NOKKO(のっこ/本名:保土田 信子/旧姓:山田/1963年11月4日~)は、日本の女性シンガーソングライター。「のっこ」名義での活動もある。ロックバンド「レベッカ」 (REBECCA) のヴォーカルを務める。

 

 

 

埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身。

名前の「信子」は生まれ月が11月(November)であることから、祖母により命名された。

浦和市(当時)の玉蔵院付近(現:さいたま市浦和区)や鹿手袋(現:同市南区)、

田島(現:同市桜区)に居住した。

埼玉県立浦和北高等学校卒業。

 

小学生1年生の頃から10年間クラシックバレエを習い、バレリーナを目指していたが、体型の変化や経済的な理由により断念。目標を失っていた時、兄に誘われ、アマチュアバンドのキーボード担当として音楽活動を始める。その後、ヴォーカルに転向して「DOLL」というガールズバンドを結成。

 

1982年2月、ギターの木暮武彦(シャケ)がリーダーとなり、埼玉県内のアマチュアミュージシャンが集まり「レベッカ」を結成。バンド名は木暮がケイト・ダグラス・ウィギンの小説『黒い瞳の少女レベッカ』(Rebecca of Sunnybrook Farm)から引用した。

同年春、高校卒業後にギタリストの木暮武彦に誘われ、レベッカに加わる。

当初は実兄の山田貢司もベーシストとして参加していた。

7月、木暮とNOKKOがデモテープを売り込もうとロサンゼルスへ渡り、バンドは活動停止となる。しかし夢を叶えられず二人は帰国。

 

1983年1月、ベースの高橋教之が加入し、バンドは再始動する。

8月、CBS・ソニーのFITZBEATレーベルのオーディションに合格し、キーボードの土橋安騎夫が加入。

 

1984年4月21日、シングル“ウェラム・ボートクラブ”でデビュー。オリコン週間シングルチャート(以下「オリコン」)圏外。

 

5月21日、1stアルバム『VOICE PRINT』リリース、オリコン週間アルバムチャート(以下「オリコン」)47位。

デビュー時のメンバーは、NOKKO(Vo)、高橋教之(B)、土橋安騎夫(Key)、小沼達也(Ds)、木暮武彦(G)の5人。

11月21日、セカンドシングル“ヴァージニティー”をリリースするもチャート圏外。

 

同日発売の2ndアルバム『Nothing To Lose』をリリースし、オリコン38位。

 

ライヴハウスを中心に徐々にファンを増やしていくが、レコードセールスでは苦戦が続く。

 

1985年1月、音楽的方向性の違いから木暮とドラマー小沼達也が脱退。バンド発起人で、作曲者でもあった木暮の事実上の追放により存続の危機を迎えるが、ギタリスト古賀森男とドラマー小田原豊が加入し、土橋を新リーダーとして再出発した。土橋がサウンドプロデュースを担い、それまでのロック路線からシンセポップ路線にシフト。シンディ・ローパーやマドンナなど同時代の海外女性シンガーのスタイルを採り入れつつ、NOKKOの溌溂とした歌声やダンス、ティーンエイジャーの少女心理を織り込んだ歌詞を前面に押し出した。

 

なお、脱退した小暮と小沼の2人は田所豊(DIAMOND☆YUKAI)、小川清史と新バンドを結成したが、木暮が因縁のある「レベッカ」の名を使い続けようとしたため、一時的に「レベッカ」というバンドが2組存在した。その後、「レベッカ♂」を経て、元のバンドに対する対抗意識から、日本語でも英語でも「レベッカ」の前後に記されるという理由で「どうしても“R”から始まるバンド名にしたかった」と拘った結果、「RED WARRIORS」に改名している。

 

 

1985年4月、新体制でリリースした3枚目のシングル“ラブ イズ Cash”が初めてオリコン30位とチャートインし、3枚目のアルバム『WILD & HONEY』はオリコン6位を記録した。

 

 

6月、日本青年館でワンマンコンサートを行う。

10月、中山秀征の初主演テレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』のOP・EDテーマ曲に4枚目のシングル“フレンズ/ガールズ ブラボー!”が起用され、オリコン3位、売り上げ30万枚の大ヒットを記録する。

 

 

