山崎 まさよし(やまざき まさよし/本名:山崎 将義/1971[昭和46]年12月23日~)は、日本のシンガーソングライター、俳優。愛称は「まさやん」。



滋賀県大津市生まれ、山口県防府市育ち。
大津市で生まれ、小学校3年の手前まで草津市で暮らす。
8歳の時に山口県防府市に移る。

引っ越し先で友達ができていくきっかけが地元の太鼓の練習であった。
同市立牟礼中学校に入学。中学生になると本格的に音楽活動を始める。
当時はドラマーであり、多くのバンドを掛け持ちしていた。

山口県立防府西高等学校卒業後、しばらく厨房で働いた。
1990年頃から日中は中関港のマツダ防府工場で、船内の自動車をベルトで固定する荷役の労働に従事して、夜は周南市にあるライヴハウス「Boogie House」でライヴ活動をするという日々を1年半過ごした。この「BoogieHouse」に出演交渉に行った際、「ライヴをやりたいけど、どういうスタイルでやればいいのか分からない」と悩んでいた山崎だったが、マスターの森永正志(2012年食道ガンで逝去)は「ブルースはどうか」と、カセットテープにライトニン・ホプキンスを吹き込み手渡した。山崎はカセットを聴き非常に感銘を受け、ギターの弾き語りと作詞・作曲、いわゆるシンガーソングライターとしての活動を本格的に始めるようになった。その後も森永との師弟関係は続き、後に山崎は公式ファンクラブを立ち上げることになった際に、このライヴハウスの名前から「BOOGIE HOUSE」と名付けている。

1991(平成3)年、レコード会社「キティ・レコード」と映画製作会社「キティ・フィルム」を混同し、キティ・フィルム主催のアクター・オーディションを受けてしまうというミスをやらかす。同オーディションは応募者が1000人以上という規模の大きいものであったが、俳優のオーディションだと山崎が気づいたのは、同年7月に行われた東京での最終審査の直前であったという。最終審査の場で、山崎は自作の歌“Rough Rock'n Roll Boogie”、“中華料理”を歌い、「新人歌手のオーディションだったら間違いなく合格」という評価を受けるものの、歌手のオーディションではなかったため、審査員特別賞に終わった。しかし、「歌える役者が欲しい」という目的で審査員をしていたキティ・レコードの音楽プロデューサーに見いだされ、1993年春にキティ・レコードと契約・上京することが内定。山崎は帰郷後デモテープ制作に没頭するものの、何故か1992年10月に上京。上京直後はその音楽プロデューサーの家(恵比寿)に居候していたという。程なく横浜市桜木町に居を構え、マネキン人形運びのアルバイトをする傍ら、オリジナル曲の制作も行いつつ、ライヴハウスへの出演や杏子へ楽曲提供、CMソングの仕事や永瀬正敏・三上博史のアルバムにスタジオ・ミュージシャンとして参加するなど下積み時代を過ごす。

1992(平成4)年11月、RCサクセションの“トランジスタ・ラジオ”のカヴァーを、キティレコードからシングルとしてリリース。

1994(平成6)年3月、フジテレビ系深夜番組『寺内ヘンドリックス』に準レギュラー出演。
この時期、山崎自身のアルバム・レコーディングも開始されたが、キティ・レコードの経営悪化に伴い、山崎のデビュー話が浮く形になる。山崎を見出した音楽プロデューサーはキティ・レコードを退社。その音楽プロデューサーが別のレコード会社に山崎を売り込みに行き、山崎はひたすら創作に没頭するという「不遇の時代」を過ごす。なお、この音楽プロデューサーは後に山崎のチーフマネージャーになっている。


1995(平成7)年初頭にポリドール・レコードと契約がまとまる。
同年9月にシングル“月明かりに照らされて”でメジャー・デビュー。デビュー時のキャッチコピーは「天才より凄いヤツ」。

 


1996(平成8)年2月、セカンドシングル“中華料理”をリリース。

 

4月、約2年のレコーディングを経て完成したファースト・アルバム『アレルギーの特効薬』を発表。

9月、シングル“セロリ”を発売、本曲は後にSMAPによりカヴァーされ大ヒットする。

 

12月、イベント・ライヴ「Act Against AIDS」に参加(以降も不定期で数回出演)。

 

1997(平成9)年1月、初の主演映画『月とキャベツ』(監督・篠原哲雄)が公開(文部省推薦映画)。映画のテーマ曲“One more time, One more chance”もほぼ同時期に発売、徐々にチャートを上昇するロング・ヒットとなり、一躍知名度が上がった。

 

5月8日、シングル“アドレナリン”をリリース。


5月21日、“セロリ”や“One more time, One more chance”、アドレナリン”などを網羅、ライヴで頻繁に歌われる楽曲が多く収録されたアルバム『HOME』をリリース、オリコン・アルバムチャートで最高4位を記録した。

