長渕 剛(ながぶち つよし/本名: 同じ/1956年9月7日 - )は、

日本のシンガーソングライター・俳優・詩人・画家・書道家。デビュー時の芸名は長淵 剛。

 

 

鹿児島県警の警察官の父・長渕邦治と母・マス子の次男として、警察官舎の長屋が当時あった日置郡伊集院町(現・日置市)徳重で生誕、長屋から徒歩の母に抱っこされ徳重神社へお詣りした。

兄・邦人がいたが、生後100日程度の乳児期に病死しており、5歳年上の姉との2人姉弟だった。出生後まもなくインフルエンザで生死の境をさまよった。その後、日置郡上伊集院村大字直木で暮らし、自然豊かな環境で3歳まで育った。幼い頃は体が非常に弱く、よく喘息発作を起こし、病院通いが欠かせなかった。子どもの頃のあだ名は「レオン」。音楽が楽しみで、同郷の吉田拓郎、加川良、友部正人、遠藤賢司等のフォークソングを好んで聴いていた。

中学3年の正月に3600円のガット・ギターを購入、鉄弦を張り好みの楽曲をコピーしていた。

 

鹿児島南高校の情報処理科の2期生として入学し、自転車で1時間近くかけて通学。最初は成績も良かったが徐々に下降、卒業時には下から数えた方が早い成績まで落ちたという。

 

1973年、大学祭の前座で初めての舞台を経験。
 

1974年、友人と2人でフォークソングのグループ「T&Tグループ タケシとツヨシ」を結成し、

ステージ活動を本格化させる。

 

1975年、福岡県の九州産業大学へ進学。

 

1976年、財団法人ヤマハ音楽振興会主催の、第12回ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に出場。“雨の嵐山”で入賞を果たした。

 

1977年2月25日、前年のポプコン入賞を機に、ビクター・レコードより、シングル“雨の嵐山”でデビューしたが、曲はヒットしなかった。当時の芸名の読み方は「ながぶち ごう」。

 

 

1978年、“巡恋歌”で15回ポプコンの入賞、

10月5日東芝EMIから同曲で再デビュー。芸名の読み方も本来の「ながぶち つよし」に戻す。

 

同年暮れから、南こうせつや庄野真代らとコンサート活動を本格化させる。

南こうせつのオールナイトニッポン(ニッポン放送、木曜1部 1978年4月 - 1979年3月)内で

「裸一貫ギターで勝負」のコーナーを担当する。

 

 

1979年3月5日、シングル“俺らの家まで”と、初のオリジナルアルバム『風は南から』を同時リリース。

7月26日、愛知県篠島での吉田拓郎のコンサートに特別出演。「帰れコール」を浴びながらも堂々と歌い、最後は喝采を浴びた。長渕自身「あのステージがなかったら今はなかった」と述懐した。

4月から9月まで、ニッポン放送『オールナイトニッポン』水曜日第2部、10月から翌年9月まで、金曜日第1部の、それぞれパーソナリティを務める。

11月29日、新宿厚生年金会館でワンマンコンサート開催。チケットは発売3時間で完売。

 

 

1980年6月5日、アルバム『逆流』収録曲“順子”が、ファンからの要望でシングルカット。

 

8月にはオリコンのチャート1位に。同曲のヒットで、一躍トップシンガーの仲間入りを果たす。

9月5日、アルバム『乾杯』をリリース。

10月、『ナウ・ジェネレーション/長渕剛のアピール26』(TBSラジオ)、『長渕剛のひたすら60分』(ニッポン放送)のラジオパーソナリティを務める。この他、当時山梨鐐平などが結成していたグループ「Do!」とのジョイントバンド「チョコレッツ」を結成し、翌1981年まで活動していた。

 

 

1981年3月23日、徳島より開始した49か所の全国ツアーで。初めてバックバンドをつけ、初のピアノ弾き語りや、バンジョーやエレキギターを持つなど、新たな試みが数々披露された。

