子門 真人(しもん まさと/本名:藤川 正治[ふじかわ まさはる]/1944年1月4日~)は、日本の元歌手、元音楽プロデューサー。
旧芸名・別名義は藤 浩一(ふじ こういち)、谷 あきら(たに あきら)など多数。




東京都目黒区出身。
3人兄弟の末っ子で兄と姉がいる。
幼少時は引っ込み思案な性格であり、それを心配した母の勧めにより児童劇団「チャイム」に所属していた。その際に劇団へ講師として訪れた菊池俊輔と対面している。後年再会した際に、子門は対面していたことを覚えていたが、菊池は失念していた。
 

高校2年生の時、クラシックの声楽を学ぶが、当時はサラリーマンを目指しており、歌手になるつもりはなかった。

 

大学4年時、忘年会でフォークソングを歌い、友人の勧めで歌手に興味を持ち始める。
熱心な日本聖公会のクリスチャンであり、芸名の「子門(シモン)」も聖書に由来するとされ、自身の洗礼名から名付けたという説もある。彼がクリスチャンになったのは玉川大学在学時である。また、「真人」は中学生時代の友人の名前から拝借したものである。

玉川大学文学部英米文学科卒業。

 

1966年5月、「藤 浩一」名義でデビューシングル“故郷の悲しき星/ 涙のギター” をリリース、歌謡曲の歌手として日本グラモフォン(ポリドール・レコード=現:ユニバーサル ミュージック)からデビューした。このデビュー曲は1万枚を売り上げた。
同年8月、2枚目のシングル“黄色いレモン / 涙のナイトトレイン”(作詞:橋本淳/作・編曲:筒美京平)をリリース。“黄色いレモン”は筒美の作曲家デビュー作であり、望月浩(同年9月5日、東芝レコード/東芝音楽工業)等と競作となった。

 

藤 浩一名義でシングル盤5枚を出すが、ヒットに恵まれず1年半後に引退する。

 

1968年、フジ音楽出版(現:フジパシフィックミュージック)に入社。

その後もスタジオ・ヴォーカリストとして音楽活動自体は継続して行い、GSグループへの楽曲提供を行ったり、アルバイトとしてCMソングを歌っていた。


1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』のオープニング(以下「OP」)主題歌“レッツゴー!! ライダーキック”(作詞:石森章太郎/作・編曲:菊池俊輔)を再び「藤 浩一」名義で歌唱。同曲は番組開始以前から主演の藤岡弘と藤浩一の両ヴァージョンを録音。第1~13話は藤岡弘Ver.が使われたが、第9・第10話の撮影中に藤岡がオートバイで転倒し全治3~6か月の重傷を負ったため第14話から一時降板、これ以降88話まで藤浩一Ver.がOPに使用された。同曲のEP盤は朝日ソノラマと日本コロムビアの競作となり、番組の爆発的な人気とともに130万枚(資料によっては90万枚)を超える大ヒットとなった。

 

なお、同番組OPは89話からは“ライダーアクション”(作詞:石森章太郎/作・編曲:菊池俊輔)がエンディング(以下「ED」)からの移動という形で使用されたが、同曲から「子門真人」名義となった。

 


1972(昭和47)年4月1日放送開始の『快傑ライオン丸』(~1973年4月7日)挿入歌“ライオン丸のバラード・ロック”(作詞:しのだとみお/作・編曲:筒井広志)を歌唱。

 

同年、円谷音楽出版に歌手ではなく社員として「転職」。楽曲管理の総責任者を務める傍ら、子門真人名義で『レッドマン』(1972[昭和47]年4月24日~10月3日)主題歌・イメージソングや『ファイヤーマン』(1973[昭和48]年1月7日~7月31日)等、「谷あきら」名義で『トリプルファイター』(1972[昭和47]年7月3日~12月29日)主題歌や『ジャンボーグA』(1973[昭和48]年1月17日~12月29日)主題歌他、円谷プロダクション製作の特撮テレビドラマの主題歌や挿入歌等を多数手がける。

 

 

 

 

円谷作品の他にもこの時期、多くのアニメソング・特撮ソングの歌唱を担当。

 


