寺田 恵子(てらだ けいこ、1963年7月27日~)は、日本のシンガーソングライター。ロックバンド「SHOW-YA」のヴォーカルとして知られる。

 

 

工務店社長を務める父の元、次女として生まれる。千葉県船橋市出身。

船橋市立薬園台小学校・船橋市立二宮中学校・千葉県立船橋芝山高等学校卒業。

 

影響を受けた歌手はカルメン・マキ、アン・ルイス。

物心ついた時には邦楽を中心に聴いていたという。

小学生の頃、カルメン・マキ&OZの『私は風』を聴いて自分と声が似ていることに感動し、漠然と歌の仕事がしたいと思うようになったとのこと。

他、洋楽アーティストで影響を受けたのは、オジー・オズボーン、ローリング・ストーンズ、ビートルズ、レッド・ツェッペリン、シンディ・ローパー、パット・ベネター、レナード・コーエン。

高校生の頃までは声の高さはソプラノで、高校時代の先生にはその声の高さから合唱部入りを勧められたこともあったが、カルメン・マキへの憧れから、枕を喉に当てながらシャウトしたりして声を潰していったという。

 

高校1年生の時、文化祭でヴォーカルを探していた男性バンドに誘われ、「カルメン・マキしか歌わないよ」としながらも加入、最初はこの男性主体の7人組バンドで活動。

その後、このバンドが練習拠点としていたスタジオの店長に、女子大生バンド「メデューサ」(SHOW-YAの前身バンド)に加入してはどうかと話を持ち掛けられる。

最初は女バンドが嫌いで出来ないと思っていたことから3回断ったが、メデューサの

メンバーの一人が偶然アルバイト先の友人であったことがきっかけで加入を決める。

 

バンド名「SHOW-YA」の由来は、居酒屋チェーンの「庄や」。

前身バンドの「メデューサ」時代、ことごとく音楽コンテストに落選していた寺田と中村は「バンド名が悪い」ということで意見が一致、その時に飲んでいた居酒屋チェーン「庄や」から名前を採ることにした。英語にすると「SHOW-YA」で「Show Ya」(「Ya」は「You」の口語表現で「ショーをあなたに」「あなたに魅せる」)になるということで決定した。結成メンバーは、寺田恵子(Vo、作詞、作曲)、中村美紀(Key、Co、リーダー、作詞、作曲)、五十嵐sun-go美貴(G、Co、作曲)、角田mittan美喜(Ds、Co、作曲)、仙波さとみ(B、Co、作曲)。

 

 

1982年、ヤマハ主催のバンドコンテストのレディース部門で最優秀グランプリバンドを受賞。

 

 

1985年8月31日、ファースト・シングル“素敵にダンシング (Coke Is It)”のリリースによりSHOW-YAのヴォーカリストとして、東芝EMIよりメジャーデビュー。

同曲はコカ・コーラのCMソングに採用された。

 

9月6日、ファースト・アルバム『MASQUERADE SHOW』をリリース。

 

 

1986年8月22日 リリースのシングル“ONE WAY HEART”が、テレビ朝日系ドラマ『ぶんぷくちゃがま』エンディングテーマに採用。

 

 

1987年5月25日リリースのシングル、“水の中の逃亡者”が、

テレビ朝日系ドラマ『大都会25時』の主題歌に採用。

 

同年からは自らのプロデュースで女性アーティストだけを集めたイベント

『NAONのYAON』を毎年日比谷野音で開催(1987年~1991年、1999年 番外編、

2008年、2013年~2020年※ただし2020は2021に延期)。

 

 

1989年2月1日、アルバム『Outerlimits』からの先行シングルとしてリリースされた

8枚目シングル“限界LOVERS”が昭和シェル石油CMソングに採用され、

オリコン最高位13位、売り上げ30万枚突破のロングセラーとなる。

 

同年6月7日リリースの“私は嵐”も引き続き、昭和シェル石油CMソングに採用。

 

同年9月1日リリースの7thアルバム『Outerlimits』は、従来のアルバムよりもヘヴィメタル色が強くなっており、ヒット・シングル“限界LOVERS”などが収録されていたこともあり、オリコン最高3位を記録し、60万枚を売り上げた。

 

 

