今日、俺は日本共産党の支部を訪れ、党員としての勉強会に、参加してきた。
支部で学んだ、共産党の事は、俺の期待以上、と言っても良かった。俺は近代日本の歴史と、共産党の成り立ちについて、勉強した。
共産党が創立されたのは、1922年、7月15日で、国を統治する全権限を天皇が握る、専制政治(絶対主義的天皇制)がしかれ、
国民が権利と自由を奪われ、日本がアジアで唯一の帝国主義国として、アジア諸国に対する侵略と戦争の道を進んでいる、最中だった。
日本共産党は、この状況を打破し、まず平和で民主的な日本を作りあげる、民主主義革命を実現する事を当面の任務とし、
ついで、社会主義革命を実現する事を当面の任務とし、ついで社会主義革命に進むという方針のもとに活動した。
聞いた話だが、当時の社会に逆らう様な主張をしなければならなかった為、犠牲者も、多数出たそうだ。
ある熱心な共産党支持者の作家は、当時の天皇を批判する様な内容の小説を書いて、出版したために、当時の警察に捕まり、
二度とペンを持って字が書けない様に、と、右手の指を親指以外、全部逆さまに根元まで曲げられて折られ、捕まったその日の内に、
殺されてしまったそうだ。
その様な弾圧とも戦いながら、しかし共産党の主張は段々社会で通り、戦後の日本の中で、理想を実現して行く事になる。
1947年に施行された日本国憲法により、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、
民主政治の柱となる、一連の民主的平和的な条項を定めた。
ただ、形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、
そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。
今日は他にも様々な事を学んだが、俺が考えるに、現代日本の政治を改革して行く上で、一番日本で問題になって来るのは、
やはり、皇族と、日本に今も残っている、天皇制、コレである。
現代から約400年前、徳川家康は戦国乱世の時代を生き抜き、江戸幕府を開き日本を統一した。
この江戸時代は、その後日本で約300年も続き、日本は鎖国をしながらも、非常に安定した平和な時代を過ごした。
徳川家康は、日本をここ迄一手に牛耳ったのだから、自分達の一族が、これからは天皇に変わって日本を収めるのだ、と
大きな神社を建てたりして、徳川家を強く主張したりしたそうだ。
だがその後300年程経ち、江戸幕府はその統治にほころびが見え初め、やがて脆くも倒されてしまう。
家康は、非常に優秀な戦国大名ではあったが、やはり、1日本国民に過ぎなかったのである。
日本の天皇家は、男子一系をずーっと貫き通して来た、世界最古の一族だ、と前に聞いた事がある。
そして、俺が以前にもブログに書いて来た様に、古代、皇位継承者は、真伝の奇門遁甲の継承者でもあり、
秘中の秘である真伝を、口伝により世界でただ1人伝授し、其れを用いて日本を建国し、収め続けて国民に尽くして来た、
その張本人なのである。
北条一鴻先生によると、この真伝の歴史と言うのは、約5000年にも及ぶと言う。
つまり、日本で天皇として認められる、と言う事は、事実上、世界の最も中心にいる人物、と言う事である、と言っても過言ではないのである。
だから日本ではその存在が何よりも優先され、徳川家康程の男でも、後世になって、『いや、お前は違うヨ』と、
国民から否定されてしまうのだ。
しかしこれも以前ブログに書いた様に、現在の陛下と言うのは、その資質に欠けている。
彼が、そんな重要な地位についている為に、日本の政治もいつまで経っても乱れ続けるし、国民の心理的な負担も、軽くはならない、のである。
俺は現在、『木村』と名乗っているが、読者の皆様も、ほとんどの国民の方々も、多分、充分過ぎる程ご存知の様に、
現奇門遁甲継承者、北条一鴻先生の子供、である。
木村家の本当の息子では、ない。
天皇家の血は、北条一鴻先生を通して、俺にも立派に流れており、歴史のイタズラが無かったら、我が一族が国のトップに立っていたのである。
現代日本の皇族や、天皇陛下に対して対等に渡りあえるのは、多分、俺と北条一鴻先生だけだろう。
他の人では、彼らに対して、意見を通す事は難しい、と思う。
だが、このままでいい、とは俺は思っていない。共産党と手を組み彼らをバッグに、自分を主張して行こうと思っている。
この投稿を読んだ、読者のそこのアナタ。是非とも、是非とも、俺を支持し、応援して頂きたい!!1人では何も出来無い。だがみんなでやれば、
日本は、必ず変わって行く!!