吉川 晃司(きっかわ こうじ/1965年8月18日~)は、
日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター、俳優。本名同じ。
広島県安芸郡府中町出身。
吉川の元の実家は、現在の広島市中心部で中国地方指折りの繁華街だった「中島地区」で料亭「吉川旅館」を営んでいた。吉川の祖母が営んでいたが、戦況悪化に伴い船本家に旅館を売り、原爆投下1か月前に疎開し難を逃れた。
だが父親は原爆投下直後に入市したため「入市被爆」が認められ吉川自身も被爆二世に当たる。父は若い頃、京都太秦で大部屋俳優をしていて、家業を継ぐため俳優を諦め板前になったが、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手・管理職などをした。
幼少期の吉川は千葉真一と倉田保昭の大ファンで、彼らの活躍に憧れを抱いていた。
府中町立府中小学校卒業後は、広島県下屈指の進学校である修道中学校に進学。
中学生の時から水球の選手となり、修道高校時代には世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征に参加。
この頃、同じ水泳部だった友人に誘われロックバンドに加入、部活動も並行して行っていたが、佐野元春のコンサートを観て、カルチャーショックを受け、音楽一本に絞ることを決意。
「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は、芸能界と接点を持つため渡辺プロダクション(ナベプロ)に自ら手紙を書き送りつけた。ナベプロを選んだ理由は「沢田研二、アン・ルイスなどが当時所属していたのがナベプロで、ここがいいな」と言い(吉川本人の回想)、他のプロダクションは知らなかったとのこと。
渡辺プロの関係者が、高松の松本明子を見に行った帰りに本当に会いに来てくれて、その後数度のオーディションを経てナベプロ入り。修道高校からは水球の推薦で慶應義塾大学に特待生として入学できる道が開かれていたため、教師、両親や周囲から猛反対を受けたという。
実際は高校卒業後という話だったが、吉川本人の「今すぐにでも」という希望で3年に上がる直前に中退して上京。当初はスクールメイツと練習をこなす日々ですぐにデビューさせてもらえず、当時のマネージャーの部屋に居候。これに業を煮やし、社長の渡辺晋に直談判したところ気に入られ、デビューへの運びとなった。
実際には渡辺プロは吉川を「10年に1度の逸材」とみなし、凋落していたナベプロの起死回生のため、社長自らが音頭をとってデビューのためのプロジェクトチームを編成するほどの力の入れようだった。映画と歌の同時デビューもナベプロの肝いりで実現した。吉川は渡辺晋の手掛けた最後のタレントになった。大沢誉志幸が「渡辺プロは総力を挙げて吉川晃司を売り出すから、お前にかける金はない」と、ナベプロのスタッフから言われたという逸話も残る。
1984年2月1日、同月公開の主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌 “モニカ”でデビュー。
同年3月1日、ファースト・アルバム『パラシュートが落ちた夏』リリース。
6月1日“サヨナラは八月のララバイ”、9月10日“LA VIE EN ROSE”(ラ・ヴィアンローズ)をリリース。
1985年1月11日“ユー・ガッタ・チャンス”(オリコン3週連続1位)、4月23日“にくまれそうなNEWフェイス”(オリコン1位)、9月25日“RAIN-DANCEがきこえる”(オリコン4位)をリリース。
1986年1月1日“キャンドルの瞳”(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリース。1984年の新宿音楽祭金賞、日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。
1985年初めに、デビュー1年目では史上2人目の日本武道館公演を行った。
その他、初期に行われた学園祭コンサートで、体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり、緞帳をビリビリに破いてしまったことがある。その弁済金は1,000万円だったという。
同年暮れにはNHK紅白歌合戦に初出場。吉川自身、現在唯一の出場である
『第36回NHK紅白歌合戦』では、“にくまれそうなNEWフェイス”で白組のトップバッターで
登場したが、その際に自ら様々なハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる。
1986年3月21日、シングル“MODERN TIME”リリース。
同シングルは吉川自身が作詞・作曲の両方を手がけた初の楽曲である。
1987年3月5日に発売したシングル“MARILYNE”は、当時の恋人である
女優の石原真理子との恋愛実体験を歌詞にした曲であったことが判明。
2006年に石原が暴露本『ふぞろいな秘密』を発売した際、石原の過去の13人の交際相手として名前が出され、石原は吉川を玉置浩二以外に「結婚をしてもいいかな」と意識したと記述。
吉川は事務所を通じて「交際をしていたのは事実。“MARILYNE”のプロモーションビデオには彼女も出演しています」とコメントを出した。
同6月5日、“終わらないSun Set”リリース。
同年、日本・イタリア合作映画『シャタラー』に出演。
1988年に一時活動停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立と言う形で22歳のとき独立、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズ所属になる。
レコード会社を東芝EMIに移籍。
1988年に元BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成。
1989年4月8日、1stシングル“BE MY BABY”をリリース。トヨタ・セラのCM曲に起用された。
同年4月26日、1stアルバム『COMPLEX』リリース。
1990年3月14日、2ndシングル“1990”リリース。
同年4月18日、2ndアルバム『ROMANTIC 1990』リリース。
COMPLEXは2枚のシングルと2枚のアルバムをリリースし、いずれもオリコンチャート1位を記録。その後、1990年11月8日の東京ドームのライヴをもってCOMPLEXは活動を停止。
ビジネスには全く興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、活動コンセプトやサウンドアプローチからビジネス面までトータルで音楽を捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ、最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展して活動停止に至った。