1991年、方向性の相違から寺田はSHOW-YAを脱退。

 

 

1992年、シングル“PARADISE WIND”で「寺田恵子」名義でソロデビュー。NHK「バルセロナオリンピック」テーマソングに採用、オリコン最高28位を記録。

同年8月5日、ソロ名義のファースト・アルバム『BODY & SOUL』をリリース。

 

 

1997年、SHOW-YAやプリンセス・プリンセスのメンバーらと「全日本女子プロバンド」を結成。メンバーは、寺田恵子(Vo)、五十嵐sun-go美貴(G)、渡辺敦子(B)、富田京子(Ds)、力石理江(Key)。

 

 

1998年、公共広告機構「骨髄バンク『二十歳の登録』」キャンペーンのCMソングを担当。楽曲はPANTAの書き下ろした楽曲“スコア”。

同年9月、SHOW-YAは寺田脱退後、ヴォーカルを入れ替えて活動していたが、

ついにバンドとしての活動を終了する。

 

 

2002年6月18日、「RIDER CHIPS Featuring 寺田恵子」名義で“果てしない炎の中へ”を発売。RIDER CHIPSは、2000年に仮面ライダー生誕30周年を記念して結成されたバンドで、野村義男(G)、寺沢功一(B)、JOE(Ds)、渡部チェル(Key、アレンジャー)がメンバーで、2005年11月にRickyが正式にヴォーカルとして加入するまでは様々なヴォーカリストとコラボ。

 

 

2004年、ROCK’N JAM MUSICALにてミュージカル初舞台を踏む。

 

 

2005年、デビュー20周年のこの年、寺田の呼びかけでデビュー時の

オリジナルメンバー5名にてSHOW-YA再結成。

 

 

2006年、NHK-FMで『私の名盤コレクション』MCを担当。

 

 

2008年、LOUDNESSの二井原実、EARTHSHAKERの西田昌史とともに「西寺実」を結成。

同年2月11日、西寺実のファースト・アルバム『ふぞろいのロックたち 其之壱』をリリース。同アルバムは1970〜80年代の日本のロックの曲をセレクトしたカバー・アルバムである。

 

同年、17年ぶりに『NAONのYAON』を開催する等、ライヴを中心に、精力的に活動を開始。

 

 

2012年、22年ぶりとなるSHOW-YAのニューアルバム『GENUINE DIAMOND』をリリース。オリコン最高49位。

2013年7月24日、SHOW-YAとして23年ぶり13枚目のシングル“V.S. MYSELF”をリリース。オリコン最高52位。

 

 

2014年『NAONのYAON 2014』を皮切りに、30周年記念リリース第1弾として、

キャリア初のカヴァー・アルバム『Glamorous Show』をユニバーサル ミュージックよりリリース。

それぞれに伴うリリースツアーの他、春・夏年2回の「NAONのYAON」開催、バンド名の由来となった「庄や」目黒408店で寺田が一日女将を務めるコラボ企画を実施。

 

 

2015年、30周年を迎え、5月にカヴァー・アルバム第2弾『Glamorous Show II』、

9月30日、10枚目のアルバム『PROGRESS』リリース。オリコン最高34位。

12月、アニヴァーサリーイヤーの締めくくりとして

東京国際フォーラムホールAでライヴ『SHOW-YA BIG 30』を開催。

 

 

2016年10月19日、13年ぶりの寺田恵子ソロ・アルバム『PIECE OF MY HEART』リリース。オリジナルの新作のほか、憂歌団やダウン・タウン・ブギ・ウギ・バンドのカヴァーやSHOW-YAのナンバーのセルフ・カヴァーも収録されている。

 

 

2017年9月27日、SHOW-YA11枚目のアルバム『AURORA』リリース。オリコン最高68位。同年4月に配信限定でリリースされた「パチンコ北斗の拳7」で流れた“NO REGRETS”も収録。

 

寺田は様々なスタイルでライヴを行っており、コロナ禍においても

2020年7月27日、「寺田恵子ツイキャス【プレミア配信】」の第9回目を開催。

SHOW-YAの曲からソロ名義のナンバーまでを届けたという。

 

 

 

(参照)

Wikipedia「寺田恵子」「SHOW-YA」「NAONのYAON」

SHOW-YA OFFICIAL SITE