ギルバート・オサリバン( Gilbert O'Sullivan / 本名: Raymond Edward O'sullivan /

 1946年12月1日~)は、アイルランド出身の歌手、シンガーソングライター。

 

 

出身はアイルランドだが、育ったのはイギリス。

芸名「ギルバート・オサリバン」は劇作家ウィリアム・S・ギルバートと作曲家アーサー・サリヴァンをもじったもの。

 

大学在学中にバンド活動を始めた彼は、1960年代中盤に自らが作詞・作曲を手がけたオリジナル作品のデモテープを制作、あらゆる音楽出版社に売り込む。

 

1967年11月、シングル“Disappear”でCBSよりデビュー。

※リリース年月日は基本的に本国イギリスでのもので、出典はWikipesia英語版。日本その他で発売時期が異なる場合は判る範囲で別途付記。

 

1969年、トム・ジョーンズなどのマネージャーとして知られるゴードン・ミルズの主宰するMAMレコードと新たに契約。

 

1970年10月、シングル“ナッシング・ライムド”(Nothing Rhymed) をリリース。この曲は全英シングルチャートで最高8位まで上昇するヒットになる。またこの曲が収録されたアルバム『ヒムセルフ~ギルバート・オサリバンの肖像』(Himself) は全英チャートで最高5位をマーク、86週にわたってランクインするロングセラーとなった。またアメリカでは全米9位にランクインし、一躍スターダムにのし上がる。

 

1971年7月、“ウィー・ウィル”(We Will)をリリース、全英16位。

11月、“さよならがいえない”(No Matter How I Try)をリリース、全英5位。

 

 

1972年2月、シングル“アローン・アゲイン”(Alone Again - Naturally) がリリースされ、世界的に大ヒット。とりわけアメリカでは『ビルボード』誌の総合チャートで6週連続1位、同誌による1972年の年間シングル・チャートでは1位を記録する程の大成功を収めた。イギリスでは全英シングルチャートで3位を獲得、日本ではオリコン洋楽シングルチャートで1972年10月23日付から5週連続1位を獲得し、1986年9月にテレビアニメ『めぞん一刻』の第24話並びに同年10月公開の実写版映画『めぞん一刻』に“ゲット・ダウン”とともに使用された。さらに“アローン・アゲイン”は1972年、グラミー賞にノミネートされた。

 

同年10月に発売されたアルバム『バック・トゥ・フロント』(Back to front)も全英でNo1を獲得した。なお、同アルバム発売当初、“アローン・アゲイン”は収録されなかったが、本国以外の地域では収録されたものもあり、後にCDで再リリースされた際に追加された。

10月、シングル“クレア”(Clair)をリリース、全英1位・全米2位。

 

同年、シングル“ウー・ワカ・ドゥ・ワカ・デイ”(Ooh-Wakka-Doo-Wakka-Day) をリリース、全英シングルチャートでは8位に入り、アイルランドではシングルチャートで首位になった。

 

1973年3月、シングル“ゲット・ダウン”(Get Down)をリリース、全英1位・全米7位。

※音が大き目なので要注意

 

8月、シングル“ウー・ベイビー”(Ooh, Baby)をリリース、全英18位・全米25位。

 

9月1日、アルバム『I'm a Writer, Not a Fighter』をリリース。

 

11月、シングル"Why, Oh Why, Oh Why"をリリース、全英6位。

 

1974年2月、シングル“ハピネス”(Happiness Is Me and You)をリリース、

全英19位・全米62位。

 

10月、アルバム『A Stranger In My Own Back Yard』をリリース、唯一のシングルカット"A Woman's Place"は全英42位とふるわなかった。

 

1974年11月、シングル“Christmas Song”をリリース、全英12位。日本では“オサリヴァンと愛のクリスマス”として翌1975年にリリースされた。

 

1980年8月、“そよ風にキッス”(What's in a kiss)をリリース、本国イギリスでは19位だったが、日本では独自にヒットした。

 

プロデューサーであったゴードン・ミルズとは家族ぐるみの親交があったが、その後、音楽的な方向性や、さらにロイヤルティーの分配などをめぐって関係が悪化していき、ミルズとの間に決定的な亀裂が生じてしまった。最終的にはオサリバンがミルズを相手取って訴訟を起こす事態にまで発展してしまう。裁判自体は1984年にオサリバン側の勝訴という結果となったが、数年にわたる裁判のために音楽活動は停滞。人気にも翳りが見えはじめ、またオサリバン自身も半ば人間不信に陥ってしまったため、1985年あたりからはチャンネル諸島のジャージー島という人里離れた島で静かに暮らしながらもマイペースに音楽は作り続けていた。

 

総じて1980年代は音楽業界から長らく遠ざかっていたが1990年代からは音楽シーンに

復帰を果たし、自らの半生をモチーフとしたミュージカルのスコアを書くなどの創作活動

を続けている。

 

日本にもオサリバンのファンは存在する。また来生たかおや久保田利伸らとは曲をデュエットもしている。彼自身日本には思い入れが強いようで、日本のアーティストたちとのコラボレーションや数年間隔で来日ツアーを行うなど、彼の仕事は日本がらみのものが多い。

 

1986年3月25日、日本独自編集のベストアルバム『アローン・アゲイン - Alone Again』を

リリース。

 

1990年2月、シングル"So What"をリリース、久しぶりに全英チャートに入ったが、最高位70位に終わる。

 

1991年、来生たかおと“What A Way(To Show I Love You)”を共作、各々が英語詞、日本語詞でリリースしている。来生による日本語詞ヴァージョンのタイトルは“出会えてよかった”。

 

11月、日本でアルバム『あの日の僕をさがして』(Sounds Of The Loop)を先行リリース、イギリスでは1993年4月に『Sounds Of The Loop』がリリースされたが、日本版とは収録曲、曲順が異なる。

 

 

1993年、ギルバートにとって唯一のライヴアルバム『ライヴ・イン・ジャパン - Tomorrow Today;Live in Japan '93』をリリース。

 

 

テレビ・ドラマ、映画などに楽曲が使用されることも多く、その都度その時点の契約レコード会社から新しいベスト盤が発売されている(原盤権は彼の会社が管理している)ため、コンピレーションの類は日本国内のみで発売されたものを含め種類が多い。

 

2004年3月、ベストアルバム『The Berry Vest of Gilbert O'Sullivan』をリリース、全英20位を記録。

 

2005年、日本での公演を記録した初のライヴDVD『ワールドプレミアム アーティストシリーズ 100’s/ギルバート・オサリバン』(Live at duo MUSIC EXCHANGE)がリリース。

 

2013年3月、シングル"Me Mum"をリリース。

 

2015年6月、シングル"Made in Love"をリリース。

 

 

同月、アルバム『ラテン・アラ・G』(Latin Ala G!)をリリース。

 

2016年2月、シングル"No Way"をリリース。

 

2018年8月24日、通算19枚目のスタジオアルバムにして初のセルフタイトルとなった『Gilbert O'Sullivan』をリリース、全英20位を記録。

 

 

 

(参照)

Wikipedia「ギルバート・オサリバン」「Gilbert O'Sullivan」(英語版)

公式サイト

gilbertosullivan.co.uk