11月1日、4枚目のオリジナルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』を発売すると、オリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録、累計130万枚以上を売り上げた。

 

 

 

1986年5月2日、シングル“RASPBERRY DREAM”リリース、オリコン4位。

 

10月15日、シングル“LONELY BUTTERFLY”リリース、オリコン6位。

 

10月25日、5枚目のアルバム『TIME』をリリース、2作連続でオリコン1位。

 

 

1987年4月22日、シングル“MONOTONE BOY”リリース、オリコン3位。

 

11月18日、シングル“Nervous but Glamorous”リリース、オリコン7位。

 

11月28日、6枚目アルバム『Poison』リリース、オリコン1位。

 

 

1988年2月26日、シングル“MOON”リリース、オリコン20位。

 

11月21日、シングル“One More Kiss”リリース、オリコン5位。

 

同年、『Poison』で、第2回日本ゴールドディスク大賞・アーティスト・オブ・ザ・イヤー(邦楽部門)を受賞した。

 

 

1989年4月30日、シングル“Vanity Angel”リリース、オリコン5位。

 

5月21日、7枚目のアルバム『BLOND SAURUS』リリース、オリコン1位。

 

ライヴも日本武道館6days(1987年1-2月)、横須賀港での5万人野外ライヴ『REBECCA FROM THE FAR EAST』(1987年8月)、コンサートツアー『BLOND SAURUS』の東京ドーム公演(1989年7月)など大規模イベントを成功させた。しかし、超多忙なスケジュールが創作に影響するようになり、一度区切りをつけるべきという決断に至る。

 

 

1989年、NOKKOが映画『スウィートホーム』に出演し、女優業にも挑戦。

11月22日、シングル“LITTLE ROCK”リリース、オリコン4位。

 

 

1990年1月に行われたコンサートツアー『BLOND SAURUSの逆襲』の日本武道館公演を

最後に、レベッカは活動を休止。

8月1日、ベストアルバム『The Best of Dreams』をリリース、オリコン1位。

 

同年、NOKKOと木暮が結婚。

 

 

1991年2月14日、レベッカは解散した。

3月21日、ベストアルバム『The Best of Dreams Another side』リリース、オリコン2位。

 

レベッカ解散後、メンバーは各々音楽活動を継続。

高橋、小田原、サポートギター是永巧一に、宮原学、彼のプロデューサー&バックバンドの柴田俊文を加えた5人でバンドを結成、当初は「宮原学&レベッカ・ユニット」と名乗っていたが、後に「BABY'S BREATH」と改名した。

 

 

1992年3月11日、NOKKOは“CRAZY CLOUDS”をリリースし、ソロシンガーとしてデビュー。

 

3月25日、1stソロアルバム『Hallelujah』リリース。オリコン4位。

 

 

1993年、NOKKOと小暮が離婚。

4月1日、2枚目のソロアルバム『I Will Catch U.』リリース。オリコン4位。ダンスミュージック・ユニットのディー・ライトのメンバーとして活動していたテイ・トウワ、イギリスのダンス・ポップ・ユニットであるセイント・エティエンヌなどからの楽曲提供を受けている。

 

5月20日、NOKKOの海外デビューアルバム『CALL ME NIGHTLIFE』リリース。収録曲“I Will Catch U”(英語ヴァージョン)は海外でのみリリースされた。

 

 

1994年3月9日、ソロシングル“人魚”をリリース。フジテレビ系ドラマ『時をかける少女』の主題歌に、カップリングの“CRYING ON MONDAY”は、フジテレビ系バラエティ番組『ウゴウゴルーガ』オープニングテーマにそれぞれ起用された。オリコン2位。

 

6月22日、ソロシングル“ライブがはねたら”をリリース。オリコン7位。

 

12月8日、4枚目のソロアルバム『colored』リリース。“人魚”や“ライブがはねたら”などのヒットシングルを収録。オリコン6位。

 

 

1995年5月、阪神・淡路大震災の復興支援を目的として2日間限定のレベッカ再結成ライヴを横浜アリーナで開催。

 

 

1996年11月1日、ソロシングル“Natural”をリリース。

 

11月21日、5枚目のソロアルバム『RHYMING CAFE』をリリース。オリコン10位。

 

