無事、終息です。

 

来年から地元のお隣の市役所で働くことが決まりました♡

日本にて就職です!!!

 

公務員試験は申し込みから最終結果発表までの時間の長さには気が遠くなりましたが、時は満ち、次の進路が確定しました。長かったーーーーーー

 

日本で就職することは一生ないだろう、将来骨を埋めるのは日本じゃない、とばかり思い生きて来ましたが、ひょんなことからザ・地元での就職。実は正職員ははじめてなんですが、市役所、よく採用してくれたなーと驚きます。“公務員”という仕事は天職であることは間違いないので、しっかりがんばれると思います。というか採ってくれた面接官の方々に感謝して、一生懸命勤めたいです。心からの感謝。

 

カンボジアは・・・?

 

という感じですが、この5か月、ひきこもりや超・限界集落、異常気象災害、介護負担の増加などなど、こんなに地元にも課題があるのに、そして自分自身の家族もそういったことに直面しているのにわたしだけがまた海外に行って『誰かの役に立ちたい』っていうのもなんだか嘘くさいなーと思ったのが一番の本音です。もちろん、日本が発展し過ぎたゆえの問題に対しては、『こんなことって問題になるの?』という感じですが、もう私自身、次の世代の未来を作っていく時期に入っていて、現実に文句ばっかり言うだけでは何にも未来に対して責任を負っていないのも同じ。と、かっこつけるのではなく(笑)、まずはわたし自身、そしてわたしの家族・まわりの人が幸せになるお手伝いをしてから。まずは自分自身の足元を固めてから次に進みたいな、と思うようになりました。

 

どんな問題や苦しみも必死になればきっと光は見えてくる。カンボジアでも、必死になれば、諦めなければ、今は多少は努力でカバーできる時代。カンボジアの農村部での活動を続けたいと思っていたけれど、すべての理由は書きとどめないけれど、市役所の採用決定とともに意は決まりました。

 

この5か月実家に暮らして感じたこと。

 

地元、最高。

 

大分県は県庁所在地の大分市ですら人がやさしい。

自然豊か。食べ物美味しい。温泉最強。

 

あと、今まで全然気づかなかったけれど、母が季節にそった些細なしきたりを毎年こなしていることを知り、わたしは何も知らなかったんだと日本の慣習に対する無知さに愕然としました。お彼岸のお仏壇へのお団子づくりや、今月は冬至のかぼちゃなどなど。母から学ばなければならないことは、海外で学びたいことよりもずっとずっと多いようです。そんな母は今月から地域の児童・民生委員になり、今後も周りのひとたちに尽くしていきそうな感じで頭があがりません。ひとまず母が大変に感じている家事を(花嫁修業がてら)担って、彼女の負担減を図っています。地元に戻ることを一番喜んでくれているのは間違いなく母でしょう。あとはご先祖さまかしら(笑)?

 

面接官にも、兄弟にも、就職したらまとまった休みが取れないから最後に旅行に行かないのか尋ねられたけれど、実家での暮らし自体がワンダーにあふれていて、長期間日本を離れることは来週を置いてもうなさそうです。そう、来週を除いては・・・。

 

 

カンボジアの部屋、借りっぱなしなんですーーー!!!!!きゃーーー

理由をいえば、交通事故の後遺症で長時間の空の旅&引っ越し作業などできる状況ではありませんでした・・・。

 

てなわけで、来週いっぱい現地(カンボジア)にて引っ越し作業とあいさつ回りです(汗)。

お家賃の清算はもちろん、荷物を日本に送らないと・・・。

 

今回の目玉は何より、

“(お気に入りの)テーブルとイスをいかにして日本に送るか”

です。カフェテーブル風のセットが現地で65ドルだったんですが、類似品をネットで見たら4万円。これは送るしかないな、と。分解すればEMSでいけるはずなので、ほかの荷物も郵送することを考えたら、重ければ思いほどEMSの方が安全かつ自宅まで配送なのでEMSでいきたいと思います!!

 

あと農村部に行って事情を説明してお別れを言わなければと思います。

当たり前だったカンボジアの生活が竜宮城のようです。これまで非現実だった日本での暮らしが今や日常となっているのが不思議な感じです。見知らぬトゥクトゥクドライバーとの値段交渉やぼったくりとの闘いも、あの乱暴な運転も無縁の生活になるのが信じられない。非常に穏やかな生活。まわりの平均年齢もぐっと上がる。カンボジアは暑いし、うるさいし、交渉の連続だけれど、とにかく若い。なんだか日本とは正反対。世界は“世界”という言葉で切り取れない、そう思う。日本の中でも東京と大分じゃ全然違うけれど、海を渡ると、国境を超えると、異次元のようだと思う。同じ地球という上に暮らしているけれど、ブラジルもインドもカンボジアもぜんぜん違った。それぞれの国で過ごした時間は、1年、半年、2年半と32年の人生の一部分しかないけれど、大人になってからそこで見たこと・感じたこと・学んだことは、間違いなく今のわたしの血肉となっている。思考の基盤の一部となっている。あんなに濃い時間を日本で生み出せるのかとふと思ったけれど、これからの日本の時間も全力で濃いものにしていきたい。そのためには挑戦と努力に全力投球すること。このこころ穏やかな暮らしの中でも高い目標に向かって頑張ること。

 

22歳。精神的にどん底に近かったけれど、10年経ってこんな自分がいるとは想像もしなかった。10年あれば人間は3か国語習得することも、多少ダイエットすることも(笑)、数えきれないひとと出会い、新しい深い友情も築くことができるんだと学んだ10年。ポルトガル語もカンボジア語も単語は忘れる一方だけれど、まったく話せなかった英語で日々どこかの国の友だちとやりとりするようになっているとは夢にも思わなかった。努力すれば道は拓く。母のくれた言葉を胸に人生の振り返りのようなブログのまとめとします(笑)。

 

おやすみなさい。