遅すぎますが(笑)、
新年明けましておめでとうございます(^^)/

わたしは新年早々インフルエンザで一大事を迎えております。日本の冬がひさびさすぎて、インフルエンザの予防接種を忘れていました。。。山は越えました。

さて、今年は初!門松寄せ鉢を作ってみました。のこぎりの切れ味が悪すぎて悪戦苦闘でしたがどうにか出来上がりました。

制作過程↓↓↓


ひたすらのこぎりとの格闘。


100均で買ってきたえんじと銀の紐をくるくるくる

そんなこんなで出来上がりました。

兄に、余った竹で灯籠作って庭に差したら?と言われたんですが、そんなことしたら父がもし引っかかってその上にダイブしたら突き刺さって死ぬと思ったため畑で焼却いたしました。

さて、一応新年ではあるのですが、個人的には本当の意味での一年の区切りは節分・立春かなと思っています。なので、早く節分来てほしいな、厄年終わってほしいな、という気持ちでいっぱいの今月です。まさかここに来てインフルエンザにかかるとは・・・な厄年です。

昨年末はカンボジアに怒涛の引っ越し作業に行ったのですが、前半はブログに書いたのですが、何も触れてない後半は協力隊での任地・タケオに行ってきました。いろいろ書くのが面倒なので、写真でどどどん、と。

























今更ながら、協力隊で任地がカンボジアってなるまでは、カンボジアに一度も興味を持ったことがなかったので、ご縁って不思議だなっと思います。そして、タケオはこころからのんびりできて大好きです。特に部屋を借りてたお家はまるで自宅のような気楽さがいいです。ひたすらのんびり。

これから私はまた全く違う道を歩みますが、私を成長させてくれたカンボジアに改めて感謝。


さて、そうこうする間もインフルちゃんは沈静化に向かっているようで、ようやく体温が微熱レベルになってきました。グッバイ・38度後半の熱。今日はいい一日になりそうです!

それではみなさまもよい一日を~✨
おはようございます。
ただいまカンボジアは朝の五時半です。
まだまだ暗いです。

さて、引っ越しのためにカンボジアに戻ってきて3日目。初日は夜に家についたので、大家さんと少し話して、夕飯代わりに青パパイヤのサラダ食べて、大好きなタピオカ屋さんの仙草ゼリー入りミルクティーを飲んで爆睡。昨日は日本に送りたい家具の分解し(大変すぎて叫んでたら大家さんか助けに来てくれました笑。男性の手にかかれば一瞬で終わりました)、大家さんと家賃の話し合いをし、友だちやお世話になった恩師?とごはんを食べてあっという間に1日が終わりました。

は~や~い~~~っ(>_<)

ここは一応外国なのに“海外に来た!”、というよりも“久しぶりの故郷に戻ってきた!”という感じがするのが不思議(笑)。日本で交通事故に遭った身としては危険運転が多すぎることに以前よりもびくびくしてはいますが、カンボジア、落ち着く~!!!ホーム感がすごいです。あ、ほんとにホームがあるからか…。

そして…

やっぱりカンボジア人、めちゃ優しい~!!

日本での私はなんて小さな人間なんだろうってこの国に来ると恥ずかしくなります。なんでこんなに他人に寛容で親切にできるんだろうとしみじみと思う。隣人に知らないお店の場所を訊いたらバイクで乗せてってくれるし、買い物であとのお客さんとか待っても全然いらいらしないし、大家さんはあらゆる点で助けてくれるし、寛容と親切心の平均値がもの凄く高い。寂しいことにそんな彼らと話すためのクメール語の単語をどんどん忘れていってるのは残念だけれど、昨夜乗ったタクシーの運転手に発音はほめてもらえたので私のカンボジアでの二年半もしっかり私の中で根付いてることも確認。ほっ。


さて。
今日は1日ガッツリ引っ越し作業です!!
郵便局から日本へ送りまくりたいと思います!いえす!!
家賃を思いがけず抑えてもらうことができたので、お財布に余裕をもって荷物を送れそうです。これまた、ほっ。送れない家具とかキッチン用品とかは全部大家さんにそのままあげて次の家主に使ってもらえたらと思います。

ちなみに。カンボジアのSIMカードは3ヶ月お金を追加しなかったら無効になっていました(cell card)。なので新しい携帯番号です。でも、SIMカードは一枚一ドルで再入手。どんだけ安いねん…!笑

今日は引っ越し作業以外は、夜にたまたま仕事でカンボジア滞在中の友人と会う予定。すごい偶然(笑)。

ほいでは今日もがんばろー!エイエイオー!!

