バリー・ホワイト(Barry Eugene White/1944年9月12日~2003年7月4日)は、

アメリカ合衆国のシンガーソングライター、音楽プロデューサー。

 

 

アメリカ合衆国テキサス州南東部のグレーター・ヒューストン地域内にあるガルベストン郡に位置する島内都市ガルヴェストン(Galveston)にてバリー・ユージーン・カーター (Barry Eugene Carter) として生まれ、カリフォルニア州ロサンゼルスで育った。

 

少年時代には少年院で数か月間を過ごしたが、そこで、ラジオから流れたエルヴィス・プレスリーの“It's Now or Never”に影響を受けた。

 

1960年にThe Upfronts の一員として“Too Far to Turn Around”をリリースした後、ロサンゼルスのさまざまな小規模の独立系レーベルで働いた。

 

また、この後、1960年代初頭に、自分の名前でいくつかのシングルを録音した。

 

 

1965年、バリーはダウニーのレーベルからリリースされたベルカントの“フィールアゥライト”をプロデュースした。

また、1960年代半ばにはDel-Fi RecordsのBob KeaneでA&Rマンとして働いた。

 

 

1969年、バリー・ホワイトは自身の作品のバック・コーラスとして「ラブ・アンリミテッド」(Love Unlimited)という女性3人のグループを作る。

 

 

1972年、ラブ・アンリミテッドによる“ウォーキング・イン・ザ・レイン・ウィズ・ザ・ワン・アイ・ラヴ”(Walkin' in the Rain with the One I Love)だった。「電話の相手」としてバリーの語りも入っていた同曲は、ビルボードホット100ポップチャート(以下「ビルボード・チャート」)で14位、ビルボードR&Bチャートで6位を記録した。バリーにとって同曲は作家兼プロデューサーとして最初のミリオンセラー・シングルとなった。

 

 

1973年3月27日、デビューアルバムとなった『アイヴ・ゴット・ソー・マッチ・トゥ・ギヴ』(I've Got So Much to Give)をリリース。アルバム・チャート「ビルボード200」において第16位、Top R&B/Hip-Hop Albums(トップR&B/ヒップホップ・アルバム)では第1位を獲得し、RIAA(Recording Industry Association of America:アメリカレコード協会)からゴールドの認定を受けた。

アルバムからのセカンドシングルとなった“I'm Gonna Love You Just a Little More Baby”は、ビルボード・チャートで第3位、Hot R&B/Hip-Hop Songs(ホットR&B/ヒップホップ・ソング)では第1位に輝いた。

 

同年、ラブ・アンリミテッドのバック・バンドである40人編成の「ラブ・アンリミテッド・オーケストラ」(The Love Unlimited Orchestra)を結成。

同年7月、ラブ・アンリミテッドのセカンド・アルバム『Under the Influence of... Love Unlimited』をリリース。そのオープニング曲として収録されたのが、“愛のテーマ”(Love's Theme)である。

11月、“愛のテーマ”はラブ・アンリミテッド・オーケストラのデビュー・シングルとしてリリースされた。同曲は1974年2月9日付のビルボード・チャートで1位を記録。また同時にアダルト・コンテンポラリー・チャートでも2週連続で1位を記録。1974年のビルボード年間チャート3位を記録した。さらに海外でも、カナダ RPM 100で第1位、全英シングルチャートで10位を記録した。この曲にはデヴィッドTウォーカーら、後に有名になるミュージシャンが参加していた。

 

本作品が大ヒットし続けている同じ年に、ラブ・アンリミテッドは歌詞をつけアルバム『In Heat』でボーカル・バージョンを発表した(歌詞はアーロン・シュレーダー)。

7月4日、グループのリードシンガーであるグロディアンジェームズと結婚。

 

 

1974年7月25日、バリーはソロ名義でシングル“あふれる愛を”(Can't Get Enough of Your Love, Babe)をリリース。同年9月21日付のビルボード・チャートで1位を達成。ソウル・チャートでも1位を記録し、全英シングルチャートでは8位、ゴールドディスクに輝いた。

 

10月25日、次いでリリースしたシングル“マイ・エヴリシング”(You're the First, the Last, My Everything)は、英国では1位を獲得するも、ビルボード・チャートでは翌年1月に2週連続2位を記録したに留まった。因みにバリーの2曲連続チャート首位を阻んだのは、ビートルズのナンバーをエルトン・ジョンがカヴァーした“ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド”(Lucy In The Sky With Diamonds)だった。

 

 

1978年9月22日、アルバム『熱い涙』(The Man)をリリース。

 

 

1980年代になるとレコードセールスが停滞し、バリーは、1983年にレーベルを畳んだ。

 

 

1987年、4年後に彼はA&M Recordsと契約し、『The Right Night&Barry White』のリリースにより、“Sho 'You Right”というタイトルのシングルがビルボードR&Bチャートに参入し、最高位17位を記録した。

 

 

2003年7月4日、58歳の若さで死去。

 

渋い低音の歌声は多くのファンを魅了し、プロデューサーとしても活躍した彼が生涯にわたり携わったアルバムとシングルの総売上枚数は、1億枚にも達するという。

 

 

 

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「バリー・ホワイト」「Barry White」「Love Unlimited」「The Love Unlimited Orchestra」

udiscovermusic.jp

https://www.udiscovermusic.jp/stories/barry-whites-superb-74-continues