次は高校生の時の事である。



 高校3年生の時、そう、久保君との事を、少し書いておこう、と思う。



 以前、『共主のブログ』にも書いた事があった様に、

 久保君には、人を小馬鹿にして喜ぶ様な所があり、


 しかも、みんなが笑っていないと、自分が嫌われて行くんじゃないか?と言う恐怖がある為、


 自ら率先して、人の揚げ足を取ったり、人を侮辱する様な話題、ばかりをしたがる、と言う傾向があった。



 当時の俺は、『自分が駄目な人間だ。』と思い込んでいたし、周囲の奴等はそう言う俺の心理を見抜いていながら、



 結託してワザと俺が気不味くなる様に、持って行こうとする様な所があったから、



 俺は益々、居心地が悪く、クラスで小さくなっていた。


 だが、俺が逃げようとすればする程、クラスの雰囲気は、悪くなっていく。みんなは俺に、引っ込んでいて欲しい、とは、


 本心で思ってないのだ。


 俺が、イジメられたり、劣勢に立たされているのは、わかっている。いい気味だ、と思う気持ちもある。


 だが本心では何処かで、逆らって欲しい、立ち上がって、戦ってくれた方が、良い雰囲気が流れる、と、わかっているのだ。



 だから庇うのではなく、返って俺に、攻撃を仕掛けて来る事になったのだった。



 前にも書いた様に、俺は相手にやり返そうと、考えなくても、恐怖を感じたり、不快感を感じたりすると、エネルギーを投げ返している。


 当時、特に俺に対して腹を立てていた久保君は、自分の性質にも、俺の能力にも、はっきりとは気付いて居なかった様だった。




 ある日、久保君は隣の席に座っている、俺に対し、クラス中に聞こえる様に、大きな声で、俺が童貞である事、家に帰れば自慰行為をしている事などをあからさまにする。


 そして、ニコニコと笑顔で喜んでいるのである。



 その時は俺は言い負かされっぱなしだった。(ちなみに久保君には、前に住んでいたシンガポールで、アメリカ人の女の子との経験が、中学生の時、あったらしい)



 


 その頃、俺達のクラスには、気不味さを通り越して、なんでも無いのに、みんなクスクス笑う、可笑しさが流れていた。


 その日も、そんな雰囲気が流れていた。しかし、ここでも又、俺は大失敗をし、みんなの、どヒンシュクを買ってしまう………



 俺は、我慢出来ず、大きく吹き出してしまったのである。



 クラスの雰囲気は急速に衰え、不穏な空気が流れ始めた。左隣に座っていた、小島環さんは、怒りに任せて机を左に持って行った物だから、


 ガタ!!と、大きく音がした。



 俺はいたたまれなくなり、休み時間になると同時に、教室から飛び出してしまった。



 俺はそのままトイレに行き、今日はもう帰ろうと、決意する。だがカバンが無い。カバンには弁当箱が入っている。持って帰らないと、臭ってきてしまう。



 教室に戻ってみると、クラス全員が後ろの黒板に注目し、集まっていた。席替えをしていたのだ。


 俺が姿を見せると、みんな又、凍り付いた。そして、「じゃ、一反、席に着こうか。」と委員長の支持が出た。



 全員が席に付き、そして委員長が「………どうしようかなぁ、なぁ、勝信。」と言って、こっちを向くと、


 他のクラスメイト、全員も、こっちを向いた。


 普通なら、ここでショックを受けるのだろうか?だが俺は、全く緊張しなかった。だって注目された瞬間、笑顔が溢れた位なのだから。



 委員長はまた、1人前を向き、まだぶつぶつ言っている。俺は「そんな事、言ってる間に………」と後ろを振り返った。



 それからのクラスメイトの対応は、全くソツが無かった。すぐ、「そうだよ!!」と2、3人が立ち上がり、抽選では無く、俺に最適と思える席を選んでくれた。



 席を選び終わると、間が空いて仕舞わぬ様、割合俺と話を良くしていた生徒が、さっと近くに寄ってきてくれた。


 俺と言う問題児を中心に、だが、俺が諦めて居ない事を知り、まとまって行ったのだ。





 ただ1人、久保君を除いて……。




 久保君は、俺のすぐ右隣に座っていた。クラスメイトが注目した時、彼は気不味ずさの恐怖から、机に顔を突っ伏し、ろくに息も出来無くなっていた様だった。