さだ まさし(本名:佐田 雅志/1952年4月10日~)は、多才な人である。

 

 

 

シンガーソングライター、タレント、小説家、童話作家、映画監督、

さらには母校である國學院大學の客員教授など様々な肩書を持つ。

 

1996年に長崎県民栄誉賞、

2004年には長崎市栄誉市民に選ばれるなど、長崎の顔でもある。

 

 

そんなさだまさしは、長崎県長崎市で生まれ、

3歳の時に始めたヴァイオリンで才覚を発揮。

 

九州地区大会で上位入賞を認められ、小学校卒業後に単身上京し、

中学生の時にギターを演奏しながら歌を作るようになる。

 

しかし音楽系の高校を目指すも受験に失敗したことからヴァイオリンへの情熱を失い、

ギターや作詞・作曲以外にも、小説作り、落語など多彩な活動を行う。

 

この頃に知り合ったのが、後にグレープを結成する吉田正美である。

 

 

國學院大学へ進学するも中退し、吉田と「グレープ」を結成。

 

1973年10月25日に“雪の朝”(作詞・曲:さだまさし/以下特記が無い限り同じ)で全国デビューしたがヒットせず、

続く2枚目“精霊流し”(編曲:グレープ)も最初はパッとしなかった。

 

ところが東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の中で毎週のように流され、

その結果、チャート最高位2位の全国的なヒットとなり、

この年の第16回日本レコード大賞作詩賞を受賞した。

 

1975年11月にリリースした“無縁坂”(編曲:さだまさし)もヒット。

 

しかし、その頃さだは病気を患いプロデューサーに長期休養を打診したが断られる。

 

またシングル発売してない“縁切寺”(編曲:さだまさし/アルバム『シンフォニー』収録)のヒットなどから、「グレープの音楽は暗い」というイメージがついてしまい、

自分たちのやりたい音楽と聴衆のニーズとの間に乖離が生まれたこともあり、

1976年4月に解散するに至った。

 

なお、さだは解散コンサートにて解散の理由を

「精霊流し、無縁坂、縁切寺ときたらあとは墓場しかない」と述べている。

同年秋に出したソロ初シングルは売り上げが芳しくなかった。

 

 

1977年3月10日に出した2ndシングル“雨やどり”(編曲:渡辺俊幸)がオリコンシングルチャート1位を獲得。

 

11月25日、4thシングル“案山子”(編曲:渡辺俊幸)もオリコン15位とヒット。

 

 

1978年10月に個人レーベル「フリーフライト」を設立。

 

 

1979年1月1日、同レーベルから初のシングル“天までとどけ”(編曲:渡辺俊幸)をリリース。

 

7月10日、シングル“関白宣言”(編曲:福田郁次郎・さだまさし/弦編曲:藤田大土)を発売すると150万枚を超える大ヒットとなる。


以後、1979年10月12日“親父の一番長い日”(編曲:山本直純)、1980年2月25日両A面“道化師のソネット”(編曲:渡辺俊幸)/“HAPPY BIRTHDAY”(編曲:さだまさし)、同年7月“防人の詩”(編曲:渡辺俊幸)、1981年2月25日“驛舎”(編曲:服部克久)、1982年5月25日“しあわせについて”(編曲:渡辺俊幸)など、数々のヒット曲を放つ。

 

 

 

 

 

 

音楽が絶好調だった1980年代、さだは映像とのかかわりを深めていく。

1980年、映画『翔べイカロスの翼』に主演し、主題歌に“道化師のソネット”(編曲:渡辺俊幸)を提供した他、音楽も担当。

 

翌1981年にかけ、中国大陸を流れる大河を舞台にしたドキュメント映画

『長江』を制作、監督し、主題歌“生生流転”(編曲:さだまさし/弦編曲:服部克久)も担当した(1981年11月公開)。

映画自体は120館上映というヒットであったものの、

それ以上に制作費がかさんだため、金利を含め35億円もの負債が残った。

 

 

 

1981年、フジテレビ系ドラマ『北の国から』の音楽を担当する。

テーマ曲“北の国から〜遥かなる大地より〜”はドラマの大ヒットとともに

非常に有名な曲となる。

 

 

 

さだはCMへの楽曲提供も多いが、変わったところでは

2009年ソフトバンクモバイルCM内で“私は犬になりたい¥490”を歌唱。

本作品はタイトル通り実際に490円で販売されたことでも話題になった。


 

2000年代に入ると小説や童話などの文学作品を手掛けるようになる。

 

 

2001年9月、小説『精霊流し』を発表。

後にNHKでテレビドラマ化、さらに映画化もされた。

 

 

 

さらに、同小説をテーマに選曲したアルバム『小説「精霊流し」の世界』を発売した。

 

 

児童書『おばあちゃんのおにぎり』発刊、2002年に「ひろすけ童話賞」を受賞する。

 

2002年12月、小説集『解夏』(げげ)を発表。

2004年に映画化、フジテレビ月9枠で『愛し君へ』としてドラマ化された。

 

2004年12月には、長編小説となる第3作『眉山(びざん)』を発表。

NHK-FMでラジオドラマ化され、漫画雑誌のシルキーでコミック化された。

2007年には東宝制作で、犬童一心監督により映画化された。

 

 

 

2019年にはACジャパン「2019年度支援キャンペーン『にゃんぱく宣言』」で

CMソングを担当している。

 

 

さだについて、特筆すべきなのが「トーク」である。

 

ライブでは歌の合間のトークが普通のMC以上に大きな位置を占めているが、

ほとんどのライブ・アルバムではトークまでノーカットで収録されており、

さらにはトーク単体で音源や本としてリリースされているほどである。

 

これは、さだ自身の明るく話し好きな性格も去ることながら、

高校・大学時代に落語研究会に属したことで馴染んだ

落語に影響されたことも大きいだろう。

 

1994年から1997年にかけて『ステージ・トーク・ライブ 噺歌集』として

トーク(+インストゥルメンタル)のCD集が発売されたほか、

2006年には『さだまさし トークベスト』という

トークだけのベストアルバムまでリリースされ、

「本業である歌のCDより売れている」(本人談)。

 

 

 

 

 

また、このトーク力を活かしてラジオやテレビでパーソナリティとして活躍。

特にラジオでは文化放送『セイ!ヤング』シリーズ、

テレビでは2006年から続いている『今夜も生でさだまさし』など、

長期間担当となった番組も数多い。

 

 

一方、「本業」の音楽では、2002年3月21日、東京国際フォーラムにて

ソロ・コンサート通算3,000回という前人未到の偉業を達成。

12月にかけて、デビュー30周年記念コンサート・ツアーを実施。

 

2012年6月、デビュー40周年記念ツアー「さだまつり」を長崎からスタート。

 

2013年7月17日、日本武道館で、自身の記録を塗り替える

ソロ・コンサート通算4,000回目を達成。

 

2018年より自身のデビュー45年を期に所属レコード会社を

JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントに移籍。

同年7月4日発売の自身通算45枚目のオリジナルアルバム

『Reborn~生まれたてのさだまさし~』より同社からのリリースとなった。

 

 

 

 

 

 

 

現在は、46枚目のオリジナルアルバム

『存在理由~Raison d'être~』を2020年5月20日に発表の予定だ。

 

 

 

 

60歳代も終盤にさしかかった今なお、意気軒高なさだまさし。

 

デビュー50周年に向けて、歌も、トークも、小説も、

さだまさしが紡ぎだす言葉の勢いと輝きは止まらない。

 

 

 

 

 

(参照)

Wikipedia「さだまさし」