019』をTOKYO DOME CITY HALLとNHK大阪ホールにて開催。同アルバムはオリコンの週間アルバムランキングにて8位を記録するなどロングセラーとなり、同年末の第61回日本レコード大賞にて企画賞を受賞する。


2020年12月9日、配信限定シングル“恋するリボルバー”をリリース。

 

 

 

 

 

 

 

 



(参照)
Wikipedia「伊藤蘭」「キャンディーズ」

所属事務所公式サイト

 

ソニー・ミュージック「伊藤蘭」