「漢詩」には汲めども尽きぬ味わいがあり、人の心の琴線にふれる名言、佳句が私たちを風雅の境地に誘ってくれます。

今日は、乃木希典の「爾霊山」を詠みます。

★二〇三高地の要塞は堅固とはいえ、攀じ登れないことはないはずだ。男子たるもの功名を立てようとするならば、これほどの苦難には打ち克てるはずだ。我が軍が激しく撃ち込んだ砲弾と兵士の屍(しかばね)が山を覆い、山の形までも変えてしまったほどだ。それほど凄まじい戦闘だった。だが、ついにこれを陥落させた今、多くの人々と、万感の思いで「爾霊山」を仰ぎ見ている。

★日露戦争で、第三軍司令官として指揮をとった希典が、二〇三高地を陥落させた後、激しかった戦闘をふり返り、勇ましく戦った兵士たちと、多くの英霊への想いを詠った詩である。ロシア軍の要塞は堅固で何度となく総攻撃をかけたが失敗し、焦りの色も濃くなっていた。この間の死傷者は約一万八千人。そこで、人海作戦による波状攻撃と、援軍の支援を受けてようやく、明治三十七年十二月五日に二〇三高地を占領した。希典は十一日に二〇三高地の頂上に立ち、戦闘の激しかったこと、若くして散っていった多くの英霊たちを弔い、この詩を詠じたのである。戦死者の中には希典の次男保典(やすすけ)もいた。絶句の法を無視して初めと終わりに「爾霊山」と二回用いているのは、この三字に無限の痛切な心情をこめているほかならない。これが、この詩の眼目、まさに血を吐くような一語である。

●爾霊山=二〇三(にれいさん)と読み、二〇三高地のこと。爾(なんじ)の霊山。●険=けわしい。●豈=どうして~だろうか。反語で否定している。●克艱=艱難にうちかつこと。●鉄血=鉄と血。武器と兵士の死かばね。●斉=皆そろって。同じように。