モーリス・ホワイト(Maurice White/1941年12月19日~2016年2月3日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、音楽プロデューサー。アース・ウィンド・アンド・ファイアーのリーダーとして有名。



1941年、テネシー州メンフィスにて生まれる。
1953年にドラムを始める。

17歳の時に両親とともにシカゴに引っ越す。
シカゴ音楽院に通い、ベティ・エヴェレトのバンドからキャリアをスタートした。
チェス・レコードより電話をうけ、バンドのオーディションを仕切ることになり、彼は専属ドラマーとなり教育を受けた。
1966年、ジャズピアニストのラムゼイ・ルイスのバンドに、脱退したドラマーの後任として加入する。
この頃よりライヴでカリンバを演奏している。

1969年にラムゼイの下を離れ、自身のグループ「ソルティ・ペパーズ」を結成し、キャピトル・レコードからシングルを残す。これがアース・ウィンド・アンド・ファイアーの前身となる。

1970年にモーリスは占星術によると土、風、火の要素があるからと言う事からと、宇宙論を結びつけ、アース・ウィンド・アンド・ファイアー(Earth, Wind & Fire=「土と風と火」の意、以後「EWF」)と改名した。
また拠点をロサンジェルスに変え、ワーナー・ブラザース・レコードと契約した。兄弟の

ヴァーダインにフレッドを含めた10人の大所帯バンドとなる。2作リリースするがヒットはせず。

1972年にコロムビア・レコードに移籍し、フィリップ・ベイリー(Philip Bailey)が加入。

フィリップとモーリスのツインヴォーカル、重厚なホーン・セクションが特徴となる。

コロムビアには以後1990年まで在籍する。

1973年、アルバム『ブラックロック革命』(Head to the Sky)をリリース、US 200(以下「全米」)27位/US R&Bチャート(以下「R&B」)2位。

1974年、アルバム『太陽の化身』(Open Our Eyes)をリリース、全米15位/R&B1位。

 

同年、シングル"Mighty Mighty"がUS HOT 100(以下「全米」)29位 /US R&Bチャート(以下「R&B」)4位、"Kalimba Story"が全米55位/R&B6位を記録した。


1975年、この年公開の映画『暗黒への挑戦』(That's the Way of the World)のサウンド・トラックをリリース。同作品は全米で3週間1位になり、プラチナ・ディスクを獲得、タイトルトラック"暗黒への挑戦"(That's the Way of the World)が全米12位/R&B5位とヒットしたが、映画はヒットせず。なお、この映画にはモーリスたちEWFの面々も「ザ・グループ」の役名で出演している。

 

 

この年、シングル"Shining Star"が初めて全米およびR&BチャートでNo.1に、"Sing a Song"が全米5位/R&B1位になった。

 

同年、ライヴアルバム『灼熱の狂宴』(Gratitude )をリリース、LP2枚組でSide1~3がライヴ音源、Side4がスタジオるバムという構成。全米1位/R&B1位を記録。本作よりアルバムジャケットのアートワークを長岡秀星が担当。


1976年、自己プロダクション「カリンバ・エンタテインメント」を設立。"Boogie Wonderland"に

参加したエモーションズやデニース・ウィリアムス、ラムゼイ・ルイス等をプロデュース

している。
同年、アルバム『魂』(Spirit)をリリース、全米2位/R&B2位を記録。

 

シングル"Can't Hide Love"が全米39位/R&B11位、"Getaway"が全米12位/R&B1位、"Saturday Nite" が全米21位/R&B4位を記録した。

 

 

1977年、アルバム『太陽神』(All 'N All) をリリース、全米3位/R&B1位を記録。

 

シングル"太陽の戦士"(Serpentine Fire)が全米13 位/R&Bチャート1位、『太陽神』からのシングルカット“宇宙のファンタジー”(Fantasy)は全米32位/R&B 12位と本国アメリカでのセールスは今一つだったが、日本では当時のディスコブームに乗り人気を博し、1978年6月19日付のオリコン洋楽シングルチャートで1位を獲得した。また、全英シングルチャートでは最高14位まで達し、スウェーデンチャートでは2週に渡り8位を記録した。

 


1978年、ビートルズのカヴァー"Got to Get You into My Life"をシングルリリース、全米9位 /R&B 1位を獲得。また、EWFの代表曲となる"セプテンバー"(September)が全米8位 / R&B 1位、"ブギー・ワンダーランド"(Boogie Wonderland with The Emotions)が全米6位 / R&B 2位とヒットを連発した。"ブギー・ワンダーランド"は当時アースに全面バックアップを受けていたエモーションズがバックコーラスとして参加した。

 

 

 

同年、CBS/コロムビアの元、ARCレコードを設立。
初のベストアルバム『ベスト・オブ・EW & F VOL.1』(The Best of Earth, Wind & Fire Vol.1 )をARCからリリース、全米6位/R&B 3位を記録。


1979年、アルバム『黙示録』(I Am)をリリース、全米3位/R&B1位。

 