 

1998年10月3日、「のっこ」名義でシングル“わすれな草”をリリース。

 

12月2日、「のっこ」名義でアルバム『ベランダの岸辺』をリリース。

 

 

1999年5月、三上博史と広末涼子が主演のフジテレビ系ドラマ『リップスティック』の主題歌に採用されるにあたり、土橋安騎夫によるリミックスを施された“フレンズ 〜remixed edition〜”をリリース。オリコン6位。

 

 

2000年6月、レベッカ名義で12年ぶりのオリジナルシングル“神様と仲なおり/HELLO TEENAGE”をリリース。映画『風を見た少年』主題歌。オリコン20位。

この時はライヴを行わず、活動を終了するコメントも無く、自然消滅のような形で終息した。

同年、ソロ活動を休止。

 

 

2001年に仕事を通じて10年来の付き合いがあった音楽プロデューサーのGOH HOTODA(保土田 剛)と再婚。

 

 

2003年、夫のGOH HOTODAと「NOKKO & GO」を結成。アルバム『宇宙のコモリウタ』を発表。静岡県熱海市で子育てをしながら、音楽活動を実施。

 

 

2004年、NHK『みんなのうた』に“フルサト”を発表。

3月10日、“フルサト”DVD付き絵本をマドラ出版より出版。

 

 

2005年、NOKKO & GO名義でインストゥルメンタルアルバム『home sweet home (FURUSATO) invention and sinfonias』をインディーズレーベルから発表。

 

 

2006年8月1日、42歳で女児を出産。

 

 

2010年、デビュー25周年を迎え、NOKKOとしてのソロ活動を再開。

 

 

2012年11月23日、NOKKO自身初のクリスマスアルバム『The Christmas Songs』をリリース。

 

 

2013年11月8日、14年振りのオリジナルアルバム『THE NOKKO STORY』を発表。

11月27日、2枚目のクリスマスアルバム『もうすぐクリスマス』をリリース。当時7歳の娘がコーラスで参加した。

 

 

2014年、地元の熱海中学校の校歌“光る海”を夫婦で作曲した。

 

 

2015年、レベッカ時代の楽曲をリアレンジして再録音したアルバム『NOKKO sings REBECCA tunes 2015』をリリース。

4月21日、レベッカ再結成ライブ「Yesterday, Today, Maybe Tomorrow」を横浜アリーナで8月12日、13日に開催することを発表し、同時に公式サイトも開設された。NOKKOは再結成に踏み切った理由について「封印していたレベッカの楽曲群を改めて聴いて新鮮さを感じた」ためであると語っている。再結成メンバーは、NOKKO(Vo)、高橋教之(B)、土橋安騎夫(Key)、小田原豊(Ds)。なお、ベースの高橋は音楽活動を止めており、会社員として休暇を取って参加。

11月29日、さいたまスーパーアリーナでの追加公演も決定。

12月31日、『第66回NHK紅白歌合戦』に初出場し、紅組46番手として“フレンズ”を歌唱した。なお、白組は美輪明宏“ヨイトマケの唄”だった。

 

 

2016年4月よりワタナベエンターテインメント所属となる。

 

 

2017年初春、レベッカはUNIVERSAL MUSICと契約を締結。

7~9月、およそ28年半振りとなる全国ツアー「REBECCA LIVE TOUR 2017」を開催。同ツアーの日本武道館公演の模様はDVD/Blu-rayとして発売された。

同年11月1日、レベッカ17年ぶりのオリジナルシングル“恋に堕ちたら”をリリース、

オリコン11位。

※楽曲はPVの3:28頃からスタート。

 

 

2018年、ソロでフルオーケストラ公演を行う。

同年、配信シングル“翼”をiTunes storeで配信リリース。

 

3月21日、ソロアルバム『TRUE WOMAN』をリリース。

 

 

2019年12月31日、「ももいろ歌合戦」(BS日テレ・ニッポン放送・AbemaTVなど)へ初出場。

 

 

2020年9月20日、配信ライブ「NOKKO ONLINE SHOW ~LIVE LOVERS~」開催。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「NOKKO」「レベッカ(バンド)」

NOKKO公式サイト

 

ソニー・ミュージック「レベッカ」