ロイ・オービソン(Roy Kelton Orbison/1936年4月23日~1988年12月6日)は、

アメリカ合衆国・テキサス州ヴァーノン出身の歌手。

 

 

 

 

愛称は、ビッグ・オー(The Big O)。

 

父親からギターを習い、幼少の頃から地元のラジオやテレビ番組などに出演していた。

高校時代にバディ・ホリーのプロデューサーだったノーマン・ペティに見出され、

エルヴィスやジョニー・キャッシュ、ジェリー・リー・ルイス等で有名な

サン・レコードから1956年にシングル“Ooby Dooby”でデビューし小ヒットした。

 

その後、1956年から1959年にかけてサン・レコードとRCAビクターで

数枚のシングルを発表したが、当時は歌手としてよりも、

エヴァリー・ブラザーズに書いた"クローデット"の作曲者として名が知られていた。

 

ところが、1959年にモニュメント・レコードへ移籍してからは一転してヒット曲を連発。

伸びやかなファルセットが特徴的な歌声とロカビリー調の楽曲で、

在籍した1965年まで、全米9曲と全英10曲のトップ10シングルをリリースした。

 

後にグラミーの殿堂入りを果たした1960年のシングル“Only The Lonely”や、

後年ドン・マクリーンのカヴァーが全米1位になった1961年“Crying”、

リンダ・ロンシュタットがカヴァーしてヒットさせた

1963年“Blue Bayou”など、楽曲にも恵まれたこの時代のロイは、

間違いなく黄金期を迎えていたと言っていいだろう。

 

 

 

1963年には、当時ブレイクしたばかりのビートルズとのジョイント・ツアーを敢行。

その後、ロイはブリティッシュ・インヴェージョンを乗り越えた

稀有なアメリカ人アーティストの一人として、本国以上にイギリスで大きな人気を集めた。

 

しかし、ロイ最大のヒット曲は、何と言っても1964年にリリースされた

“オー・プリティ・ウーマン”だ。

全米・全英チャートで共1位を獲得し、全世界で400万枚のセールスを記録。

 

 

1990年にはゲイリー・マーシャル監督の映画『プリティ・ウーマン』の主題歌として

またも脚光を浴び、ロイの数あるヒット曲の中でも最も有名な作品となった。

 

 

だが、モニュメント・レコードからメトロ・ゴールドウィン・メイヤーに移籍した

1960年代後半以降の活動は不調が続いた。

しかも、1966年に妻がオートバイの事故死、2年後には火事で息子のうち2人を失うなど、

私生活でもロイを続けざまに悲劇が襲った。

ただし、1967年にはオービソンの主演映画『The Fastest Guitar Alive』が公開。

そして1969年にロイはバーバラと再婚した。

 

 

アサイラム・レコードで活動していた1970年代もヒット曲には恵まれなかったが、

同時期はリンダ・ロンシュタットの“ブルー・バイユー”など

他のアーティストによる過去のヒット曲のカバーがヒットチャートを賑わせた。

1982年、ヴァン・ヘイレンの“オー・プリティ・ウーマン”は全米トップ20内にランクインした。

 

また、自身も1980年にエミルー・ハリスとのデュエット曲

“ザット・ラヴィン・ユー・フィーリン・アゲイン”がグラミー賞を受賞するなど、

着実な成果もあげている。

 

また、1986年にはデヴィッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』に

“イン・ドリームス”が印象的に使われ、話題になった。

 

 

 

 

その後、1987年にロックの殿堂入りを果たす。

同年9月にアンバサダーホテルのクラブ「ココナッツ・グルーヴ」で行われたステージで、

エルヴィス・コステロやブルース・スプリングスティーン、トム・ウェイツなどと共演。

この模様は、後にライヴアルバム『ブラック・アンド・ホワイト・ナイト』として発売。

 

 

翌1988年には、ジョージ・ハリスンとジェフ・リンによって結成された覆面プロジェクト、

スーパーバンド「トラヴェリング・ウィルベリーズ」に、

ボブ・ディラン、トム・ペティとともに参加。

メンバーがそれぞれ変名を名乗ったこのバンドでロイは、

「レフティ・ウィルベリー」という偽名を名乗った。

アルバム『トラヴェリング・ウィルベリーズ Vol.1』は

全米のビルボードのアルバムチャートでトップ10以内にランクインする大ヒットを記録。

1989年グラミー賞「Best Rock Performance By A Duo Or Group With Vocal」を受賞している。

 

 

 

しかし、シーンの中心に見事返り咲いたその矢先の同年12月6日、

ロイは心筋梗塞のため他界。52年というあまりに短い生涯に幕を下ろす。

 

各国で親しまれた彼の突然の訃報は世界に大きな衝撃を与えた。

 

1989年に発表されたアルバム『ミステリー・ガール』やシングル“ユー・ゴット・イット”は

ロイにとって久しぶりのヒットとなった。

 

 

 

同年には「ソングライターの殿堂」入りを果たした。

1992年、未発表音源を中心としたアルバム『キング・オブ・ハーツ』が発表された。

同作には、オービソンの死後にオーバー・ダビングが施されて完成した曲も含まれている。

2010年には「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」の星を獲得した。

 

所属レコード会社を何度も移籍したロイ・オービソンだが、

絶頂期のヒット曲から遺作と言われるナンバーまでを網羅しているベスト盤は、これ。

 

 

The Big O, 

R,I,P