ドナ・サマー(Donna Summer/出生名:LaDonna Adrian Gaines/1948年12月31日~2012年5月17日)は、アメリカ合衆国の歌手、ソングライター。



マサチューセッツ州ボストン近郊のドーチェスター出身。
肉屋の父親と、学校の先生である母親との間に、7人の子どものうち3番目として生まれた。

1968年にミュージカル『ヘアー』(Hair)のヨーロッパ公演でデビュー。
同年、ポリドールで彼女の最初のシングル、ミュージカル『ヘアー』(Haare [Hair])からの楽曲“アクエリアス”のドイツ語バージョン"Wassermann"をリリースした。


1969年に、彼女はフィリップスレコードでシングル“If You Walkin' Alone”をリリースした。


彼女は1973年にオーストリアの俳優ヘルムートソマーと結婚し、同じ年に娘(ミミと呼ばれる)ナタリアピアメラニーソマーを出産した。

1970年代にジョルジオ・モロダーのプロデュースにより、ディスコ・ミュージックの第一人者として活躍し「ディスコの女王」(Queen of Disco)と呼ばれ、一世を風靡。

1974年、アルバム『Lady of the Night』からのシングル"The Hostage"がオランダで2位となった他、タイトルトラック“Lady of the Night”がオランダで4位、ドイツで40位のヒットとなった。

 

 

1975年、同年、コロンビアレコードに移籍。
シングル "愛の誘惑"(Love to Love You Baby)が全米2位・全英4位と大ヒット。

 

 

1976年、“恋はマジック”"Could It Be Magic"全米52位・全英40位。
"愛のたわむれ"(Try Me, I Know We Can Make It)が全米80位。

1977年、“アイ・フィール・ラヴ"(l Feel Love)をリリースし、全米6位・全英1位。


1978年、"ラスト・ダンス"(Last Dance)が全米3位・全英51位。

 

"マッカーサー・パーク"(MacArthur Park)が全米1位・全英5位。


1979年、"ホット・スタッフ"(Hot Stuff)が全米1位・全英11位と大ヒット。全米ナンバーワンになった彼女の7枚目アルバム『華麗なる誘惑』(Bad Girls)に収録された。

 

 

"バッド・ガールズ"(Bad Girls)が全米1位・全英14位。

 

"Dim All the Lights"全米2位・全英29位。

 

"ノー・モア・ティアーズ"(No More Tears [Enough Is Enough])全米1位・全英3位。


1980年、デヴィッド・ゲフィン率いるゲフィン・レコードへ古巣のカサブランカ・レコードから移籍。
同年、"The Wanderer"全米3位・全英48位。

1982年、“恋の魔法使い”(Love Is in Control [Finger on the Trigger])全米10位・全英18位。

1983年、"情熱物語"(She Works Hard for the Money)全米3位・全英25位。


1989年、"This Time I Know It's for Real"全米7位・全英3位。


1990年代から2000年代にかけては目立ったヒット曲はないが、元祖ディスコクイーンたる由縁か、ビルボードのダンスまたはクラブ・チャートにおいてトップ10入りする常連であった。

1992年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した。

2008年5月に9年ぶり(オリジナルアルバムとしては17年ぶり)となる『Crayons』を発表、ここからのシングル3曲“I'm a Fire”、“Stamp Your Feet”、“Fame (The Game)”そして“To Paris With Love”が2008年から2010年にかけて4曲連続でビルボードのダンス・チャートで1位を記録。“To Paris With Love”は、彼女にとってビルボードの各シングル・チャートにおける通算22曲目の1位となった。

 

 


2012年5月17日朝、フロリダ州ネイプルズで、肺がんのため死去。享年63歳。 なお、彼女は喫煙者ではなかった。

2013年、ロックの殿堂入りを果たした。
授賞式ではケリー・ローランドがプレゼンターを務め、彼女の家族が受賞し、ジェニファー・ハドソンが“バッド・ガール”、“ラスト・ダンス”のカヴァーを披露した。



(参照)
Wikipedia「ドナ・サマー」「Donna Summer」(英語版)