自分探し、なんて昔流行ってインドなんかに行った同世代の友達は結構いますが。

 

さて、自分は見つかったのでしょうか?

 

自分とは、この「私」という感覚ですね。

 

身体があって「私」がある。

 

実際家にいようが、インド行こうが、どこに行っても離れないですね。

 

家にいる時とインドにいる時、常に一緒にいるのが「私」です。

 

果たして、私がインドに行ったのか?インドが私にやってきたのか?さてどっちでしょうか?

 

どっちにしろ、私は探すまでもない、という話ですが。

 

今度はこの探すまでもない「私」とは何なのか?という疑問が湧いてくる人もいます。

 

 

昨今マインドフルネス瞑想なんてのが流行っておりますが、元々仏教の瞑想からきたものですね。

 

仏教は「私とは何か」を明確に述べている教えてであります。

 

ゴータマシッダールタという男は修行の末、私の正体を突き止めました。

 

詳しくは仏教参照でございますが。

 

マインドフルネスにはそのような効能があるのは間違いございません。

 

 

瞑想と聞くとなんだか難しそうに思われるかと思いますが、マインドフルネスはいつでもどこでもその気になれば出来るのが特徴です。

 

禅では日々是好日なんて言われますように、一瞬が全てであります。

 

その一瞬というのを何となく感じ過ぎているのが人間であり、何となくにしてしまうのが煩悩である、と私個人は感じております。

 

一瞬を台無しにするのが過去への執着であったり、未来への不安、希望なんかもそうですね。

 

美味しいサンマを食べている最中、テレビで松坂牛が旨すぎるなんて芸能人が言ったらもうサンマは消えてしまいますね。

 

これが罰当たり。

 

 

話は長くなりましたが。

 

この一瞬に私が全て詰まっているわけで、ぬか床なんて管理しますと、強烈にこの私を感じる事が出来ます。

 

諸行無常、なんてありますけれども、まさに無常たる私がそこにいる。

 

これ本当に面白いんです。

 

ぬか床の蓋を開けようとする私

 

開けた時にの私

 

それを見た、感じた時の私

 

混ぜている私

 

ぬか漬けを食べている私

 

さて、「私」とはなんでしょうか?

 

まさに所業と共に無常でございます。

 

 

こんな感じでぬか床管理してもらいますとですね、瞑想なんてのも同時に出来まして面白いと思いますよ。