8月、当時アイドル歌手だった石野真子と結婚。『オールナイトニッポン』での意気投合がきっかけだった。ハワイ結婚式の仲人は、恩師とする吉田拓郎と浅田美代子夫妻(当時)だった。

9月25日、翌年6月目で続く『コンサートツアー'81〜'82』(全90ヵ所)がスタート。

 

 

1982年6月6日、ツアーのファイナルを、日比谷野外音楽堂で『SUPER LIVE IN HIBIYA』として開催。自身初の野外公演であるこの模様は日本テレビの音楽番組で2週に分け放送された。

7月28日、8月4日、“青春は手品師”(アルバム『時代は僕らに雨を降らしてる』に収録)が、ドラマ『王貞治物語』(TBS系列)の主題歌になる。珍しく阿久悠の作詞によるもの。ドラマには長渕本人もちらっと出演している(貞治の父親役)。

11月29日、ツアー中に日本武道館初公演、翌年2月21日のファイナルも再び武道館で公演。

 

 

1983年、石野真子と離婚。

7月25日、埼玉県所沢市の西武ライオンズ球場で雨中に2万人を集めコンサートを開催。

7月29日、ナゴヤ球場にてサザンオールスターズとジョイントライブを行う。

8月25日、公演から1ヵ月後、2枚組ライヴアルバム『SUPER LIVE IN 西武球場』がリリース。同時に『LIVE'83 JUST HEAVY GAUGE』ツアー(全47ヵ所)がスタート。

8月26日、初主演テレビドラマ『家族ゲーム』(TBS系列)が放映開始、俳優活動も本格始動。

同番組の主題歌である“GOOD-BYE青春”をシングルリリース。

 

TBS系列ドラマ『青が散る』の挿入歌“人間(ひと)の駱駝(らくだ)”(歌:大塚ガリバー)の作曲を手掛ける(作詞:秋元康・宮本輝/編曲:瀬尾一三)。

 

 

1984年3月15日~4月9日にかけて、全国10ヵ所にて3年ぶりの弾き語りコンサートを、ファンクラブ『TSUYOSHI CLUB』結成記念イベントとして開催。

4月20日、主演したTBS系列テレビドラマ『家族ゲームII』が放映開始。

7枚目のオリジナルアルバム『HOLD YOUR LAST CHANCE』を発売。

 

10月11日から翌年3月まで、TBSラジオ『スーパーギャング』木曜日パーソナリティを務める。

 

 

1985年3月30日に発売のシングル“久しぶりに俺は泣いたんだ”のPVを自身初制作。

4月5日、主演したテレビドラマ『家族ゲームスペシャル』(TBS系列)放映。

8月26日、『HUNGRY』ツアーをスタートさせるも、翌年1月の日本武道館での公演を最後に、過労によりダウン。一時は重度の鬱状態に陥り、残りのコンサート予定がすべて中止となる。

 

 

1986年6月7日、主演したテレビドラマ『親子ゲーム』(TBS系列)が放映開始。

志穂美悦子と、ラーメン店を営む恋人同士役をつとめる。

10月22日、ギター弾き語りアルバム『STAY DREAM』リリース。

11月11日には大阪城ホールより『LIVE'86〜'87 STAY DREAM』(全11ヵ所)がスタート。このツアーはアルバムのテーマと同様、ギター1本で歌う形式で、またアリーナ級や体育館等の会場ではセンターステージを組んで実施。センターステージという形式は世界初の試みだった。

12月20日公開の映画『男はつらいよ 幸福の青い鳥』で志穂と再び恋人同士役で共演。

 

 

1987年4月10日、主演したテレビドラマ『親子ジグザグ』(TBS系列)が放映開始。

5月25日、同ドラマの主題歌“ろくなもんじゃねえ”がシングルリリース。

8月5日、アルバム『LICENSE』発売。オリコンチャート最高位1位を獲得し、

同年末の第29回日本レコード大賞でアルバム大賞を受賞した。

 

8月28日、ゲスト出演したテレビドラマ『スタンドバイミー きまぐれ白書』(TBS系列)放映。

9月、志穂美悦子と2度目の結婚。志穂美は芸能界を引退。一女二男を授かる。

 

