退院の日の24日の空模様は雨かもしれないと思っていましたが、次の日、能見台の病院の窓に朝日が差し込んでいて、10時に迎えに来てくださる友人は朝7時半には家を出なくてはならないのでよかったと思いました。

22日の朝9時より手術が始まりました、今回は、丹羽先生ではなく手術を勉強される方が担当されるみたいです研究生Aさんとします、A さんは鼠蹊部からの針を刺したり、麻酔をするのも上手で丹羽先生も黙って見てらっしゃってカテーテルが肺に到着してからは、「そこをググってとか、ゆっくりとか引いてはいけないとか、1回だけ(痛いと声を上げてしまう時や肩や首がすごく痛く感じる時もあり、少し緊張感が漂っていました。)いろいろと指導されながら、4時間10分経過しました」手術が終わった頃に、丹羽先生が手術代の私のそばに来られて、右肺の処置はきれいにできました。左肺のほうはまだ大丈夫だと思います。と言われ退室されました、Aさんが鼠蹊部の止血をするために、10分ほどギュと抑えられ強いガムテープで抑えられ手術は一応終わりです。診察台のマットは分厚い低反発マットでしたので4時間30分ほどでも耐えることができましたが、ベッド(病院でも、良いマットや硬いマットがあるらしく、(硬いマットが好きと言う方もいらっしゃるらしくて)私は背骨が曲がっているので、柔らかいマットでお願いしますと言ってあったので、少し柔らかいマットに変えていただいていましたが、部屋に帰ってからの上向き寝の3時間はきつくて後半に吐いてしまいました、もしまた3回目があるとしたら、テレビの宣伝で卵でも壊れないと言う低反発マットを持参しようと思いました。3時間経過すると、背もたれを30度上げてくださり、ほっと一息ついて残り3時間を過ごすことができ後は自力では寝返りを打つ事はできませんが、看護婦さんの手を借りて寝返りをさせていただき自分の体じゃない位筋肉が自由に動きませんでした、そのうちに、お粥さん食に(1回目の経験から)していただいた夕食でしたが、普段なら食欲だけはある私ですが半分も食べることができませんでした。

点滴の針も夜には抜いていただき、朝早くに導尿も抜いていただき、自由に動くことができるようになりました。、

先生方や看護婦さんに感謝する。3泊4日の治療の日でした。