やっぱり好きです、カンボジア。。
こんばんは!
すっかり冷え込み、今日は午前中は頭痛で寝込んでしまいました(×_×)

そして、午後…。

鉢植えクリスマスツリーづくりと…
松ぼっくりクリスマスリースづくりに奮闘しました。

鉢植えは一瞬でしたが、、、

リースでわたしの今日は終わりました(笑)
松ぼっくりはおととい海岸の松林で拾ってきていたのですが、今年は母がたまたまクリスマスによくある葉っぱを頂いていたので、材料費はゼロ!でもリースづくりに掛かった時間、五時間!!笑。お金はかけずに手間をかけてのクリスマスリースです。

出来上がったものは以下の通りです↓↓





さて、話は変わって、明日から一週間、カンボジアに行って参ります。今日は荷造りの予定でしたが、まさかの風邪、まさかのリースづくり5時間の影響で今から荷造りです(汗。が、がんばります…。。

帰国したらクリスマス直前なので、はやめに…

メリークリスマース!!!

無事、終息です。

 

来年から地元のお隣の市役所で働くことが決まりました♡

日本にて就職です!!!

 

公務員試験は申し込みから最終結果発表までの時間の長さには気が遠くなりましたが、時は満ち、次の進路が確定しました。長かったーーーーーー

 

日本で就職することは一生ないだろう、将来骨を埋めるのは日本じゃない、とばかり思い生きて来ましたが、ひょんなことからザ・地元での就職。実は正職員ははじめてなんですが、市役所、よく採用してくれたなーと驚きます。“公務員”という仕事は天職であることは間違いないので、しっかりがんばれると思います。というか採ってくれた面接官の方々に感謝して、一生懸命勤めたいです。心からの感謝。

 

カンボジアは・・・?

 

という感じですが、この5か月、ひきこもりや超・限界集落、異常気象災害、介護負担の増加などなど、こんなに地元にも課題があるのに、そして自分自身の家族もそういったことに直面しているのにわたしだけがまた海外に行って『誰かの役に立ちたい』っていうのもなんだか嘘くさいなーと思ったのが一番の本音です。もちろん、日本が発展し過ぎたゆえの問題に対しては、『こんなことって問題になるの?』という感じですが、もう私自身、次の世代の未来を作っていく時期に入っていて、現実に文句ばっかり言うだけでは何にも未来に対して責任を負っていないのも同じ。と、かっこつけるのではなく(笑)、まずはわたし自身、そしてわたしの家族・まわりの人が幸せになるお手伝いをしてから。まずは自分自身の足元を固めてから次に進みたいな、と思うようになりました。

 

どんな問題や苦しみも必死になればきっと光は見えてくる。カンボジアでも、必死になれば、諦めなければ、今は多少は努力でカバーできる時代。カンボジアの農村部での活動を続けたいと思っていたけれど、すべての理由は書きとどめないけれど、市役所の採用決定とともに意は決まりました。

 

この5か月実家に暮らして感じたこと。

 

地元、最高。

 

大分県は県庁所在地の大分市ですら人がやさしい。

自然豊か。食べ物美味しい。温泉最強。

 

あと、今まで全然気づかなかったけれど、母が季節にそった些細なしきたりを毎年こなしていることを知り、わたしは何も知らなかったんだと日本の慣習に対する無知さに愕然としました。お彼岸のお仏壇へのお団子づくりや、今月は冬至のかぼちゃなどなど。母から学ばなければならないことは、海外で学びたいことよりもずっとずっと多いようです。そんな母は今月から地域の児童・民生委員になり、今後も周りのひとたちに尽くしていきそうな感じで頭があがりません。ひとまず母が大変に感じている家事を(花嫁修業がてら)担って、彼女の負担減を図っています。地元に戻ることを一番喜んでくれているのは間違いなく母でしょう。あとはご先祖さまかしら(笑)?

 

面接官にも、兄弟にも、就職したらまとまった休みが取れないから最後に旅行に行かないのか尋ねられたけれど、実家での暮らし自体がワンダーにあふれていて、長期間日本を離れることは来週を置いてもうなさそうです。そう、来週を除いては・・・。

 

 

カンボジアの部屋、借りっぱなしなんですーーー!!!!!きゃーーー

理由をいえば、交通事故の後遺症で長時間の空の旅&引っ越し作業などできる状況ではありませんでした・・・。

 

てなわけで、来週いっぱい現地(カンボジア)にて引っ越し作業とあいさつ回りです(汗)。

お家賃の清算はもちろん、荷物を日本に送らないと・・・。

 

今回の目玉は何より、

“(お気に入りの)テーブルとイスをいかにして日本に送るか”

です。カフェテーブル風のセットが現地で65ドルだったんですが、類似品をネットで見たら4万円。これは送るしかないな、と。分解すればEMSでいけるはずなので、ほかの荷物も郵送することを考えたら、重ければ思いほどEMSの方が安全かつ自宅まで配送なのでEMSでいきたいと思います!!