 

1988年2月5日、アルバム『乾杯』収録の“乾杯”を8年振りに新録し発売、ミリオンセラーに。

6月19日、コンサート会場として、初めて東京ドーム (BIG-EGG) に進出。

10月7日、主演したテレビドラマ『とんぼ』(TBS系列)放映開始。

10月26日、同ドラマのタイトル曲となる“とんぼ”をリリース、ミリオンセラーを記録する。

12月3日、出演したテレビドラマ『うさぎの休日』(NHK) 放映。

 

 

1989年3月11日、主演した映画『オルゴール』が劇場公開開始。

3月25日、“とんぼ”等収録のアルバム『昭和』リリース。ミリオンセラーとなる。

 

12月23日、主演・主演・監督した映画『ウォータームーン』が劇場公開。監督は当初工藤栄一が務めたものの途中降板、長渕自身が引き継いだ。

ドラマ『とんぼ』『うさぎの休日』の演技が評価され、第26回ギャラクシー賞・選奨を受賞。

 

 

1990年12月31日、NHK紅白歌合戦に初出場し、第1部の最後に再統一後間もないドイツ・ベルリンから生中継で“親知らず”、“いつかの少年”、“乾杯”を歌唱。全てタイトル・歌詞のテロップが表示され、長渕の終了後、予定通り20時55分からニュース、21時から第2部が開始されたが、長渕が出演の際にNHKのスタッフを批判していたため、「予定外の曲を披露」「長渕の暴挙により時間が押して、大物歌手の出番がカットされた」「NHKへの出入り禁止」等、様々な報道が当時された。その後NHKには、1991年3月の日本ゴールドディスク大賞で「ベスト5アーティスト賞」を受賞し、同年末「プライム10 音楽達人倶楽部」に出演したが、2014年12月6日放送のSCHOOL OF LOCK!Saturday 長渕LOCKS!(TOKYO FM/JFN)にてNHKを出入り禁止になったと述べている。

 

 

1991年、“乾杯”がキリンラガービールCMソングに起用。

10月10日、主演したテレビドラマ『しゃぼん玉』(フジテレビ系列)が放映開始。「週刊ザテレビジョン」11月15日号ではイメージが合わないことを理由に、レモンの使用を拒否した。

10月25日、シングル“しゃぼん玉”リリース。ミリオンセラーとなる。

12月14日、本格海外レコーディングアルバム『JAPAN』リリース。

 

 

1992年、アルバム『JEEP』収録“西新宿の親父の唄”が『北の国から-'92巣立ち』挿入歌に。

『巡恋歌'92』(1992年10月28日)をリリースし、80万枚のヒット。

 

 

1993年9月22日、シングル“RUN”リリース。ミリオンセラーとなる。

10月15日、主演したテレビドラマ『RUN』(TBS系列)が放映開始。同ドラマの打ち上げパーティー終了後にADに暴力を振るってしまう。

11月1日、アルバム『Captain of the Ship』がリリースされるが、この頃楽曲の歌詞盗作疑惑が持ち上がり、本人が謝罪した。詩人・相田みつをに関連したもの。

 

1994年8月10日、シングル“人間”をリリース。

9月9日、『Captain of the Ship』ツアーがスタートするが体調不良で3公演しかできず、残りの日程は全て公演中止となった。

9月23日、桑田佳祐のアルバム『孤独の太陽』に収録された楽曲“すべての歌に懺悔しな!!”の歌詞の内容を巡り、作詞・作曲した桑田と一触即発の関係に陥る。

女優の国生さゆりとの不倫報道が大きく報じられる。

12月1日、ベスト・アルバム『いつかの少年』リリース。

 

 

1995年1月24日、大麻取締法違反で現行犯逮捕された。覚醒剤については否認し、尿検査も陽性反応がなかったため2月3日に処分保留のまま釈放。3月16日に不起訴処分となる。

12月26日、自身3度目となる東京ドームでのライヴを行う。

 

 

1996年1月1日、再起後初のアルバム『家族』リリース。東芝EMI最後のオリジナルアルバム。

 

