かぜ 耕士(かぜ こうじ/1944年7月13日~2020年9月26日)は、埼玉県比企郡嵐山町出身の作詞家・放送作家・ラジオパーソナリティ。日本大学芸術学部卒業。

 

 

1970~1980年代に、ニッポン放送『たむたむたいむ』や『オールナイトニッポン』、文化放送

『セイ!ヤング』などのラジオ番組で、DJ、パーソナリティを務め、当時の若者の支持を集めた

かぜ耕士さんが9月26日に亡くなっていたことが27日、わかった。

 

https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202009280000005.html

 

日刊スポーツ電子版 [2020年9月28日0時23分]

 

 

ラジオの深夜放送が受験生を中心に絶大な人気を誇った

1970年代から1980年代前半にかけて、

ラジオから流れるかぜさんの声を聴いた人は結構多いのではないか。

 

ラジオは当時、貴重な情報源でもあり、

特に音楽に関しては、新譜はもちろん、

パーソナリティの選んだ曲が時間を遡って未知の音楽と出合うための

ひとつの道標だった。

 

DJ(ディスクジョッキー)と言われるゆえんだが、

かぜさんの番組で初めて聴いた曲で妙に覚えているのは、

ボビー・ビントンの“ミスター・ロンリー”だった。

 

また、これはかぜさんの番組で聴いたのか、

著書を読んで知ったのか判然としないが、

かぜさんと奥さんとは趣味嗜好がまったく違う中、

唯一ダブって二人とも持っていたレコードが

ジャニス・ジョップリンの『パール』だった、

というエピソードも、なぜか今でも記憶している。

 

 

 

かぜさんといえば。リチャード・ハリスのイメージが強い。

なので、2020年9月28日16:30、追加しました。

 

かぜさんはよく、「売れない作詞家」、「ヒット曲のない作詞家」と

半ば自嘲気味に語っていたと記憶しているが、

そのかぜさんの自他ともに認める、唯一のヒット曲が、“涙をこえて”である。

 

仲村八大氏により作曲されたこの曲は

NHK『ステージ101』から生まれたシング・アウトの

1969年のデビュー曲だが、

80年代以降に合唱曲として歌われるようになり、

2012年にも八神純子さんのカヴァーアルバム

『VREATH 〜My Favorite Cocky Pop〜』で歌われている。

また、数年前には、24時間だったか、27時間だったかのチャリティ番組で

シングアウトのオリジナルがBGM的に流されていた。

 

かぜさんの作品が今も受け継がれているようで嬉しい限りだが、

この先どんなにリバイバルヒットをしようとも

かぜさんはもういないんだ、という現実を突きつけられた

日刊スポーツの記事だった。

 

 

 

かぜさん、どうか安らかにおやすみください