ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven/1770年12月16日頃~1827年3月26日)は、ドイツの作曲家、ピアニスト。音楽史上極めて重要な作曲家の一人であり、日本では「楽聖」とも呼ばれる。標準ドイツ語では「ルートヴィヒ・ファン・ベートホーフェン」に近い。



1770年12月16日頃、神聖ローマ帝国ケルン大司教領(現・ドイツ領)のボンにおいて、父・ヨハンと、宮廷料理人の娘である母・マリア・マグダレーナの長男として生まれる。
ベートーヴェン一家はボンのケルン選帝侯宮廷の歌手(後に楽長)であり、幼少のベートーヴェンも慕っていた祖父・ルートヴィヒの援助により生計を立てていた。ベートーヴェンの父も宮廷歌手(テノール)であった。しかし、元来無類の酒好きであったために収入は途絶えがちであって、1773年に祖父が亡くなると生活は困窮した。
1774年頃よりベートーヴェンは父からその才能をあてにされ、虐待とも言えるほどの苛烈を極める音楽のスパルタ教育を受けたことから、一時は音楽そのものに対して強い嫌悪感すら抱くようにまでなってしまった。
1778年にはケルンでの演奏会に出演。
1782年、11歳の時よりクリスティアン・ゴットロープ・ネーフェに師事した。

1787年、16歳のベートーヴェンはウィーンに旅し、かねてから憧れを抱いていたモーツァルトを訪問した。しかし、最愛の母・マリアの危篤の報を受けてボンに戻った。母はまもなく死没し(肺結核)、その後はアルコール依存症となり失職した父に代わっていくつもの仕事を掛け持ちして家計を支え、父や幼い兄弟たちの世話に追われる苦悩の日々を過ごした。

1792年7月、ロンドンからウィーンに戻る途中でボンに立ち寄ったハイドンにその才能を認められて弟子入りを許され、11月にはウィーンに移住し(12月に父死去)、まもなくピアノの即興演奏の名手(ヴィルトゥオーゾ)として広く名声を博した。

20代後半頃より持病の難聴(原因については諸説あり、鉛中毒説が通説)が徐々に悪化。
28歳の頃には最高度難聴者となる。音楽家として聴覚を失うという死にも等しい絶望感から、1802年には『ハイリゲンシュタットの遺書』をしたため自死さえも考えた。しかし、彼自身の音楽への強い情熱をもってこの苦悩を乗り越え、再び生きる意欲を得て新たな芸術の道へと進んでいくことになる。

1804年、交響曲第3番を発表したのを皮切りに、その後10年間にわたって中期を代表する作品が書かれ、ベートーヴェンにとっての傑作の森(ロマン・ロランによる表現)と呼ばれる時期となる。その後、ピアニスト兼作曲家から、完全に作曲専業へと移った。

40歳頃(晩年の約15年)には全聾となり、さらに神経性とされる持病の腹痛や下痢にも苦しめられた。加えて、たびたび非行に走ったり自殺未遂を起こす等した甥・カールの後見人として苦悩するなど、一時作曲が停滞した。しかし、そうした苦悩の中で書き上げた交響曲第9番や『ミサ・ソレムニス』といった大作、ピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲等の作品群は彼の辿り着いた境地の未曾有の高さを示すものであった。

1826年12月に肺炎を患ったことに加え、黄疸も併発するなど病状が急激に悪化し、以後は病臥に伏す。

1827年3月23日には死期を悟って遺書を認めた。病床の中で10番目の交響曲に着手する
同年3月26日、肝硬変のため波乱に満ちた生涯を閉じた。享年58(満56歳没)。
ベートーヴェンの葬儀には2万人もの人々が参列するという異例のものとなった。この葬儀には、翌年亡くなるシューベルトも参列している。
交響曲第10番は未完成のままであった。

2020年12月16日、生誕250年を迎える。

今年の年末も、いろいろあった中、「第九」が響いている。

 

第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125

 

 


ベートーヴェンの主な楽曲

<交響曲>(全9曲)
第1番 ハ長調 op.21
第2番 ニ長調 op.36
第3番 変ホ長調 『エロイカ(英雄)』 op.55

 

第4番 変ロ長調 op.60
第5番 ハ短調 (運命) op.67  「運命」の通称で広く知られるが、実はこれは本人が付けたものではない。

 

第6番 ヘ長調 『田園』 op.68 

 