 


1998(平成10)年4月、北海道札幌市にあるZepp Sapporoのこけら落しライヴ「福耳」に杏子、山崎まさよし、スガシカオの3人で出演、これが音楽ユニット「福耳」の実質的な誕生である。
5月13日、シングル“水のない水槽”をリリース。

 

10月、初めての連続テレビドラマ『奇跡の人』(YTV系、1998年10~12月)に主役級で抜擢される。主題歌の“僕はここにいる”はオリコン・シングルヒットチャート初登場3位を獲得し、自身初のベスト3入りとなった。

 

12月23日、アルバム『ドミノ』をリリース、オリコン3位。

 

この1998年について山崎は、シングル曲を決める際に初めて自己主張をして“水のない水槽”がシングル化された点を挙げ、「自我が目覚めた年」と後に語っている。


1999(平成11)年7月末、NHKの番組企画でアメリカ合衆国ミシシッピ州に赴き、伝説のブルーズマン「ハニーボーイ・エドワーズ」や名ブルーズプレイヤーの「R.L.バーンサイド」等とブルーズセッションをした。
11月、3か月独りでスタジオにこもって制作したというアルバム『SHEEP』を発表。オリコン2位。

 


2000(平成12)年2月、アルバム『SHEEP』より“やわらかい月”を別アレンジにてリリース、リカットされた初めての楽曲となった。本曲は、NHK水曜ドラマ『ただいま』の主題歌に起用され、同ドラマには本人役で出演もした。

 

7月5日、“明日の風”をリリース、本人出演の日立マクセルCMソングに起用。

 

9月2日、立川昭和記念公園で3万人の野外コンサートを催行。
9月25日、デビューから丸5年を迎えたこの日、初のライヴ・アルバムをリリース。


2001(平成13)年6月、5thフル・アルバム『transition』を発表。オリコン3位。

 

7月には十代を過ごした防府市・中関港特設会場にて、当時恒例イベントになりつつあった「Augusta Camp 2001」が開催される。


2002(平成14)年5月、ライヴ録音シングルとしてリリースした“心拍数”(各地域編合わせ10タイトルを同時リリース)が、同一曲の同時10曲TOP50入りのチャート寡占記録を達成。

 

テレビ番組企画で、ワールドライヴツアー中のポール・マッカートニーを訪ね、本人の前で“All My Loving”をアコースティック・ギターによる弾き語りで披露した。
同年、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ 2002」にも出演した。


2003(平成15)年3月、約2年振りにスタジオ録音されたシングル“全部、君だった。”が発売。本シングルで、DVDが一緒にパッケージされた初回限定盤が初めて生産された。

 

6月、同じく2年ぶりとなるスタジオ・アルバム『アトリエ』もリリース。本アルバムのジャケットでは、本人が描いた自画像が使用された。オリコン3位。

 


2004(平成16)年4月、阪神・淡路大震災復興チャリティ・コンサートに参加。
5月19日、シングル“僕らは静かに消えていく”をリリース、花王「ハミング1/3」CMソングに採用。

 

8月、さだまさしが故郷長崎市で開催している平和祈念無料コンサート「2004 夏 長崎から さだまさし」へ初参加。これらのイベント以降も、夏から秋口にかけて全国各地で開催された野外ライヴへ積極的に参加した。また、同年発表された2枚のシングル“僕らは静かに消えていく”、“ビー玉望遠鏡”では、前者が約30分に及ぶショート・フィルム、後者は長野県上田市へ赴いて現地の学校で撮影された個性的なMVがそれぞれ制作された。


2005(平成17)年、メジャー・デビュー10周年を迎える。
4月13日、シングル“メヌエット”をリリース。
映画『8月のクリスマス』(監督・長崎俊一)に主演。同名タイトルの主題歌のみならず、劇中の音楽も手がけた。
9月21日、初のベストアルバム『BLUE PERIOD』とシングルB面 + 初CD化&レア・トラック集となるアルバム『OUT OF THE BLUE」をリリース。後者にはブリヂストンCMソング“どこまでも行こう”(作詞・作曲:小林亜星)のカヴァー、ハウス食品 「ハウスシチュー」 CMソング“お家へ帰ろう”(作詞:山崎将義/作曲:中村キタロー)等を収録。

 

 

 

同年暮れには、『第56回NHK紅白歌合戦』に初出場。初めてのベスト・アルバムも2作同時にリリース、1年を通じて3パターンのライヴを開催する等、精力的な活動が繰り広げた。


2006(平成18)年3月、FM山口の開局20周年記念イベントに参加。
4月、以前からイベント等で共演していたChar、奥田民生と山崎による音楽ユニット「三人の侍」名義で初のライヴ・ツアーを開催。
その後、通算7枚目のフル・アルバム『ADDRESS』をリリース、オリコン3位となった同アルバムに連動したツアーも開催した。

 

