東日本大地震から10年が経過しました。
その日は18時から練馬区議会議員選挙に向けた私自身の最後の集会の予定でした。しかは14時46分に地震が発生しすべての活動が中止、そしてこの日を境に活動は一変。
議員候補予定者から国会議員秘書に戻り、各機関の対応に追われ、また4日後には福島県の被災地に入り現地での支援活動したことを今でも覚えています。
↑東日本大震災被災地

まともに活動できないまま翌月に迎えた練馬区議会議員選挙は38票届かず惜敗。
当時は地震の衝撃が大きすぎ落選したという実感はあまり湧きませんでした。


無職になり困っていた時に国会に来いと声をかけられ、元内閣官房副長官の秘書として国会に復職。
その後、震災と原発事故からの復興のために防護服を着て福島第一原子力発電所の視察の随行員として参加するなど、これまで公私あわせて5回ほど被災地に足を運び、自分の目で現場を見て、そして被災者の声を聞く活動をしました。
↑東京電力福島第一原子力発電所事故現場

あれから10年、今は区議会議員に当選させて頂き2期6年目となりましたが、東日本大震災で学んだ事、被災者の声、そして自身が現場で見て感じたことを忘れることなく区の災害対策に生かすことをライフワークとしています。もちろん災害現場に行く活動は今でも欠かすことなく実行しており、東日本大震災以降、大阪北部地震、熊本地震、広島県水害、北海道胆振東部地震、新潟糸魚川大火災が発生した際も被災者の支援とともに現場の声を聞く活動をしてきました。
↑糸魚川大火災現場

本日現在、2,525名の方が行方不明者、4万人以上の方が避難され、原発事故収束もまだ道半ばの状況の中、復興とはまだまだ言えない状況ではありますが、1日でも早く被災された皆様に平穏な日が訪れますことを心から願います。改めてお亡くなりになられた方のご冥福と、全ての関係者の方々にお見舞い申し上げます。
令和3年3月11日 井上勇一郎