 

1997年1月24日、『とんぼ』の続編に当たるテレビドラマ『英二ふたたび』が放映。

2月27日、フォーライフ・レコード(現フォーライフミュージックエンタテイメント略称FLME)移籍。

7月2日、シングル“ひまわり”リリース。

 

7月10日、主演したテレビドラマ『ボディーガード』(テレビ朝日系列)放映開始。

9月3日、アルバム『ふざけんじゃねぇ』をリリース。

 

 

1998年、東京・銀座の「日動画廊」に於いて初の詩画展を開催

以降、2000年に第2回、他鹿児島、福岡、とそれぞれ約2万人を動員。

その収益金の一部を阪神・淡路大震災で家を失った子供達等のために寄付した。

 

 

1999年5月1日、主演した映画『英二』が劇場公開開始。

12月22日、セルフカバー・アルバム『ACOUSTIC 俺の太陽』リリース。

 

 

2000年8月12日、最愛の母・マス子が急性心不全により他界。享年72。

 

 

2001年6月27日、8年ぶりのロサンジェルスレコーディングアルバム『空』リリース。

金髪&肉体改造で新たな長渕スタイルが出来上がる。

 

 

2002年5月9日、アフガン抗争に向けて発した反戦歌“静かなるアフガン”リリース。しかし事実上の放送禁止。NHKをはじめとするテレビ局や各種メディアには採り上げられることが少なく、予想よりも話題にならず。それでも“指きりげんまん”以来のベスト20位入り。

6月26日、自身が選曲したベスト・アルバム『BEST〜風〜』、『BEST〜空〜』各2枚組リリース。

 

 

2003年4月、ニッポン放送『オールナイトニッポンフライデー・長渕剛今夜もバリサン』放送開始。9月までパーソナリティを務める。

5月1日、シングル“しあわせになろうよ”リリース。

 

空手道団体の極真会館から分派した新極真会の発足に際し、同会の会歌『新極真会の歌』(編曲は瀬尾一三と共同)を製作。同年10月5日に東京体育館で開催された「第8回全世界空手道選手権大会」の入場者にのみ同歌のCDが配布され、店頭販売はされなかったが、多くの問い合わせがあり、通販限定で一般発売することになった。

5月14日、長渕剛通算19枚目となるアルバム『Keep On Fighting』が発売され、男性アーティスト初のオリジナルフルアルバム首位通算10作目獲得をした。

 

12月31日、13年ぶりにNHK紅白歌合戦に出場する。森進一に楽曲提供した“狼たちの遠吠え”では、歌う森のバックで長渕がコーラス&ギターセッションで参加し、話題になった。

 

 

2004年4月28日、初のトリビュート・アルバム『Hey ANIKI!』がリリース。

8月21日、鹿児島県の桜島特設ステージで、全国から約7万5千人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。コンサート会場跡地には2006年3月19日、記念碑が建立され「叫びの肖像と命名」。ちなみに、コンサート会場であった桜島からの音は海を越えた鹿児島市でも聞き取れたという。

11月14日、ファンクラブ特別イベント「Thank You LIVE 2004」をスタート。

12月1日、シングル“金色のライオン”リリース。京セラの携帯電話のテーマソングとなる。

8月24日、東映『男たちの大和/YAMATO』主題歌に書き下ろした“CLOSE YOUR EYES”リリース。自身の主演映画以外の主題歌使用は初(TVドラマでは以前“逆流”、“友よ”等あり)。同曲はカップリング“YAMATO”と合わせ“順子/涙のセレナーデ”以来2度目の両A面シングル。

 

 

2006年2月8日、東芝時代のオリジナルアルバムが「24bitリマスタリングアルバムシリーズ」として再発売。また、3月8日には、東芝時代のベスト&ライブアルバムも再発売された。

3月19日、「桜島オールナイトコンサート」を記念したモニュメントが建立され、除幕式に参加。

4月23日、作品に度々登場し長渕音楽の原点ともいえる父・邦治(くにはる)が他界。享年77。

6月29日、鹿児島中央駅アミュ広場でゲリラライブ。来場は約7000人程。ライブ状況はエフエム鹿児島『MUSIC POWER STATION feel the μzic DA!!』で生放送された。

