以下、NewsPicsに記述したものです。

ザハ・ハディド氏の死亡のニュースに接したとき
新国立競技場問題によるストレスも一因かと思わずにはいられませんでした。
最後まで日本側の意向をくみとろうと努力していたので白紙撤回は悔しくて眠れなかったでしょう。さらに白紙撤回の後、大成建設のA案、竹中工務店のB案のコンペ、これはザハ案でスタンドを担当した大成建設、屋根を担当した竹中工務店、屋根がないのではじめからA案ありきの出来レースでした。スタンドの設計はほぼザハのままだったから、著作権侵害で訴訟を起こすしかない、というのがザハ氏の追い込まれた立場です。そして専門家の予想ではザハ氏の言い分が通り500億円は取られるだろう、日本側は大恥をかく、だった。削った分は意味がないという、とんだ茶番が待っていた。
アンビルドの女王などとメディアが囃し立てたが、それは当事者の無責任体制をザハ氏のせいにするための誘導に過ぎない。ザハ氏は、予算が足りないなら削る案を用意すると申し出ていた。問題は削る側、施主にあった。JSC日本スポーツ振興センターは経験がなくゼネコンに振り回されるだけ。しかも彼らは当事者能力を発揮できない仕組みのなかにあった。検証委員会は「トップヘビー」と指摘したが、森喜朗氏ら施主の責任を負うべき人たちが方針を示さなかったとした。つまり120もの要求項目をひとつひとつバッサリ切るものは切るで決断しないとコストは下げられないのだ。いろいろ切って、ザハ氏にこれでやってみてくださいというのが再設計の作業手順なのだ。切るものも切れないで設計が悪いでは、施主とは言えない。それが実態だった。誰が悪いのか明確ではないか。
 ザハ氏に、対して心からご冥福をお祈りします。