自然農法を世に知らしめた人、と言えば「福岡正信」氏。
私は心の師匠、と勝手に言っておりますが。
私も彼に感化され、一念発起して4年ほど自然農をやっておりました。
同時に、彼の「発言」はうそだらけだ、と心底思っています。
いや、そのウソもある意味彼のやさしさなんでしょう。
本当に伝えたい事のためにウソをつく。
言葉で伝えられないから、言葉でウソをつく。
写真はウチで販売しているぬか床です。
木桶でぬか床を発酵させております。
福岡正信は「人知や分別というのは一切役に立っていない」と一喝しています。
通常この言葉を聞いたら人は「いや、人知があるから便利な生活があるじゃないか」と即答するでしょう。
すると彼は「人知が環境を改善した事などありはしない、人知は自然から人を遠ざけるのみである」等と言うでしょう。
この問答が彼のお家芸とも言えますし、この問答で彼から人が遠ざかっていった、というのも頷けます。
私もそう思いますし、この爺さん何を言ってるんだ、とずっと思っていたものです。
しかし、ある程度自然農をやっていると気づく事があるんです。
「人知と分別の使いよう」
これは簡単言えば「ひらめき」です
ひらめくための人知、分別です。
ひらめきを得るまで、そこまで人知や分別を使い切る、という事です。
昨今では「心に従って動けば上手くいく」等と、根拠不明な事を言う人もおりますが、そんな次元の低い話ではありません。
考えて考え抜き、試行錯誤を繰り返した場合、それは心に従えば良いでしょう。
話を戻して、福岡の云いたかった事。
木桶でぬか床で例えるなら、木桶をカビさせないようにするにはどうすればいいか?です。
木製のまな板、これも簡単にカビますよね。
カビないように乾燥させてアルコール除菌する。
こうしておけばカビは防げますが、ぬか床は常に湿度があり、菌まみれです。
アルコール除菌は部分的には出来ますが、全体に施す事はぬか床を殺す事になります。
常に湿度があるので、除菌するとすれば常にする必要があり大変手間です。
そもそも昔の人はアルコール除菌等していたのか?
さて、これが自然との問答です、自然との対話です、人知分別の使いどころです。
前例も誰も教えてくれない事に対して、答えを出す必要があります。
その答えを導き出すためには、人知分別をフル活用する必要があります。
方法はただ一つ、常に観察、観続ける。
観察は目で見るだけではありません。
五感全てで観る。
その観た(感じた)ものをしっかり分別つける。
分別は学校で習った知識を使う事もありますが、多くは既に人体に備わった能力を使います。
皆さんは腐っている物とそうでない物の区別、つきますか?
普通つきますよね。
匂いを嗅げばわかりますよね。
その匂いは誰かに教わりましたか?
この部分でやっていけば、誰に教わってもいないけど本気でやってれば勝手に「ひらめく」のです。
これを福岡は言いたかったと思います。
昨今の人は、人に初めから備わっている、ある意味神から授かった能力について自ら放棄し、誰かが定めた一定の概念を信じ込み、目の前で起こる現象、感じている事を一切見もせず感じもしていない。
人は自然から発生し、生き死んで自然に還るのに、一体この人間という生物はこの星で何を見当違いの事をしているのか。
折角の美しいこの景色も、美しい音も、何も観ずにくだらないB級映画以下の景色を見て終わるというのは、それは大変悲しい事だ。
と言いたかった、と私は今は想います。