俺は、怖がられている。





 今、多くの日本人は、俺を否定したり、俺に逆らったりすると、やがてこの日本で、



 生活する手段が無くなっていってしまう事を、よく知っている。




 

 北条一鴻先生が画策し、俺が生まれた、約55年前にとった手段と言うのは、



 


 俺を、絶対に勝たせ、北条先生の考えている事を、何が何でも押し通し、実現させるのだ、と言う、




 

 普通の感覚から言えば、狂気に近い迄の物だった。



 

 だが、





 俺が自分を通し、其れを多くの人達が受け入れ生活して行く様になる様な、リーダーとして、



 本当に社会に君臨する為には、




 ただ力があり、威張っているだけでは、駄目である。




 俺が自分を主張する事で、多くの人に利益を与え、其れをみんなが享受し、




 結果として苦しみの少ない、豊かな生活を、保証出来る様にならなければならない。





 そうゆう社会、環境作りが出来て初めて、俺が生まれて来た意味が生きて来ると思うし、


 

 俺自身も、社会に公に、認められるんじゃないか?と思うのである。





 俺には正当な天皇家の血が流れているかも知れないが、


 そんな事より、多くの国民の生活が保証される方が、




 遥かに大切である。




 俺は天皇の地位に着く為、生まれて来たのでは無く、



 国民の暮らしを良くする仕事をする為、結果として、強く生まれ付いたのである。





 自分の人生を社会の為に活かす、作戦、手段、段取り、などは、日夜、あーだろうか、こーだろうかと、



 1人、暇な時に考えている。



 今年7月末に迫った、タカハシミナミさんへのアプローチの準備も、確実にその中の1つだ。




 その為に、会社の仕事、教会のミサの出席、通院、そしてこういうブログなどのSNSの活動や、共産党の応援などがある。



 俺はまだまだ、





 道半ばだ。





 思い付いた事、気付いた事などは、色々な手段を使い、社会に発信して行こうと思う。




 俺1人では、やはり何も出来無い。読者の皆様の、熱い熱いご支持と、ご支援を、賜われる様、努力して行く所存である。