マララ・ユスフザイの『わたしはマララ』。
昨年末からいまだにゆ~~っくりと読んでます(いろいろと同時並行で読んでいるためさらに時間がかかってます・・・)。
あと四分の一くらい残って、ふたたび心にひっかかったところを抜粋。
(P287) 女と海、より
「ナジマおばさんが泣いていた。生まれてはじめて海をみたという。わたしは家族といっしょに岩場に腰をおろし、海をみていた。アラビア海の潮風が吹いてくる。海は本当に広い。どこまで広がっているんだろう。その瞬間まで、わたしは上機嫌だった。『いつかこの海を越えてたいな』
『この子ったら、なにをいってるの?』おばさんがいった。そんなことできるわけないのに、とでもいいたそうだ。わたしまだ、おばが海沿いのカラチの町に30年住んでいながら、いままで海を一度もみたことがなかったという事実を受け止めきれていなかった。おじがビーチに一度も連れていってくれなかったのだろう。ひとりでこっそり家を抜け出すことができたとしても、字が読めないから、海の方向を示す標識を読むこともできなかったんだと思う。
わたしは岩に腰かけたまま、考えていた。この海の向こうの国では、女性は自由だ。パキスタンには女性の首相が誕生したこともあるし、イスラマバードでは、働く女性たちの姿に目を奪われた。でもやはり、この国のほとんどの女性は、男性に頼って生きるしかない。校長のマリヤム先生はしっかちした教育を受けた女性だけど、ひとり暮らしをして職場に通うことは、わたしたちの社会では許されない。夫か兄弟か両親といっしょに暮らさなければならない。
パキスタンの女性が自立したいという思いを口にすれば、父親やきょうだいや夫に従うのがいやなんだ、と受け取られてしまう。そういう意味ではないのに。自分のことは自分で決めて生きていきたいだけなのに、自由に学校に行きたいし、自由に働きたい。コーランのどこにも、女は男に依存するべきだ、なんて書かれていない。すべての女は男のいうことをきくべきだ、なんて神様がいったこともない。・・・」
あーーーーーーー
今、わたしも自由がきかなくて、とても苦しい(涙)。
苦しい、苦しい、苦しい。
言いたいことが言えない、書けない、伝わらない。
そして、ここの文化がやっぱりよくわからない、すべては受け入れられない、なのに向こうは外国人のそんな気持ちはわからない。ほかにもいろいろ。
そして、諸々の事情により、それを吐露できるひとがいない。
唯一、延々と活動の話をし続けられるのはシニアボランティアの方。
とても陽気な方なので、とても癒されます。
このままではわたし、死んでしまう・・・!!(嗚呼)。
もはやストレス・マネジメントとかいう状況じゃない気がするのです。
体を動かせば、一時のこの迷路のもやも薄くなるのですが、道が開けるのではないので。。
活動の糸口を見つけることが先決!!
パキスタンの女性とは全然状況は違うんですが、この、自分ひとりではどうにもならない状況に、なんだか、国内であっても一人歩きできないパキスタンの女性の気持ちが分かる気がします。
わたしはとりあえず、今、『枠を出ること』がテーマなので、ひたすら外部の方にコンタクトを取りまくってます。ひとりじゃできないことは明らか。一緒になって考えてくれる人を求めまくってます。いつか道は拓くと信じるしかないの状況です。しばらくはまだ停滞期のようです。むーん。
昨年末からいまだにゆ~~っくりと読んでます(いろいろと同時並行で読んでいるためさらに時間がかかってます・・・)。
あと四分の一くらい残って、ふたたび心にひっかかったところを抜粋。
(P287) 女と海、より
「ナジマおばさんが泣いていた。生まれてはじめて海をみたという。わたしは家族といっしょに岩場に腰をおろし、海をみていた。アラビア海の潮風が吹いてくる。海は本当に広い。どこまで広がっているんだろう。その瞬間まで、わたしは上機嫌だった。『いつかこの海を越えてたいな』
『この子ったら、なにをいってるの?』おばさんがいった。そんなことできるわけないのに、とでもいいたそうだ。わたしまだ、おばが海沿いのカラチの町に30年住んでいながら、いままで海を一度もみたことがなかったという事実を受け止めきれていなかった。おじがビーチに一度も連れていってくれなかったのだろう。ひとりでこっそり家を抜け出すことができたとしても、字が読めないから、海の方向を示す標識を読むこともできなかったんだと思う。
わたしは岩に腰かけたまま、考えていた。この海の向こうの国では、女性は自由だ。パキスタンには女性の首相が誕生したこともあるし、イスラマバードでは、働く女性たちの姿に目を奪われた。でもやはり、この国のほとんどの女性は、男性に頼って生きるしかない。校長のマリヤム先生はしっかちした教育を受けた女性だけど、ひとり暮らしをして職場に通うことは、わたしたちの社会では許されない。夫か兄弟か両親といっしょに暮らさなければならない。
パキスタンの女性が自立したいという思いを口にすれば、父親やきょうだいや夫に従うのがいやなんだ、と受け取られてしまう。そういう意味ではないのに。自分のことは自分で決めて生きていきたいだけなのに、自由に学校に行きたいし、自由に働きたい。コーランのどこにも、女は男に依存するべきだ、なんて書かれていない。すべての女は男のいうことをきくべきだ、なんて神様がいったこともない。・・・」
あーーーーーーー
今、わたしも自由がきかなくて、とても苦しい(涙)。
苦しい、苦しい、苦しい。
言いたいことが言えない、書けない、伝わらない。
そして、ここの文化がやっぱりよくわからない、すべては受け入れられない、なのに向こうは外国人のそんな気持ちはわからない。ほかにもいろいろ。
そして、諸々の事情により、それを吐露できるひとがいない。
唯一、延々と活動の話をし続けられるのはシニアボランティアの方。
とても陽気な方なので、とても癒されます。
このままではわたし、死んでしまう・・・!!(嗚呼)。
もはやストレス・マネジメントとかいう状況じゃない気がするのです。
体を動かせば、一時のこの迷路のもやも薄くなるのですが、道が開けるのではないので。。
活動の糸口を見つけることが先決!!
パキスタンの女性とは全然状況は違うんですが、この、自分ひとりではどうにもならない状況に、なんだか、国内であっても一人歩きできないパキスタンの女性の気持ちが分かる気がします。
わたしはとりあえず、今、『枠を出ること』がテーマなので、ひたすら外部の方にコンタクトを取りまくってます。ひとりじゃできないことは明らか。一緒になって考えてくれる人を求めまくってます。いつか道は拓くと信じるしかないの状況です。しばらくはまだ停滞期のようです。むーん。