12月には音楽を担当した映画『酒井家のしあわせ』(監督・呉美保)が公開。映画本編には出演せず、音楽のみを担当した初作品となった。


2007(平成19)年、短編アニメーション映画『秒速5センチメートル』(監督・新海誠)の主題歌に“One more time, One more chance”が使用される。同曲が映画の主題歌に使われるのはこれで2回目である。
10月、洋楽・邦楽それぞれを独自の解釈でカヴァーしたアルバムを2枚同時に発表。選曲はスタッフからリクエストを募った後、練りながら決めたものとされる。
年末時期にはアルバムを携えたライヴ・ツアーを実施し、追加公演も開催した。


2008(平成20)年3月、久しぶりのテレビドラマ主題歌となる“真夜中のBoon Boon”をリリース。使用されたテレビドラマ『あしたの、喜多善男』へのゲスト出演も果たした。

 

同年夏、10周年を迎えた「福耳」の一員として幾つかの音楽番組へ出演。同ユニットの一員でもある男性デュオ・COILのトリビュート・アルバム『10th Anniversary Songs〜tribute to COIL』へも参加している。
11月、丸の内ビルディングにて開催されたクリスマスツリーの点灯式イベントに参加。発売前だった新曲“Heart of Winter”を披露した。


2009(平成21)年、ファンクラブ・イベントツアーを開催後、全国を回るライヴ・ツアー「Walkin' in my shoes Tour 2009」を敢行。
4月1日、シングル“春も嵐も”をリリース。

 

5月13日、通算8枚目のフル・アルバム『IN MY HOUSE』が発表された。オリコン2位。

 

10月には同年7月中国・九州北部豪雨で甚大な被害を受けた防府市の被災者を支援するチャリティライヴを防府市公会堂で開催。
12月、前出のライヴ・ハウス「Boogie House」が25周年を迎えたことなどを受け、同会場でスペシャル・ライヴを実施。その模様は、翌2010年にファンクラブ内限定商品としてCD化・DVD化がなされた。


2010(平成22)年、メジャー・デビュー15周年を迎えた。
7月、東京ミッドタウンにて開催されたラジオ番組の公開イベントにゲスト出演、
同月には2010年代初となるシングル“HOBO Walking”を発表。
8月、都立夢の島陸上競技場で開催された夏の恒例イベント「Augusta Camp 2010」に参加。当公演では15周年を迎えた山崎の楽曲を、出演者がステージ替えのインターミッション時にカヴァーする企画があった。
9月29日、翌月発売の9枚目のフル・アルバム『HOBO's MUSIC』からの先行シングル“花火”をリリース、

 

 

同時に、オフィスオーガスタ所属歌手が新たに山崎の楽曲をスタジオ録音したトリビュート・アルバム『HOME 〜山崎まさよしトリビュート〜』が発売された。
同年11月~2011(平成23)年3月、ワンマンライヴ・ツアーを催行。


2011(平成23)年4月、「15周年記念最終プロジェクト」と題され音源化・映像化もされたオーケストラ・スタイルのライヴを実施。
11~12月、10年ぶりのスタンディング・ライヴツアー、年末には東日本大震災により公演中止となったいわき芸術文化交流館アリオスで「YAMAZAKI MASAYOSHI 2011 総決算ライブ」と年間を通じた自身単独公演の他、イベント・ライヴや震災復興支援コンサートへの参加など、精力的なライヴ活動が実施されている。


2013年9月18日、アルバム『FLOWERS』をリリース、映画『キタキツネ物語 -35周年リニューアル版-』オープニング曲となった“はじまりのDing Dong ”や同主題歌の“道”等を収録。 

 


2014(平成26)年6月11日、“心の手紙”をリリース、映画『春を背負って』主題歌に採用。

 


2015(平成27)年8月19日、ベストアルバム第二弾『ROSE PERIOD 〜the BEST 2005-2015〜』と『UNDER THE ROSE 〜B-sides & Rarities 2005-2015〜』をリリース。 

9月23日、“21世紀マン (20th anniversary ver.) ”をリリース
12月、『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』の主題歌に“空へ”を書き下ろした。

 

 

2016(平成28)年3月2日、“空へ”をシングルリリース。


2019(令和元)年、横山秀夫原作の映画『影踏み』で14年ぶりに長編映画の主演を果たし、主題歌“影踏み”及び劇中音楽も担当。監督の篠原哲雄とは、自身初の主演映画である1997年の『月とキャベツ』以来、22年ぶりのタッグとなった。
11月、通算12枚目のオリジナルアルバム『Quarter Note』を発表した。

 


2020年12月23日、『山崎まさよし Live Online “ONE KNIGHT STAND 2020″』バースデー配信ライブ開催。








(参照)
Wikipedia「山崎まさよし」
「オフィスオーガスタ」公式サイト「山崎まさよし」
office-augusta.com/yama