1972[昭和47]年10月1日~1974[昭和49]年9月29日、テレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』第1話~第22話ED/第23話~第105話OP“ガッチャマンの歌”(作詞:竜の子プロ文芸部/作曲:小林亜星/編曲:ボブ佐久間/歌:子門真人・コロムビアゆりかご会)を歌唱。

 

1973[昭和48]年2月17日~1974[昭和49]年2月9日、特撮テレビドラマ『仮面ライダーV3』全52話で、二代目ED主題歌“走れハリケーン”や挿入歌を歌唱。

 

『流星人間ゾーン』(1973[昭和48]年4月2日~9月24日)は全26話の東宝映像制作の特撮テレビドラマで、OP主題歌“流星人間ゾーン”、ED主題歌“流星ビクトリー”を少年少女合唱団みずうみとともに歌唱。

 

『空手バカ一代』(1973[昭和48]年10月3日~1974[昭和49]年9月25日)OP主題歌“空手バカ一代”(作詞:梶原一騎/作曲:平尾昌晃/編曲:小谷充)を「大安蓮」名義で歌唱。

 

『侍ジャイアンツ』で第25話(1974年3月24日)のみに使用されたOP主題歌“王者!侍ジャイアンツ”(作詞:梶原一騎/作曲:政岡一男)を「ロイヤルナイツ」のバックコーラスで歌唱。第26話からはロイヤルナイツ歌唱のヴァージョンが使用された。

 

『電人ザボーガー』(1974[昭和49]年4月6日~1975[昭和50]年6月29日)は全52話が放送された特撮テレビ番組。OP主題歌“戦え!電人ザボーガー”(作詞:上原正三/作・編曲:菊池俊輔)、EDテーマ“おれの兄弟 電人ザボーガー”(同上)を歌唱、両曲とも2011年の映画『電人ザボーガー』で挿入歌として使用された。


『仮面ライダーアマゾン』(1974[昭和49]年10月19日~1975[昭和50]年3月29日)、NET系で全24話放送された特撮テレビドラマ作品、オープニング主題歌“アマゾンライダーここにあり”(作詞:石ノ森章太郎/作・編曲:菊池俊輔)を歌唱。


『勇者ライディーン』(1975年4月4日~1976年3月26日)OP主題歌“勇者ライディーン”(作詞:山川啓介/作・編曲:小森昭宏/歌:子門真人・コロムビアゆりかご会)、ED主題歌“おれは洸だ”(同上)等を歌唱。それまで特撮ソング中心だったが同番組で初めて正規にロボットアニメの歌を担当した。

 

 

『仮面ライダーストロンガー』(1975年4月5日~12月27日)は全39話が放送された毎日放送・東映制作の特撮テレビドラマの初代ED“きょうもたたかうストロンガー”(作詞:八手三郎/作・編曲:菊池俊輔/歌:子門真人・堀江美都子)等を歌唱、ただし同曲の子門Ver.は第1・2話のみで、第3話以降31話までは「水木しげる・堀江美都子」の歌唱に差し変わった。

 


1975(昭和50)年10月、『ひらけ!ポンキッキ』内で“およげ!たいやきくん”(作詞:高田ひろお/作・編曲:佐瀬寿一)を生田敬太郎が歌唱。すると、リクエストカードやテレビ局へのレコード発売の問い合わせが殺到した。その後、生田は他のレコード会社と専属契約を結んだため、11月末で生田ヴァージョンは終了。12月9日から子門へ交代して放送を再開し、子門歌唱で12月25日にテレビ局系列のキャニオンレコ―ドより番組からのシングル第二弾として発売したところ大ヒット。オリコンチャートで史上初のシングルチャート初登場1位、11週連続1位を記録。翌1976年には第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞し、子門の代表曲となった。これを機に子門はテレビ番組に頻繁に出演するようになり、この頃のアフロヘアーと眼鏡という出で立ちが世間に印象付けられる。なお、歌手を副業と捉えていた子門は“およげ!たいやきくん”を歌唱したギャラを印税ではなく買取とし、その金額は5万円、カップリングの“いっぽんでもニンジン”を歌った「なぎらけんいち」(なぎら健一)は3万円だったという。ただし、子門には後にヒットを記念してレコード会社から100万円と白いギターが1本贈られたとされる。

 

 

