横浜は昼頃より冷たい雨が降っています。
3月ごろより、時々血痰喀血があってトランサミンとカルバゾルクロム(アドナー)を食後一錠ずつ2ヶ月半ほど飲んでいました、今に止まってくれるだろうと思っていましたが4月17日の23時30分ごろに中喀血があり救急車にて病院に連れて行っていただきました、私は止血剤を点滴で打っていただいて早く止血していただきたかったのですが、後で聞くと呼吸器の先生の処方箋がないと出せないらしくて点滴は水分補給のための点滴だったみたいです、夜中の4時ごろになって帰りますかと聞かれ、そして朝に呼吸器科の先生の診察を受けてくださいとも言われ今から帰っても心配だしまた来るのも大変だと思って救急外来に幸いにして夜中の救急外来患者は私1人だったのでストレッチャー(細くて弾力性がない)にて夜を明かし朝の診察を受けてから帰ろうと思い、10時ごろに若い女医さんの診察が始まり私の喀血した写真を見て止血剤の点滴が始まりました、1時間ほどの点滴中に咳とともに血痰が出始め、女医さんが来られ顔をじーっと見て入院して治療をちょっとしてみますかと言われ明日20日からの入院となりました。女医さんの頭の中には塞栓術があったのかもしれません。家に帰った19日の日に訪問看護婦さんが来られ私が咳が出て怖いだのと言っていたら「そんな事はお医者さんがちゃんとしてくださるし古新聞をくくっただけで出血するようではこれから生活やっていけませんよ、子供たちに迷惑かけたくないのなら、直していただける方法があるのなら受けなければと強く説得されました。
翌日入院し早速女医さんが来られ塞栓術の話になり、私は覚悟を決めて今日入院して参りましたのでお願いしますと返事をすると「じゃぁお昼から気管支鏡をして肺の中がどうなっているか見てみましょう」と言われた時「20年ほど前に大喀血をしたときの気管支鏡の怖い思い出が蘇ってきましたがベルト・コンベアに乗せられたみたいにベッドに横になったまま看護ステーションの横の処置室のようなところに入っていき5〜6人の先生やら看護師さんが周りをセカセカと動いてられ、私は咳が止まらないまま「大きく口を開けてシューと3回ほど麻酔をかけられマウスピースを口にくわえた時までは覚えていますが、気がついた時は部屋で横になっていました。
再び女医さんが来られ明日21日の14時から肺動脈塞栓術をおこないます。
21日の朝食と昼食は出ませんでしたが水分はとっても良いと言うことです、結局夕食も食べれませんでしたが手術の後で空腹感はありませんでした導尿をしているので歩いてトイレに行くと言う事は24時間できません。
本題の塞栓術に入るわけなんです、今は剃毛も電気髭剃りで処置するんですね。
昭◯のカテーテルの権威◯本教授と〇〇沢ドクターの執刀が始まり鼠蹊部に麻酔が打たれ針が刺されてお腹の上のあたりからわからない言葉が行き交っていましたレントゲンを撮るときだけ大きく息を吸って止めての時だけ参加できました、2カ所だけ塞栓するだけだったので2時間もかからなかったように思います塞栓する詰め物はプラチナではなくセレスキュー ゼラチンスポンジと言う名称らしいです、針を抜く時も止血のためギュと抑えられる時も大丈夫でした、多分手術が短かったので傷口に対して負担がすくなかったのかもしれません、後はひたすら上を向き背中腰の痛みに5時間耐えるのみでした。
術後の肺の痛みは咳をするたびに痛いですが耐えていれば日に日に良くなります。
肺動脈塞栓術の9日間の経過でした。
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