アン・ウィルソン(Ann Dustin Wilson/1950年6月19日~)は、

アメリカ合衆国のロック・バンド、ハート(HEART)のリードヴォーカル。

 

父は海兵隊の大佐であった。

カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、ワシントン州で育ち、

その後シアトル郊外のベルビューに移住。

実妹のナンシー・ウィルソン(Nancy Lamoureaux Wilson/1954年3月16日~)は

同じハート所属でギターを担当。

 

 

ハートの前身は、1966年にギタリストのロジャー・フィッシャーと

ベーシストのスティーヴ・フォッセンらが結成した「アーミー」というバンドが母体。

1968年にメンバーチェンジを行い、「ホワイト・ハート」と改名。

1971年にフィッシャー、フォッセンがオーディションを行い、アン・ウィルソンを見出す。

アンが加入し、「ホーカス・ポーカス」に改名。

ここでアンは、ロジャーの兄、マイク・フィッシャーと出会う。

1974年に「ハート」と改名し、以前からバンドに誘われていたナンシー・ウイルソンも加入。

 

アンとナンシーのウィルソン姉妹、ロジャー、スティーヴの4人組で

1976年にデビューアルバム『Dreamboat Annie』を発表。

レッド・ツェッペリンに強く影響された音楽性やアンの歌声、美人姉妹バンドなどが注目され、

“Magic Man” (全米9位)、“Crazy on You” (全米35位)等の曲がヒットした。

この時期アンとマイク、ナンシーとロジャーは恋愛関係にあった。

 

1977年には1stにも参加していたギタリスト/キーボーディストのハワード・リース、

ドラマーのマイケル・デロージャーを加えた編成で2ndアルバム『Little Queen"』を発表。

シングル“Barracuda”は全米11位を記録した。

 

1979年にアンとマイク、ナンシーとロジャーの2組のカップルが破局。

フィッシャーが脱退し、完全にウィルソン姉妹が中心のバンドとなる。

 

1980年、5枚目のアルバム『Bebe Le Strange』が全米5位を記録するも、

続く2枚のアルバム、1982年『Private Audition』が全米25位、

1983年の『Passionworks』が全米39位と徐々に低迷。

 

その間、1982年にはスティーヴとマイケルが脱退し、

ベースにマーク・アンデス、ドラムにはデニー・カーマッシが加入する。

 

1985年、起死回生を図り、それまでの自作オリジナル曲へのこだわりを捨て、

当時サバイバーやキッス等でヒットを連発していた敏腕プロデューサー、

ロン・ネヴィソンを迎え、初の外部ソングライター陣によるポップでキャッチーな曲を収録した

8枚目のアルバム『Heart』をリリース。

 

“What About Love?”が全米10位、“Never”が全米4位、“These Dreams”が全米1位、

“Nothin' At All”が全米10位と、シングル・ヒットを連発し、

アルバムもバンド初の全米1位となった。

 

 

 

1987年の9thアルバム『Bad Animals』も前作同様ロン・ネヴィソンが担当し、

全米2位、全英7位を記録。

シングル・カットされた“Alone”が全米1位、"Who Will You Run To"が全米7位、

“There's The Girl ”が全米12位を記録。

 

 

1990年の10thアルバム『Brigade』も全米3位、全英3位に達し、

シングル“All I Wanna Do Is Make Love To You”も全米2位を記録した。

 

1993年の11thアルバム『Desire Walks On』は当時盛り上っていた

グランジブームに押されバンドの人気は急激に低下。

 

この頃からアンとナンシーは「ラヴモンガーズ」を始めとしたバンド外のプロジェクト活動や

ソロ活動を重視し、サウンドも原点回帰のアコースティック路線を模索するようになる。

この間、デニーは、デイビッド・カバーディル(ホワイトスネイク)と

ジミー・ペイジ(元レッド・ツェッペリン)のプロジェクト「カバーディル/ペイジ」に参加。

その後カバーディルが再始動させたホワイトスネイクにも参加することになり、

1994年頃にデニーが脱退。

 

1995年MTVの看板番組「アンプラグド」に出演。StringsでAcousticなナンバーを披露している。この模様はのちにライブ作品『The Road Home』に収録。このライブには元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズをベースに迎えており、姉妹のツェッペリン好きの夢がかなったといったところだろうか。(ちなみにジョンはこのアルバムのプロデュースも行っている)

 

 

1998年、ベストアルバム『The Greatest Hits』リリース。

 

1999年ナンシー・ウイルソンはソロとして「LIVE AT MCCABE'S GUITAR SHOP」をリリース。

2000年から2001年にかけてナンシーは、当時の夫で映画監督のキャメロン・クロウの

『あの頃ペニー・レインと』(2000年)、『バニラ・スカイ』(2001年)のサントラに曲を提供。

 

2002年、HEARTはバンドメンバーも変え、久しぶりサマー・オブ・ツアーが行われる。

最終日には地元シアトルでライヴを行い、映像作品『Alive in Seattle』として発売されている。

このツアーにはデビュー当時からバンドを支えていたハワードの姿は見られなかった。

 

2004年、11年ぶりのオリジナルとなる12thアルバム『Jupiter's Darling』を発表。

このレコーディングにもハワードは参加せず脱退が決定的になる。

こうしてバンドは実質的に姉妹のプロジェクトとなる。

 

2005年キャメロン・クロウ監督の映画『エリザベスタウン』のサントラに

ナンシーのアコースティックなギターサウンドを提供。

 

2006年、TV番組『DECADES ROCK LIVE』にて、Alice in Chains、

Dave Navarro、Carrie Underwood、Gretchen Wilson、

Duff McKagan(b/ex:ガンズ・アンド・ローゼズ 現ベルベット・リボルバー)らと競演。

 

2007年9月、アン・ウィルソンが初のソロ・アルバム『Hope & Glory』をリリース。

本作はカヴァーアルバムで、ゲストも多彩でエルトン・ジョンやk.d.ラングらが参加。

 

「ハート」としては、現在のメンバーにストリングスを加えた編成で

1stアルバムをライヴ演奏で再現した作品『Dreamboat Annie Live』を発表。

 

2010年、13thアルバム『Red Velvet Car』を発表。

ナンシーとキャメロン・クロウの離婚が成立。

 

2012年、14thアルバム『Fanatic』を発表。ナンシーが大手映画会社の幹部と再婚。

 

2013年、『ロックの殿堂』入り。

 

2015年、1990年代に養子縁組をして2人の子どもを育てる

シングルマザーだったアンが、一般男性と結婚。

 

2016年、15thアルバム『Beautiful Broken』を発表。

 

近年、アンはソロで、ナンシーは自身のバンド「Roadcase Royale」で活動していたが、

2019年7月9日より久しぶりに姉妹そろってHEARTとしてのライヴ・ツアーを行った。

 

 

アン姐さんご健在のようで、何よりである。

 

 

 

(参照)

Wikipedia「アン・ウィルソン」「ハート(バンド)」

公式サイト

heart-music.com

amass

amass.jp