第7番 イ長調 op.92
第8番 ヘ長調 op.93
第9番 ニ短調 (合唱付き) op.125  第4楽章の主題は、「第九」の“歓喜の歌”としても

親しまれている。

<管弦楽曲>
『レオノーレ』序曲第1番 op.138
『レオノーレ』序曲第3番 op.72b
序曲『コリオラン』ハ短調 op.62
交響曲『ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い』 op.91
『命名祝日』序曲 op.115
『アテネの廃墟』序曲 ハ長調op.113
『献堂式』序曲 ハ長調op.124

<協奏曲、協奏的作品>
ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 『皇帝』 op.73 

 

ヴァイオリン協奏曲ニ長調 op.61
ロマンス第1番 ト長調 op.40
ロマンス第2番 ヘ長調 op.50
三重協奏曲(ピアノ・ヴァイオリン・チェロのための)ハ長調 op.56
合唱幻想曲 ハ短調 op.80

<弦楽四重奏曲>(全16曲)
第7番 ヘ長調(ラズモフスキー第1番) op.59-1
第8番 ホ短調(ラズモフスキー第2番) op.59-2
第9番 ハ長調(ラズモフスキー第3番) op.59-3
第10番 変ホ長調(ハープ) op.74
第11番 ヘ短調『セリオーソ』 op.95
第12番 変ホ長調 op.127
第13番 変ロ長調 op.130
大フーガ 変ロ長調 op.133
第14番 嬰ハ短調 op.131
第15番 イ短調 op.132
第16番 ヘ長調 op.135

<ヴァイオリンソナタ>(全10曲)
第5番 ヘ長調 『春』 op.24

 

第9番 イ長調 『クロイツェル』 op.47

<ピアノ三重奏曲>(全7曲)
第5番 ニ長調『幽霊』 op.70-1
第7番 変ロ長調『大公』 op.97

<その他の室内楽曲>
ホルン・ソナタ ヘ長調 op.17
六重奏曲 op.81b
七重奏曲 変ホ長調 op.20
管楽八重奏曲 op.103

<ピアノソナタ>(全32曲)  
第8番 ハ短調『悲愴』 op.13 ベートーヴェンの3大ソナタうちの一つ

 

第14番 嬰ハ短調 『月光』 op.27-2 ベートーヴェンの3大ソナタうちの一つ

 

第15番 ニ長調 『田園』
第17番 ニ短調『テンペスト』 op.31-2
第21番 ハ長調 『ヴァルトシュタイン』op.53
第23番 ヘ短調 『熱情』 op.57 ベートーヴェンの3大ソナタうちの一つ

 

第26番 変ホ長調『告別』 op.81a
第29番 変ロ長調『ハンマークラヴィーア』 op.106
第30番 ホ長調 op.109
第31番 変イ長調 op.110
第32番 ハ短調 op.111

<その他のピアノ曲>(変奏曲、バガテル等) ※「バガテル」とは「小作品」のような意味。
創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 op.34
創作主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 op.35
『ゴッド・セイヴ・ザ・キング』の主題による7つの変奏曲 ハ長調 WoO.78
『ルール・ブリタニア』の主題による5つの変奏曲 ニ長調 WoO.79
創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80
創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 op.76
ディアベリのワルツによる33の変容(ディアベリ変奏曲) ハ長調 op.120
アンダンテ・ファヴォリ ヘ長調 WoO.57
幻想曲 op.77
ポロネーズ ハ長調 op.89
7つのバガテル op.33
11の新しいバガテル op.119
6つのバガテル op.126
バガテル『エリーゼのために』 WoO.59 1810年4月27日に作曲したピアノ曲で、本来の曲名は“テレーゼのために”であった、という説が有力視されている。


<オペラ、劇付随音楽、その他の声楽作品>
歌劇『フィデリオ』 op.72c
劇付随音楽『エグモント』op.84
劇付随音楽『アテネの廃墟』 op.113 この中の第4曲“トルコ行進曲”が有名だが、

モーツァルトの同名曲とは別の作品。

 

バレエ音楽『プロメテウスの創造物』 op.43
オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』 op.85
カンタータ『静かな海と楽しい航海』 op.112
別れの歌
皇帝ヨーゼフ2世の為の葬送カンタータ WoO.87
 

 

 

クラシックの音源は挙げればきりがないので、

ここではベートーヴェンのCDで初心者に向けたものを、ちょっとだけ。

 

 

 

 

 


(参照)
Wikipedia「ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン」
「ベートーヴェン生誕250周年」記念サイト / ベートーヴェンを聴こう!」
https://sp.universal-music.co.jp/beethoven250th/chronology.php
NHK「ベートーベン250」プロジェクト「あなたが選ぶベートーベン・ベスト10」https://www.nhk.or.jp/lalala/beethoven250/index.html