続けて『ひらけ!ポンキッキ』から発売された“パタパタママ”とのカップリングの“ホネホネロック”(作詞:高田ひろお/作曲:佐瀬寿一)も大ヒットした。

 

同年、円谷プロダクション製作の特撮ドラマ『ウルトラセブン』のハワイでの放映に際し、現地向けのハワイ版主題歌“THE THEME SONG OF <ULTRA-7>”と挿入歌“ULTRA-7”を英語詞で歌唱。

 


1980(昭和55)年、西友ストアー主催のミュージカルである西友ファミリー劇場の『翔べイカロスの翼』に主演。


1982(昭和57)年、西友との縁から、同じセゾングループの広告代理店「SPN」(現:I&S BBDO)に課長待遇で入社し、芸能界を一時引退する。

SPNでは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当した。


1986(昭和61)年、SPNを退職。退職理由は部長(管理職)昇進により制作現場から遠ざかることを懸念したのと、ミュージカル制作に挑戦する意向があったため。
同年、芸能界に復帰。


1987(昭和62)年、再びフリーの歌手に転向。
同年、『ひらけ!ポンキッキ』の「動く図鑑コーナー」の挿入歌“はたらくくるま2”が話題になる。

 

相前後して、テレビアニメ『マシンロボ クロノスの大逆襲』(1986年7月3日~1987年5月28日)の二代目主題歌“勝利のマシンロボ”(作詞:伊藤アキラ/作・編曲:渡辺宙明)で、久しぶりにアニメソングを収録。

 


1988(昭和63)年2月5日、NHK『みんなのうた』で1987年12月~1988年1月に放送された“にが虫おじさん”(作詞:平野肇/作曲:西島三重子/編曲:平野融)をキングレコードからシングルとして発売。同曲は『みんなのうた』で放送された指紋にとって初めての楽曲。

 


1990年代には『Aランクサンダー 誕生編』、『究極戦隊ダダンダーン』などのゲーム主題歌や、ラジオ番組『青春ラジメニア』のテーマソングを手掛ける。

 

 

1989年10月10日「第2回青春ラジメニアファンの集いin堺」、1991年3月27日「青春ラジメニアファンの集い」、1992年3月26日「青春ラジメニアファンの集い」の公開収録の場でアニメソングを披露している。
 

 

1993年頃、再び芸能界を引退したとされている。
引退後、公式にはマスメディアへの露出を一切しておらず沈黙を貫いている。


1997年から2003年にかけて、ベストアルバム『子門真人ヴォーカルコンピレーション』シリーズがリリース。当初は日本コロムビアとバップの2社による合同企画であったが、後にポニーキャニオンとソニー・ミュージックエンタテインメントが参加し、4社から計8枚のアルバムがリリースされた。複数の会社にまたがって発売されたものの、ジャケットのデザイン意匠は色違いなだけで統一されている。なお、第1弾である<赤盤>と<青盤>の名称はビートルズのベストアルバムの通称に由来する。

 

 


また上記シリーズとは別に、ベストアルバムとして2010年にポニーキャニオンより『子門真人 ベスト・コレクション』が、2015年に日本コロムビアより『ベスト・オブ・ベスト 子門真人』がリリースされている。

2015年リリースの『ベスト・オブ・ベスト 子門真人』の収録曲は以下の通り。

1.レッツゴー!!ライダーキック
2.仮面ライダーのうた
3.ロンリー仮面ライダー
4.ライダーアクション
5.レッドマン
6.夕陽のレッドマン
7.トリプルファイターのうた
8.ガッチャマンの歌
9.アイアンキング
10.ファイヤーマン
11.ジャンボーグA
12.走れハリケーン
13.キカイダー01(ゼロワン)
14.戦えイナズマン
15.戦え!電人ザボーガー
16.アマゾンライダーここにあり
17.アマゾンダダダ!!
18.きょうもたたかうストロンガー(子門真人/堀江美都子Ver)
19.勇者ライディーン
20.おれは洸だ
21.およげ!たいやきくん
22.UFO戦士ダイアポロン
23.ホネホネ・ロック
24.カモン!アステカイザー
25.行け!ボーンフリー

 




(参照)
Wikipedia「子門真人」「ひらけ!ポンキッキ」