7月14日、『長渕剛3daysドキュメント』放映-南日本放送TV『Mixx』

8月30日、山本寛斎がプロデュースする『日本元気プロジェクト KANSAI SUPER SHOW「太陽の船」』のイベントテーマソング“太陽の船”を手がけることが発表され、同曲が公開された。

10月9日、10月16日放送の『くりぃむナントカ』「第2回長渕ファン王決定戦」に出演。六本木のカラオケBOXにて、観客3人(上田晋也、ワッキー、大八木淳史)の前で2時間半12曲のライブを行う。バラエティ番組に出るのは『おしゃれカンケイ』以来のことだが、この出演は第1回「長渕ファン王決定戦」のスペシャルの再放送を観て心を動かされた本人からの要望によるもの。この翌週、オリコンランキングに、長渕のベスト・アルバムなど数作品が再浮上した。熊本出身の上田とは現在も交流があり、『太田上田』(中京テレビ)などで長渕がその旨を語っている。

 

 

2007年4月27日、関西テレビ放送制作、フジテレビジョン系列 (FNS) で放送の『さんまのまんま』で、明石家さんまと対談。最後は2人で“とんぼ”をデュエットした。

5月4日、幕張メッセで行われた「どきどきフリーマーケット」のステージにゲスト出演。その模様はBAY-FMを通じて公開されたが、オンエア終了後もライヴは継続され、イベント終了30分前まで続いた。これは、観覧していたファンの度重なるアンコールに応えた長渕の力が大きい。

5月16日、4年ぶりのオリジナルアルバム『Come on Stand up!』リリース。桜島DVDに収録されたものの未CD化だった“夕焼けの歌”含む全12曲が新曲、先行シングルなしという昨今の音楽業界の常識からすれば型破りなアルバムにも関わらず、オリコン初登場4位。

 

6月6日〜7月11日、自身初となる女性限定ライヴ「Lady's Night2007-Acoustic-」ツアー。

9月7日〜12月9日、自身2年ぶりの「2007 ARENA TOUR 〜Come on Stand up!〜」ツアー。

10月12日より放送開始の、TBS系列テレビドラマ『歌姫』主題歌に、長渕の作詞作曲“青春 SEISYuN”が起用。歌唱はTOKIOだった。

 

 

2008年5月14日、21日、過去に発表された楽曲の中からラブソングを中心にリマスタリング、セルフカバー、リミックスを施して選曲したベスト・アルバム『LOVE』、『SONGS』を発売。

 

 

2009年1月14日、ユニバーサルミュージック(ナユタウェイヴ・レコーズ)への移籍を発表。

移籍第一弾シングル“卒業”はNHK『課外授業~ようこそ先輩~』にて現役高校生39名との共作。卒業ソングの新たなる名曲が作られ、大きな話題となった。

 

10月29日からはデビュー30周年を記念した弾き語りツアーを開催。本ツアーではオーディエンスからリクエストを設ける試みが行われ、1つのツアーで100曲以上が歌われることとなった。

12月31日、ワールド記念ホールにて自身初のカウントダウンライブを開催。

 

 

2010年6月9日、デビュー30周年記念として、プレミアムBOXセット『30th Anniversary BOX from TSUYOSHI NAGABUCHI PREMIUM』(DVD3枚組、CD3枚組)をリリース。初週2.1万枚を売上げ、同年6月21日付オリコン週間DVDランキング総合第1位となった。

価格は3万1500円と高額ながら、それまでの総合首位を記録していた『ザ・ビートルズ・アンソロジー(初回生産特別価格盤)』を抜くミュージックDVD作品最高額総合首位記録となり、更に最高額首位の『機動戦士ガンダムDVD-BOX2(最終巻)』と同額の歴代タイ記録となる。