1991年4月12日、“Virgin Moon”リリース。同曲はCOMPLEXの活動休止後、ソロ活動再開の第一弾シングルとして発売された楽曲で、東芝EMI / イーストワールド移籍第一弾シングルでもある。
1992年2月6日、“せつなさを殺せない”リリース。
1993年2月24日、“KISSに撃たれて眠りたい”リリース。
同曲はデビュー10周年を記念して発売された。
同年12月13日、“VENUS 〜迷い子の未来〜”リリース。
1997年ユニバーサルグループに移籍。
1998年、32歳のとき、個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」を設立。同社設立の際に、若い社員の前で「利益が出るまで、オレは家に帰らない!」と
大見得を切ったため、スタジオにソファを入れてそこで暮らした。
利益を出すまで7年もかかり、吉川のスタジオ生活は結局12年にも及んだという。
2002年、徳間ジャパンへ移籍。
2006年、映画『マスター・オブ・サンダー 決戦!! 封魔龍虎伝』の楽曲を担当した。
本作は千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画で、幼少時から千葉と倉田の大ファンである吉川が「何らかの形で参加したい」と熱望したことによるもの。シーンに合うオリジナルを10曲ほど作曲、自身の代表曲から4曲をアレンジして提供している。
同年、DJ TASAKAとKAGAMIによるテクノユニット「DISCO TWINS」のアルバム『TWINS DISCO』にて“Juicy Jungle”、“Thunder Storm”の2曲にゲストボーカルとして参加。
また吉川も出演した“Juicy Jungle”のPVはSPACE SHOWER Music Video Awards 07でBEST IMPACT VIDEO賞を受賞。授賞式ではスペシャルゲストとして登場し、DISCO TWINSとともにライヴパフォーマンスを行った。
またDISCO TWINSとのユニット「DISCO K2 TWINS」を結成し、シングル“Juicy Jungle”を発売。
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT解散後、晩年は故郷・広島に帰りペンキ屋として生計を立てていた同郷の後輩アベフトシを東京に呼び出し、自身のライヴへの参加を要請する。だがこの時、泥酔していた2人は会談の席で殴り合いの喧嘩になる。
翌日アベが吉川に謝罪しオファーを快諾。
2008年12月29日〜31日の代々木第二体育館で行われた吉川のライヴに出演し、吉川を「アニキ」と呼び慕うまでに親睦を深めた。しかし、これがアベの生涯最後のライヴ出演となった。
2009年7月22日未明、アベフトシは急性硬膜外血腫のため死去。満42歳没。
その日、7月22日は、アベ最後のライヴ出演となった演奏が収録された吉川のアルバム『Double-edged sword』(初回限定盤のDisc2 「25th Year's Eve Live」)の発売日であった。
2009年のNHK大河ドラマ『天地人』(主演:妻夫木聡)に織田信長役として出演。
同年に、徳間ジャパンコミュニケーションズから古巣のユニバーサルミュージックに移籍。
また、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に、
主人公の師である鳴海荘吉(仮面ライダースカル)役で出演。
2011年4月28日、吉川、布袋双方の公式サイトにおいて
COMPLEXが21年ぶりに一日限りの復活をすることが発表された。
同年5月31日にファンクラブのページにて一般女性との結婚を発表。
翌6月1日に、婚姻届を提出。
二人の間には既に第一子も誕生しており、未婚の父であったことも明かした。
7月30日、東京ドームにおいて「日本一心」と銘打ったCOMPLEXライヴを行った。
このライヴは3月に発生した東日本大震災のチャリティーライブとして行われ、
本公演の収益は同震災の復興、復旧に全額寄付された。
7月31日、追加公演が実現し、COMPLEXの復活は2DAYS公演となった。
2012年12月10日、ワーナーミュージック・ジャパンへ移籍し、同社にプライベート・レーベル「SAMURAI ROCK」を設立。
2013年2月13日、先行シングル“SAMURAI ROCK”リリース。
同年4月17日、アルバム『SAMURAI ROCK』リリース。
2015年、阿部寛主演のTBS系テレビドラマ『下町ロケット』で「財前道生」役を好演。
これにより第87回ザ・テレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞を受賞。
2018年放送の同作品続編にも引き続き同役で出演した。
2017年7月21日、左側声帯ポリープが見つかり除去手術を受けることを、日本武道館ライブのアンコールで明らかにした。
2018年1月20・21日、武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナのコンサート等の本格的な音楽イベントとしてのこけら落し公演を開催。前年のツアー終了後は治療に専念する予定であったが、ツアーの手ごたえを感じた本人の「ツアーをもっとやりたい、まだ歌いたいという思いが夏からどんどんふくらんできて」という意向を受けて行われたもの。
2019年2月1日~9月8日、デビュー35周年記念ライヴツアー
「KIKKAWA KOJI 35th Anniversary Live」を18会場で19公演実施。
2020年2月7日、配信限定シングル“Lucky man”リリース。併せて、過去の全楽曲、全アルバムのダウンロード配信&ストリーミング配信が解禁。
6月16日~7月14日、横溝正史原作のテレビドラマ『探偵・由利麟太郎』で
地上波の連続ドラマ初主演。
6月16日、同ドラマメインテーマ、エンディングテーマを書き下ろした配信限定シングル
“Brave Arrow/焚き火”をリリース。
8月2日、日本テレビほかNNN系列 全国放送『NNNドキュメント’20』
「シリーズ戦後75年 煉瓦の記憶 広島・被爆建物は語る」のナレーションを担当。
8月16日、NHK BS1スペシャル「原子の力を解放せよ ~戦争に翻弄された核物理学者たち~」出演。
(参照)
Wikipedia「吉川晃司「COMPLEX」
K2 NET CAST : KOJI KIKKAWA OFFICIAL WEBSITE
kikkawa.com