3月31日(木)
◎退職者辞令交付式
40数年の長きに亘り、地方行政の振興に寄与された8名の職員が退職されました。
退職者の皆様のこれまでのご労苦に感謝申し上げます。
今後は健康に留意され、ご健勝でご活躍されますよう祈っています。
◎追悼式
肥喜里和隆(元みやこ町議会議長)の葬儀に参列しました。
肥喜里氏への思いを綴ってみました。
<巨星墜つ>
肥喜里和隆(元みやこ町議会議長)氏がご逝去されました。ここに謹んで哀悼の誠を捧げます。
彼は昭和55年3月初当選以来、10期連続当選され、地方自治の発展に寄与されました。
その功績には大なるものがあり、叙勲の栄にも浴されました。
彼は周囲の方々に惜しまれ、平成27年3月勇退されましたが、
後継者としてご子息の肥喜里雄二氏が跡を継がれ、若手政治家として活躍されています。
肥喜里先生と初めてお会いしたのは私が代議士秘書時代、白川豊津町長のご紹介でお会いしました。
私が県議会選挙に出馬しようと考えたのも肥喜里先生らのご支援の賜であり、
30数年公私共お世話になりました。今でも忘れることができないのは、
平成3年3月中旬豊津町での事務所開きをした時のことです。
大雪が降り、事務所開きをできる状態ではありませんでした。
事務所の前はぬかるみでどうしようもない状態でした。
肥喜里先生の号令の下、職員らがパネルを敷き、何とか事務所開きができました。
凄い雪が降っていましたが、事務所開きの間は雪も止み、お日様が顔を出しポカポカ天気でした。
全ての行事が終わるとまた、雪が降り大変でした。
この日の出来事は今でも私にとっては忘れることのできない出来事の一つです。
肥喜里先生は信仰心の厚いお方でしたので、実に清廉潔白であり温厚篤実な穏やかなお人柄でした。
先生はゴルフが大好きで腕前はプロ級でした。体調を壊され、回復してから何度かゴルフのお供をしました。
多分最後のゴルフは私と一緒であったのではと思っています。
今回の町長選挙のことも大変気にされ、2月の初めまで私を連れ、知人らの処へ連れて行ってくれました。
入院されてから二度電話がありました。
最後に電話してくれたのが3月18日、あの時の会話は今でも忘れることができません。
最後の最後まで私の選挙を気にされ旅立って行ってしまいました。
私にとっては良き兄貴分であり、色々な事を相談してきました。
30数年公私ともにお世話になり、何の恩返しもすることなく逝ってしまいました。
もう少し長生きをして、ゴルフや人生論を語り合いたかったです。
ここに生前ご遺徳を偲び哀悼の誠を捧げます。本当にお世話になりました。ありがとうございました。