同年、シングル"After the Love Has Gone"をリリース、AORの作曲家デイヴィッド・フォスター、ジェイ・グレイドン、ビル・チャンプリンから提供を受けた本曲は、

全米2位 / R&B 2位の大ヒットとなった。


1980年、アルバム『フェイセス』(Faces)をリリース、全米10位/R&B 2位。

 

1981年、アルバム『天空の女神』(Raise!)をリリース、全米5位/ R&B1位。


同年、シングル"Let's Groove" をリリース、全米3位 / R&B 1位と久々にチャート上位に入り、EWF復活を印象付けた。


1983年、アルバム『創世記』(Powerlight)をリリース、全米12位/ R&B4位。

 

同年、『エレクトリック・ユニヴァース』(Electric Universe)をリリース、バンドの売りだったホーンセクションを捨て、電子ドラムやシンセサイザーなど打ち込みによる電子音を多用した意欲作だったが不評を買い、全米40/R&B 8位に終わった。

 

このアルバムをリリース後、活動を一時停止、各メンバーはそれぞれソロ活動に移る。

1985年、モーリスは生涯唯一のソロ・アルバムとなる『Maurice White』を発表、シングルカットされた"アイ・ニード・ユー"(I Need You)がヒットチューンとなる。

 


1987年、EWFは新しいアルバム『Touch the World』をリリースし、活動を再開。

全米33位/R&B3位を記録。


1988年、ベストアルバム『ベスト・オブ・EW & F VOL.2』(The Best of Earth, Wind & Fire, Vol. 2)をリリース、全米190位/R&B74位。


1990年代に入ると、モーリスはプロデューサー業にも力を入れるようになる。
1990年、アルバム『ヘリテッジ』(Heritage)をリリース、全米70位/ R&B 19位。これがコロムビア・レコードからリリースされた最後のアルバムである。


1993年、『千年伝説』(Millennium)をリリース、全米39位/ R&B 8位を記録。ワーナー復帰後の第1弾。プリンス等外部のミュージシャンを呼んでいる。


1994年、EWFの全米ツアーにモーリスは参加せず。

1995年、同年にヴェルファーレで行われたライヴの模様を収めたライヴアルバム『Live in VELFARRE』をリリース。

1996年、自主レーベル「カリンバ・レコード」よりアルバムが制作され、avex traxより『アヴェタ』(Avatar)のタイトルで日本先行発売された。海外版としては、このアルバムは翌年に『In the Name of Love』とリタイトルと再構成され、ライノより翌年にリリースされる。モーリスはこのアルバムを最後に自主レーベルのカリンバの活動、プロデュース業に専念するようになり、以後の活動はフィリップが中心となっている。


1997年、モーリスは神経性障害と診断される。「パーキンソン病ではなく、元々神経質であることと、度重なるストレスから、震えが伴うことがある」とモーリスは発言していたが、後にやはりパーキンソン病を患っていたことが明らかになる。以降のEWFの活動はフィリップが中心となっている。
同年、モーリスはラムゼイ・ルイス等のグループアーバン・ナイツの立ち上げにプロデューサーとして関与している。

2000年、EWFがロックの殿堂入り。同式典の前にパーキンソン病と診断されたことを明らかにし、これを機にステージ活動から退いた。

2003年、アルバム『The Promise』をリリース、全米89位/ R&B 19位と久しぶりに

チャート入りした。


2004年、EWFが来日公演を行い、モーリスも同行したが、これがモーリスの帯同した

最後の公演となった。

2005年、アルバム『Illumination』をリリース、全米32位/ R&B 8位と前作以上のヒットとなった。


2007年にはスタックス・レコード(コンコード・レコードにより復活)より、EWFのトリビュート・アルバム『Interpetations』をリリース。モーリスはエグゼクティヴ・プロデューサーとしてこのプロジェクトに参加。

2008年にはフュージョンミュージシャンのブライアン・カルバートソンのアルバムにもエグゼクティヴ・プロデューサーとして参加している。

2009年12月、4年ぶりの来日公演が東京と大阪、札幌で行われた。この時、翌2010年は結成40周年目の記念としてモーリスを加えての記念ライヴが行われるとアナウンスされたが、バンドでのライヴは実現せず、日本ではフィリップ・ベイリーのソロライヴのみが行われた。

2013年、デビュー40周年を迎えたEWFが、約8年ぶりの新作アルバム『フォーエバー』(Now, Then & Forever)を古巣ソニー・ミュージックからリリース、ラリー・ダンが復帰し、原点回帰をテーマにしたサウンドで、全米11位/ R&B 5位を記録先行シングル“My Promise”は、ホーンがご機嫌なダンス・ナンバーとなった。。国内盤はソニー・ミュージックより発売された。

 


2016年2月3日、モーリス・ホワイトが74歳で死去。様々なミュージシャンを始め、バラク・オバマアメリカ大統領(当時)も追悼のコメントを寄せた。
同年、第58回グラミー賞特別功労賞生涯業績賞を受賞。




(参照)
Wikipedia「モーリス・ホワイト」「アース・ウィンド・アンド・ファイアー」
アース、ウインド&ファイア公式サイト
earthwindandfire.com