エリック・カルメン(Eric Howard Carmen/1949年8月11日~2024年)は、

アメリカ合衆国の歌手、ミュージシャン。

 

 

 

アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランド出身。

幼少の頃から音楽に親しみ、3歳の時にはすでにクリーブランド研究所に登録された中で最も若い学生だった。

6歳の時、叔母やクリーブランド・シンフォニー・オーケストラのバイオリニストから

レッスンを受けた。

11歳ころまで自身の歌を書きながら、ピアノを傍らにメロディ・メーカーとしての基礎を固める。また、ビートルズとローリング・ストーンズの影響でロックンロールにも目覚め、高校時代にバンドを結成。

 

ジョン・キャロル大学(John Carroll University)に入学し、

「The Cyrus Erie」というバンドを結成。エピック・レコードからシングルをリリースした。

 

1970年、エリック・カルメン(リズムギター、ボーカル、ピアノ)、ウォーリー・ブライソン(Wally Brysonリードギター、ボーカル)、ジョン・アレクシス(ベース)、ジム・ボンファンティ(Jim Bonfantiドラム)により、新たに「ラズベリーズ」(Raspberries)がオハイオ州クリーブランドで結成される。

 

1971年、ジョンが脱退、これによりエリックがベースに転向し、ベトナム戦争から帰還したディヴ・スモーリー(Dave Smalley)がリズムギターとして加入。

この頃、音楽プロデューサーであるジミー・アイナーの目に止まり、入札によりキャピトル・レコードと契約。

 

 

1972年2月14日、先行シングル“Don't Want to Say Goodbye”でデビュー。

 

4月10日、ファースト・アルバム『Raspberries』発売。

同アルバムのジャケットは、擦るとラズベリーの香りがする特殊加工が施された。

7月にシングル・カットした“Go All the Way”が10月に全米5位を記録する。

 

その後、エリックがリズムギター、ディヴがベース担当になり、

11月13日にセカンド・アルバム『Fresh』(明日を生きよう)発売。

 

 

1973年1月、シングル“明日を生きよう”(I Wanna Be with You)が全米16位。

 

6月にはシングル“Let's Pretend”が全米35位を記録。

 

9月10日、サードアルバム『Side 3』発売。

同年、シングル“Ecstasy”リリース。

 

ディヴとジムが脱退し、新しいバンド「Dynamite」を結成。

スコット・マッカール(ベース)とマイク・マクブライド(ドラム)が加入。

 

 

1974年9月16日、4枚目のアルバム『Starting Over』発売。

11月にシングル“Overnight Sensation”が全米18位を記録。

 

ラズベリーズはジョン・レノンがファンであることを公言しており、「Raspberries」のロゴ入りTシャツを着ている写真が残されている。また、映画監督のキャメロン・クロウもライナーノーツに寄稿するほどのファンであり、また、ブルース・スプリングスティーン、ジョン・ボン・ジョヴィ、ポール・スタンレー(キッス)などもファンとして知られていた。

しかし、この頃、メンバー間の恋愛関係が問題になる。

 

 

1975年4月、ラズベリーズ解散。

11月、エリックがアリスタ・レコードからソロ・デビュー・アルバム『エリック・カルメン』 (Eric Carmen)をリリース。アルバム邦題は『サンライズ』。

 

同アルバムから3作のシングルが上位にランクインした。

 

 

1976年、前年12月にファースト・アルバムからシングル・カットされた

“オール・バイ・マイセルフ”(All by Myself)が全米2位の大ヒットを記録。

 

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をモチーフにしたこの曲は、途中にピアノ協奏を挟んだ7分超のドラマチックな大曲(シングルヴァージョンは4分22秒)。セリ―ム・ディオンなど多くの歌手にカヴァーされた他、日本では何度かCMに使われたことがある。 (トヨタ自動車「ソアラ」(1991年等)。

なお、同アルバムから同年にシングル・カットされた“恋にノータッチ”(Never Gonna Fall in Love Again)もまた、ラフマニノフの交響曲第2番をモチーフにした

