雑記 | フランス語発音上達ブログ!

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TOEIC980。早稲田英文→早稲田仏文修士→上智外国語学部修士→上智博士課程在学中の井上がフランス語の発音を上達させるための方法について話します。

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セルジオ越後のフットサル入門 (FOOTBALL NIPPON BOOKS)著者:セルジオ 越後
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サッカー王国ブラジルに見る「決定力」育成法著者:下田 哲朗,アデマール・ペレイラ マリーニョ
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ところで、僕がなんでこれだけブラジルサッカー(恐らく南米全体なんでしょうけど、地理サッカーとかの情報はあまり入ってこないので、ここではブラジルサッカーにしときます)とケルアックに惹かれるかというと、やはりこの二つが秩序からの逸脱というのを大切にしてるからではないかなと思います。



ケルアックは自発的散文という方式で、句読点やパラグラフと言った既成の作文方法に捕らわれない執筆の仕方を大切にしたんですけど、なんかこういうケルアックの理想って言うのは、本で見てる限りではすごくブラジルサッカーみたいな感じがするんですよね(ちなみに、ケルアックはこういう自由を大切にした一方、がちがちのカトリックである母親の影響も根強くうけてるので、そんなに簡単にケルアック=自由と割り切れるわけではないんですが)。先日図書館で上の二冊の本を借りて読んだんですけど、なんかブラジル人のは練習に対する感覚というのは本当に日本人と違うみたいです。



日本人だったら、誰でも「練習で出来ないことは試合でも出来ない」というフレーズを聞いたことがあると思うんですけど、セルジオ越後さんは著書の中でこの考えを破壊するようなことしか言いません。日本に来てヘッドスライディングの練習してるのをみて、「ヘッドスライディングは普通のプレーじゃ間に合わないから自然に出てくるプレーなのに、それを練習してどうするんだろうと思った」みたいな記述もありますし。じゃあ、どうやって練習してるのかって話になるんですけど、多分常に対人相手の練習をすることで相手の関係性の中で技を出すという感覚を磨いてるんじゃないでしょうか。



例えば、相手が右に体重をかけたから、左に切り返すみたいな形で。そこにあるのは右に切り返したら左に切り返すという決まった一連のパターンと言うよりは、その時の状況に応じて適切だと思われるプレーを選ぶことだと思うんですよね。そして、そうして相手との関係性の中で自分の感覚を磨いていく中で、自分でも想像のつかなかった技が出てくると。で、そこに自分の殻からの解放を見いだすって快感が生まれてくるんじゃないかなと。なにしろ、昔とあるブラジル人選手が、「どんな練習したらあんなドリブルできるんですか?」って聞かれて、「練習じゃ出来ない、試合で相手がいるから出来るんだ」って答えてたくらいですから。こういう態度ってのは、ケルアックの書くまでは何が出てくるかわからない、書いてみて初めて自分が何が書きたかったかわかるんだってのと似てる気がします。



で、じゃあ、日本人にこういう事が出来ないのかって言ったら、僕は出来ると思います。ていうか、多分程度の差はあれ、近代化する前はどこの国でも多かれ少なかれこんな感じだったと思うんで。実際、いわゆる日本の習い事でも古典芸能はこれに近いものを感じるんですよね。だって、いきなり型を教えたりしないで、まず黙ってみてろってとこから入りますし。ちなみに、よく日本は型の文化だって言われますし、僕もそれには異論はないんですけど、でもいきなり型を教えるってのは個人的にはあれは明治以降学校って言うシステムができあがってからの事で、もともとはそんな次々と型を教えていくってことはしなかったんじゃないでしょうか?なんでかっていうと、教えてもわからないから。



よく料理のマンガとかで、何も教えずに追廻をやらせといて、ある程度時期が経過するといきなり新しいことをやらせるってのがありますけど、あれはいきなり教えてもわからないから、とりあえず先輩がやるのを見ておくことで、ある程度型が身に付くから、そしたら時期が来たら教えるって話だと思うんですけど、これってすごくセルジオ越後さんがいっているサッカーの上達法方途にてますし。僕らが型を身につけるって聞いて思い浮かべるような、前蹴り1万回みたいな方法って、多分日本が近代化されたときに促成栽培的に取り入れたシステムで、それが特に軍隊っていうところに色濃く反映されたから、それが戦争が終わっても体育会ってというところに残ってるんじゃないかなと思うんですよね。今年授業でフーコーやってる人の話を聞いてそんなことを思いました。



そう言う意味では、英語教育の音読1万回みたいなのも、実は新しい勉強法で、focus on formみたいなアメリカで流行りみたいに捉えられている勉強法の方が実は日本の元からに近いのではないでしょうかという来ます。まあ、全然根拠ないんですが。



しかし、景気の悪化もあり、最近のJリーグではそういうブラジル風味を堪能させてくれるいかしたブラジル人選手がどんどん減ってるのは寂しい限りです。個人的には、柏のフランサがJのベストブラジル人プレーヤーだと思うんですが、来期はJ2でしかみれないんですよね。残念だ。







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