 

あと農村部に行って事情を説明してお別れを言わなければと思います。

当たり前だったカンボジアの生活が竜宮城のようです。これまで非現実だった日本での暮らしが今や日常となっているのが不思議な感じです。見知らぬトゥクトゥクドライバーとの値段交渉やぼったくりとの闘いも、あの乱暴な運転も無縁の生活になるのが信じられない。非常に穏やかな生活。まわりの平均年齢もぐっと上がる。カンボジアは暑いし、うるさいし、交渉の連続だけれど、とにかく若い。なんだか日本とは正反対。世界は“世界”という言葉で切り取れない、そう思う。日本の中でも東京と大分じゃ全然違うけれど、海を渡ると、国境を超えると、異次元のようだと思う。同じ地球という上に暮らしているけれど、ブラジルもインドもカンボジアもぜんぜん違った。それぞれの国で過ごした時間は、1年、半年、2年半と32年の人生の一部分しかないけれど、大人になってからそこで見たこと・感じたこと・学んだことは、間違いなく今のわたしの血肉となっている。思考の基盤の一部となっている。あんなに濃い時間を日本で生み出せるのかとふと思ったけれど、これからの日本の時間も全力で濃いものにしていきたい。そのためには挑戦と努力に全力投球すること。このこころ穏やかな暮らしの中でも高い目標に向かって頑張ること。

 

22歳。精神的にどん底に近かったけれど、10年経ってこんな自分がいるとは想像もしなかった。10年あれば人間は3か国語習得することも、多少ダイエットすることも(笑)、数えきれないひとと出会い、新しい深い友情も築くことができるんだと学んだ10年。ポルトガル語もカンボジア語も単語は忘れる一方だけれど、まったく話せなかった英語で日々どこかの国の友だちとやりとりするようになっているとは夢にも思わなかった。努力すれば道は拓く。母のくれた言葉を胸に人生の振り返りのようなブログのまとめとします(笑)。

 

おやすみなさい。

 

 

おはようございます。

日本は朝の6時前。今日はとても寒そうな予感・・・。

 

最近、まだいろいろ確定してないからか、ブログを落ち着いて書ける心境ではないのか、全然更新しておりませんでした・・・(汗)。ただ、私自身は今、最高に元気です^^。いろいろあってひとまず日本での面接のためにいったん日本に帰国したつもりが、急きょ、日本で就職活動となり、そしたら今度は交通事故になり、リハビリもあって、カンボジアにまだまだ戻れない、という状況です。

 

ついでに自分のためのメモも兼ねて近況を綴りますと、先日、青年海外協力隊枠のUNV(国連ボランティア)にほぼほぼ内定しました。

 

ががががが、

 

日本の冬の到来もあってか、UNVの面接後に起きた交通事故の痛みが日に日に増してきたため、あえなく断念・・・。そもそも交通事故によって早々にカンボジアに戻れなくなったことも含め、『今は日本にいなさい!!』と、神様に強く言われているような感じがしています。

 

なので、交通事故の件を先方に伝え、辞退しました。

非常に残念かつ申し訳なかったです・・・。

 

さて、国連ボランティア、についてですが、青年海外協力隊を全うした人は、青年海外協力隊枠の国連ボランティアに応募することが可能です。それにはまず、JICAの青年海外協力隊事務局に申請し、書類や協力隊時の内部評価?などを基にした審査に通過することが条件となります。そして、審査に通過し、自分自身でUNVに情報を登録したら、JICAが青年海外協力隊経験者枠としてUNVに推薦してくれる仕組みとなっており、UNVとして案件をオファーされる確率が非常に高まるようになっています。


詳しくはJICAのサイトにある経験者の声を読むのが一番ですが、私の場合は登録からあっという間に面接となった印象でした。というのも、それには裏事情がありまして。。。

オファーを受けた案件はアフリカのとある国だったのですが、そこ、日本は渡航禁止に近いというような治安であり(ボコハラムの世界)、おそらく正規の国連職員をなかなかリクルートしにくくボランティアでもいいからすでに進行しているプロジェクトのサポートに早く来てほしいと人材確保の緊急性が高かったこと、そして、そこでの業務内容がまさに私のNGO職員時の業務にどんぴしゃだった、という奇跡があり、フランス語圏であるにも関わらず(私はラテン系の言語はポルトガル語のみ・・・)声をかけてくださったという感じでした。なので、UNVの事務局の方はしっかりと履歴書を読まれてマッチングをしているんだとしみじみ感じました。ただし、語学についてはしっかり情報を登録する際にフランス語は話せないからアフリカであるならが英語圏を希望と記載しましたが、そんなことより経験や資質を重視されていることも痛感しました。ひとまず英語であれば国連の書類はOKなので、どこでも赴任可能となるようです(というか、面接の時点でわたしの英語力では難しいかな、という感じで、完全に選考に落ちたと思い、辞退する必要もなにもそんなこと起きえない、と感じていましたが)。

