俺の幼馴染みには、『村田俊』君、と言う名の人がいて、


 彼とは俺は、何と、幼稚園から、高校迄、一緒だった。



 小学校の時も、同じクラスになった事があり、検見川高校では、美術部で一緒だった。



 彼は冗談を良く言い、仲間達と良く、大声で笑い合っていた。しかし、



 幼稚園から一緒だったのに、俺が彼の言う冗談で、一緒に笑い合った記憶と言うのは、



 一度も無いのである。




 検見川高校に入学し、俺が段々落ちこぼれ初めると、


 不思議と彼は、今迄以上に、俺の周囲に良く現れる様になる。



 彼はそれまで、高校で部活なんかやっていなかったのに、突然、美術部に入部して来た。


 彼の父親は、東京芸大で非常勤講師をしていたそうで、彼も、世界中の一流の画家の事や、


 その作品の値段などに、詳しかった。



 

 そう言う話を、俺に部活で、話すのである。



 彼が言いたかったのは、本当は何だろう?彼は俺に、『自分の方がお前より絵を知っている。お前より優れている。』と、



 自慢したかったんじゃないだろうか?



 彼の心理の裏側や、根底には、俺に対して、非常に頑なな部分があった。


 そしてそう言う気持ちを、あの当時、俺に近づき、ぶつけて来た人間と言うのは、他にも、たくさん居たのである。



 彼らは、弱り、傷つき、助けを求める俺に対して、どんなに俺が苦しんでいても、同情してくれる、と言う事は、ほとんど無かった。



 だが、



 俺はあの当時、かなり、派手に、だらしなく助けを求めて居た。学校の中にも、世の中の中にも、



 そんな俺に対し、全ての人が、敵意を抱くとは、ちょっと考え難いのである。




 俺は今でも、仲間もおらず、友人もほとんどいず、女もいない。見かけ上、非常に孤独なのだ。



 だが、本当にそうだろうか?




 本当は世の中には、『お前しかいない。金や食事なら、ある程度俺達が用意してやる。』とか、



 『若い女の子が欲しいなら、アタシが彼女になってあげる。』とか、




 実は俺を援助しようと、手を差し伸べようと、考えてくれている人達、と言うのは、




 案外、大勢、社会の中に居るんじゃないだろうか?



 だが、村田君の様に、



 どんなに長く一緒にいる時間を過ごしても、『お前だけは、許せない!』と、



 根本的に価値観が違ったり、俺の社会的影響力などが許せなくて、




 社会の中だったり、俺の周囲に頑なに俺の邪魔をしようとする人達がいる為に、


 俺に、具体的に援助の手を差し伸べる事が、



 事実上、出来無いんじゃないのだろうか?




 俺の過去を振り返って見ると、俺を攻撃して来た人間達は、どいつもこいつも、



 体格が良かったり、地位が上だったり、



 俺にはとても、太刀打ちの出来無い様に思える相手、ばかりだった。みんな、今の自分ならコイツに勝てる、と、



 自信を持ち、何処か俺を、ナメてかかってくるのである。



 だが俺は、




 多分、修練を散々積んで、暗殺者として相当鍛えて来たであろう、あの病院で出合った吉田さんも、退けて来た。



 そして、このブログなどの活動を通じて、今や全国的に発信し、


 相当に、強くなっている筈なのである。



 今、俺が町を歩いていても、ブログに投稿しても、



 まともに文句を言って来る人間、と言うのは、


 もう、まずいない。


 アイツに逆らうと何をされるか、わからない。マズく行くと、命も奪われて仕舞う可能性がある。



 そんな恐怖が、みんなの中に潜在的にあるもんだから、


 村田君の様に、安易な行動には、もう出てこれないのである。




 俺はどんなに自分が強くなっても、社会の人達に、威張り散らして自分を主張しようとは、思わない。


 力で、人を制圧しよう、とも考えていない。



 俺の力は、キリスト教で教える様な、正しい事にのみ用いるつもりであり、



 結果として、多くの国民の為になる様な、社会の利益の為に、あるもの、である。