8月14日、スペシャルドラマ『歸國』に出演。本格的な俳優復帰は、主演した1999年の映画『英二』以来11年ぶりで、ドラマ出演は1997年主演の『ボディーガード』以来13年ぶりとなった。

 

 

2011年4月7日、3月11日の東日本大震災に際(東北地方太平洋沖地震)し、被災地支援のため、FMでラジオ『長渕剛 RUN FOR TOMORROW 〜明日に向かって〜』を開始。県域放送局(ベイエフエム)とJFN系、コミュニティ放送局でネットされ、従来のラジオネットワークの枠に捉われない配信になる。放送開始の回で石原慎太郎の「津波は天罰」発言を痛烈に批判した。

4月16日、東日本大震災の被災地宮城県を訪れ、避難所や自衛隊基地を慰問し、激励。

8月、原発事故で避難生活を余儀なくされた福島県浪江町の小学生20人を自身の故郷、鹿児島に招待。福島第一原子力発電所事故後は、脱原発を求める姿勢を鮮明にしている。

 

 

2012年8月12日、福島県郡山市民文化センターでの全国ツアー「RUN FOR TOMORROW」の福島公演では、「止めてくれ 原発を止めてくれ 今すぐ」と絶叫するように歌った。

 

 

2013年、「週刊ザテレビジョン」5月24日号の表紙を飾り、初めてレモンを持って撮影に臨む。曰く「早く素直になればよかったな、と(笑)素直になるって気持ちいいなと思うね」と述べた。

6月8日、鹿児島県文化センターを皮切りにアコースティック形式によるファンクラブ限定ライブツアーを開催。元々は長渕の体調不良によりスケジュールの一部が延期されたものだが、ライヴの途中には長渕本人がファンをステージに上げ、リクエストした歌をファンとともに歌った。

 

 

2014年7月2日、ベストアルバム「Tsuyoshi Nagabuchi All Time Best 2014 傷つき打ちのめされても、長渕剛。」発売。

 

 

2015年7月21日、フジテレビ『ワイドナショー』にスペシャルゲストとして出演し、様々なニュースに対し持論を述べ、当時国会で議論が白熱していた平和安全法制の話題になった際には「東日本大震災を思い出してほしい。若き自衛隊員がどれだけのことをやってくれたか。彼らを死なせるのか。彼らを死なせていいのか。いまのこの流れでいくと、理屈はわからないんですけどね、感覚論としてね、戦争が近づいている気がするの。もう紛れもなくそこに近づいている気がしますよ。それをね、僕たちはどうやって阻止すべきかってことを非常に真剣に考える局面がありますよ」といった意見を述べた。

8月22日、静岡県の富士山の麓の特設ステージで、全国から約10万人の観衆を集めてのオールナイトコンサートを敢行し、大成功を収めた。

 

2017年4月1日、福島県立小高産業技術高等学校の校歌を作曲する(作詞:柳美里)。

11日の開校式ではサプライズで登場、校歌と“涙は大切な君の友達だから”、“乾杯”を歌唱。

8月22日、日本武道館にてアルバム「BLACK TRAIN」のリリースを記念したライヴを実施。またライヴの途中には2週間後である9月5日、自身の誕生日を記念して開催される「PREMIUM BIRTHDAY LIVE AT 大阪城ホール」の発表が行われた。

 

2018年、シングル“Don't Think Twice 〜桜並木の面影にゆれて〜”、“Amen”を立て続けに発売。同年7月3日から8月21日まで(Don't~)と同名のツアーを開始。

 

2019年、翌年上映の権野元監督映画『太陽の家』に主演。映画「英二」以来20年ぶり。

10月27日、EX THEATER ROPPONGIにてファンを招待して長渕史上初の無料ライヴを敢行。

10月31日から12月17日の期間、「CINEMA&LIVE 2019 太陽の家」と題し、最初に映画を鑑賞し、その後にライヴが行われるという、業界初の試みとなるツアーを開催。

 

2020年、“しゃくなげ色の空feat AI ”をリリース。

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「長渕剛」

長渕剛 OFFICIAL WEB SITE <LIVE ON>

nagabuchi.or.jp