 

突如、“ボコハラム”というテレビで耳にするワードが現実化したのですが、やはり、そんな新しい世界に飛び込んで、しかも初めてのフランス語圏で交通事故の後遺症が再発したら、まわりにも自分にも手が付けられないことだと感じ、辞退にいたりました。こんな機会、そんなにあることではないので、とても残念でもありましたが、仕方ないです。とにかく今は日本にいなきゃいけない時期であり、私自身の家族が一番私を必要にしているような気がしているので、先方には手間とひまを取ってしまい、非常に申し訳なかったものの、これでよかったと思っています。

 

私の家族が私の存在を必要としてくれ、日本でもこの国の未来を作る上でわたしにできることはある、という感じがして、最近は日本での生活が落ち着いてきています。しっかり、日本で自分の足元を固めていきたいと強く思います。近況はそんな感じです^^

 

 

さてさて、話が全く変わっちゃいますが、最近、手のひらがめちゃめちゃかゆいんです!!

かゆくてかゆくて仕方ない・・・!!

 

そういうこと、私には忘れた頃にやってくるくらいの頻度で起きるんですが、いろいろネットで調べてみると、手相が変わるときに起きるようです!(単に手が乾燥してかゆい場合もあるみたいですが苦笑)

 

かゆくなる場所はその時々で変わるんですが、今シーズンは薬指の下の方がもうモーレツにかゆい。そこが縦にかゆいんですが、調べてみると、太陽線という人気に関わる線の手のひらゾーンのようでした。さて、どう変わっていくんでしょうか・・・。今後が楽しみ?です。

 

ついでに手相のサイトをいくつかサーフィンしておりましたら、ずっと気になっていた自分の手相を発見!!私には特に2つ、前前からすごく気になってた手相がありました。

 

ひとつはなぜか大学生の時にニョキニョキと文字通りに伸びだした線。しかも両手に。

それは生命線の付け根から小指の下に一直線に伸びる線。

それっぽいのは知能線のひとつに分類されるみたいんなんですが、その意味は・・・

 

『・・・水星丘に伸びる頭脳線(知能線)は金銭感覚がしっかりしていて社交性もあり商才のあることを示しています。サバサバした性格で交渉力もありますので事業家などにむいています。ただ、打算的で感情より理性で物事を判断しがちなので冷たい印象をうけてしまいます。』

 

最後の一文がこころに一撃・・・。でも、感情的でヒステリックな女性になるより、理性的なクールな女性になれるかもしれない、と心をなぐさめたい。ま、この線とは別に私の元々の知能線もあり、上の線は本来の知能線に比べてすいぶん細いので補助線みたいな感じなのかな、と解釈。ただ、10年前に伸び始めた時はほんとなんだこれ?!という感じだったので、非常にスッキリ!!商売に向いている性格かも、とそれこそここ1年くらいに、自覚し始めたところなんですが。。

 

もいっこ、ずっと気になってたのが、薬指の下からななめに小指の下の方に流れる2本の線。これは右手のみ。これもいつの間にかニョキニョキと伸びていきました。そして、こちらもついに意味を発見!!

 

なんと!

忍耐力が最強の手相。

 

という事実。わたし、逆境に燃えるタイプなんです(本当に)。だから、この手相には納得。

サイトの文章を引用しますと

 

『濃い太陽線が(小指下、感情線よりも下の部分に向けて)2重で出る手相です。

これがある人が、一番、メンタルが強いですね。人よりも遥かに我慢強いです。

他の人にとっての我慢は、この手相の人にとっては我慢じゃなかったりします。

仕事で成功する人にも良く観られるのが、この太陽線の2重ですね。

ただ、人って強みを無意識に活かそうとするもので、

忍耐力が高いほど、忍耐の環境をつくりだそうとします。

ここの点に注意してください。

その忍耐力は、自分に試練を与えるためじゃなくて、

「幸せになる」「望みを叶える」ことなどに使うのがおススメです。』

 

私もちまちました人間関係の摩擦とかには参りますが、大きな逆境に挑むのは、むしろ覚悟が決まって闘志がめらめらと燃え始めるからこそ、言葉の通じない海外で暮らす方が楽しい・おもしろいと感じるのかもしれないな、と思っていました。前述したような、ボコハラムの世界も、本当であれば持ち前の逆境パワーで全力投球できるタイプです。ただ、家族や健康のこともあって、ボコハラムの世界には行きませんが。

 

手相が示してくれたこの逆境パワーを上手くいかして、日本で誰かのために役立てていきたいと思います。まずは家族から、ですね。

 

長年の手のひらの謎が解けてスッキリしました。

あー結婚線を読み解きたい(笑)。

 

それでは今日もよい一日を♪