佳曲であり、全米11位、カナダでは1位を記録した。

 

他にも同アルバムからは“サンライズ”がリリースされ全米34位を記録している。

 

 

1977年8月、セカンド・アルバム『雄々しき翼』(Boats Against the Current)をリリース。Billboard 200での最高順位は45位。

 

アルバムからは、タイトルトラック“雄々しき翼”と“愛をくれたあの娘”(She Did It)の2曲のシングルがチャートイン。“愛をくれたあの娘”は、「Billboard」23位、「キャッシュボックス」15位、カナダでは11位となった。“雄々しき翼”は、後にBillboard88位、キャッシュボックス92位となった。

 

 

3番目のシングル“マラソン・マン”は、チャート入りしなかった。また、“恋のすべて”(Love Is All That Matters)は、チャイコフスキーの「交響曲第1番第2楽章」をモチーフにしている。

 

 

1978年に世界歌謡祭のゲストで来日。翌1979年には来日公演を行った。

同年9月、3枚目のソロ・アルバム『チェンジ・オブ・ハート』 (Change of Heart) をリリース。全米137位となった。

 

アルバムからは、タイトルトラック“チェンジ・オブ・ハート”が世界的なトップ20ヒットとなった。フォー・トップスの1964年の曲“愛をもとめて”のカヴァーも、アメリカ及びカナダのアダルトコンテンポラリーチャートでヒットし、特にカナダ(RPM)ではトップ10入りを果たした。

 

 

1980年、4枚目のアルバム『トゥナイト・ユア・マイン』 (Tonight You're Mine)をリリース。Billboard Hot 100で最高160位となった。また、全米74位を記録した“悲しみTOO MUCH”(It Hurts Too Much)と“オール・フォー・ラヴ”(All For Love)の2曲がシングル・カットされた。

 

 

 

 

1984年の映画『フットルース』(Footloose)のために劇中歌として書き下ろした

“パラダイス~愛のテーマ”(Almost Paradise)は、アン・ウィルソン&マイク・レノによって歌唱され、作曲家としての存在を改めて示した。

 

なお、同曲は1984年(昭和59年)7月6日 - 10月5日放送のTBS系テレビドラマ

『金曜日の妻たちへII 男たちよ、元気かい?』の主題歌にも使用された。

同年、自らの名を冠した2度目のアルバム『エリック・カルメン』 (Eric Carmen)が、ゲフィン・レコードからリリースした唯一の作品となった。

同アルバムからは、“噂の女”(I Wanna Hear It from Your Lips)がヒットした。

 

1987年に再び映画『ダーティ・ダンシング』(Dirty Dancing )へ “ハングリー・アイズ”(Hungry Eyes)、“メイク・ミー・ルーズ・コントロール”(Make Me Lose Control)を書き下ろし、チャートインした。

 

 

 

1998年、アルバム『夢の面影』リリース。

 

 

1999年夏には、リンゴ・スターとツアーを催行。

 

 

2004年11月に、31年ぶりにラズベリーズがオリジナル・メンバーで再結成。

ニューヨーク『デイリー・ニュース』紙で、年間のベスト・コンサートにラズベリーズが選ばれた。

 

 

2014年公開のアメリカ映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』にラズベリーズの“Go All the Way”が使用された。

同年、ラズベリーズ再結成10周年。

 

 

2015年、ソロデビュー40周年を記念して、1980年までのソロ・オリジナル・アルバム4枚をリマスターし、ボーナストラックを加えた特別記念盤が限定リリースされた。

 

エリック・カルメンの主な楽曲は、Cyrus Erie時代のものも含めて、

この「エッセンシャル」で聴くことができる。

 

 

2024年3月12日頃、エリック・カルメンの逝去が海外メディアで伝えられた。74歳だった。死亡日時や死因は明らかになっていない。

 

 

 

 

 

 

(追記)

2024年3月14日23:13

 

 

(参照)

Wikipedia「エリック・カルメン」「ラズベリーズ」

エリック・カルメン公式サイト

 

https://www.ericcarmen.com/

 

ソニー・ミュージック「エリック・カルメン」