ボズ・スキャッグス(Boz Scaggs /本名William Royce Scaggs/1944年6月8日~)は、

アメリカ合衆国オハイオ州カントン生まれの歌手、ミュージシャン。

 

 

少年時代にウィリアムは、オクラホマ州を経て、

テキサス州ダラスの北に位置するプラノという町へ移住。

ギターを12歳で始める。

 

ウィリアムが入学した私立セント・マークス・スクール(日本の高校に相当)でつけられた

ニックネーム”ボズレー”が後に縮められ、”ボズ”と呼ばれるようになった。

 

当時、ボズが夢中になったのは、ラジオから流れるR&Bやブルーズ。

中でも大ファンだったのが、レイ・チャールズとジミー・リードである。

 

通っていたスクールで出会ったスティーヴ・ミラーにギターを習いながら

ヴォーカリストとして「ザ・マークスメン」に所属して音楽活動をスタートさせた。

 

スクール卒業後、ともにウィスコンシン大学に進学していたスティーヴと

「アーデルズ」というバンドを結成して、大学の社交クラブのパーティなどで演奏、

バーやクラブ、リゾート施設での仕事もこなすようになった。

学業を放棄して音楽活動に注力したものの、確固たる方向性も見出せなかったボズは

サンアントニオの陸軍に入隊。除隊後、「ザ・ウィッグス」を結成した。

 

1964年に渡英すると、当時のイギリス音楽シーンの充実ぶりに感化された一方、

ロンドンで挫折を味わったボズはデンマークやフランス、スペイン等にも足を伸ばす。

スウェーデンのストックホルムに2、3年滞在し、大道芸人の様なことも経験した中、

幸運にもポリドール・レコードの目にとまり、

1965年、ファースト・アルバム『ボズ』を発表し、デビューを果たす。

 

1966年、一度帰国したボズはバンド活動中のスティーヴと再会したが、

放浪生活への未練を断ち切れず、インドを経て、結局ストックホルムに戻った。

さまざまなバンドを渡り歩いているうちにスティーヴから連絡が来て、

サンフランシスコで至急ギタリストを探しているとのこと。

サンフランシスコに渡ったボズは早速、スティーヴ・ミラー・バンドに加入した。

1968年リリースの1stアルバム『未来の子供達』と2ndアルバム『セイラー』に

セカンド・ギタリストとして参加。一部の曲ではリード・ボーカルも兼任した。

アルバムに自作曲も収録できたボズは、2ndアルバム発売後、バンドを脱退した。

 

ロック・ジャーナリストだったジャン・ウェナーと組み、米アトランティックと契約。

デュアン・オールマンも参加したアルバム『ボズ・スキャッグス』を

1969年にリリースしたが、全米に広がるまでには至らなかった。

 

その後、米コロムビアに移籍し、1970年、移籍第1弾として

グリン・ジョンズのプロデュースによるアルバム『モーメンツ』をリリース。

続いて1971年『ボズ・スキャッグス&バンド』、1972年『マイ・タイム』、

1974年『スロー・ダンサー、』とコンスタントにアルバムをリリース。

 

そして1976年、名作『シルク・ディグリーズ』が誕生する。

 

本作はBillboard 200でボズにとって初のトップ10入りを果たし最高2位を記録、

英国では初のチャート・インで最高20位に達し、売り上げは400万枚を記録した。

本アルバムからは、全米3位になった“ロウダウン”や、

“何て言えばいいんだろう”(What Can I Say)、

AORのスタンダードとなった“ウィ・アー・オール・アローン”などもヒットし、

ボズは国際的なスターへの階段を登り始めた。

 

 

また、この時のバックを務めたデヴィッド・ペイチ、ジェフ・ポーカロが中心となり、

後にTOTOが結成されたのは余りに有名である。

 

1977年の『ダウン・トゥ・ゼン・レフト』は前作に引き続き、

デヴィッド・ペイチやジェフ・ポーカロに加え、さらにスティーヴ・ルカサーも参加。

1979年1月14日付のBillboard 200で11位に達し、

ボズ自身2作目の全米トップ20アルバムとなった。

同アルバムからは、全米49位・全英33位・ニュージーランド7位を記録した

“ハリウッド”をはじめ、ヒット曲も生まれた。

 

1980年『ミドル・マン』では3回目のプラチナ・ディスクを獲得。

同アルバムからは“トワイライト・ハイウェイ”(You Can Have Me Anytime)や

“Jojo”などのヒット曲も生まれた。

 

同年、未発表新曲“ミス・サン”を含むベスト・アルバム『HITS!』をリリース。

 

1988年、8年ぶりの新作アルバム『アザー・ロード』をリリース。

日本ではオリコン洋楽チャートで1988年5月30日付から通算3週1位を獲得した。

同アルバムから“ハート・オブ・マイン”がスマッシュ・ヒットとなる。

 

その後、ヴァージン・レコードに移籍。

1994年『サム・チェンジ』、1997年『カモン・ホーム』、2001年『ディグ』、

2003年『バット・ビューティフル』、2008年『スピーク・ロウ』をリリース。

 

そしてボズは429レコードに移籍し、2013年に移籍後第1弾アルバムとして

旧知のスティーヴ・ジョーダンのプロデュースによる『メンフィス』をリリース。

Billboard 200では17位に達し、ボズのアルバムとしては

1980年の『ヒッツ』以来の全米トップ40アルバムとなった。

 

タイトル通り、テネシー州メンフィスでレコーディングされた同アルバムは、

アル・グリーンの“ソー・グッド・トゥ・ビー・ヒア”や、

少年期のアイドルだったジミー・リードの“ユー・ガット・ミー・クライン”、

スティーリー・ダンの“パール・オブ・ザ・クォーター”などのカヴァーが中心で、

ボズの自作曲は2曲のみという構成である。

 

その後、レイ・パーカー・ジュニアも参加し、カントリーの本場ナッシュヴィルで

レコーディングされた2015年『ア・フール・トゥ・ケア』、

2018年には前作に続きギターを担当するレイをはじめ、

名だたるミュージシャンをバックにブルーズへの回帰を見せた

19枚目のオリジナル・アルバム『アウト・オブ・ザ・ブルース』と、

精力的に音楽制作に取り組んでいる。

 

 

 

また。ボズはライヴも積極的に行っており、

日本へも1978年の初来日以降、20回ほど訪れて公演を行っている。

 

特に2008年には、名作『シルク・ディグリーズ』をともに作り上げた

盟友TOTOとのジョイントツアーで東京国際フォーラムなど

東名阪と横浜のホールクラスの会場で観客を沸かせた。

 

直近では2019年に。北は仙台から西は広島までを回った。

 

 

‘70~’80年代に全盛期を迎えたボズは、AORを代表するシンガーとして

おしゃれで格好いい存在だった。

しかし、最近の楽曲でギターを弾きながら歌う姿が、

これまた渋くて格好いい、ボズ・スキャッグスなのである。

 

 

(参照)

Wikipedia「ボズ・スキャッグス」

ソニー・ミュージック ボズ・スキャッグス

https://www.sonymusic.co.jp/artist/BozScaggs/

ボズ・スキャッグス

https://www.bozscaggs.com/