庄野潤三の『紺野機業場』(1969)という作品がある。石川県安宅町(小松市)で織物工場を経営する紺野友次氏の一族のお話を1965(昭和40)年から4度にわたってうかがったもの。話を読むと、近現代の病気治しやお伺い信仰がいろいろある。

(1)ではえびす様の総本宮とされる島根県の美保神社、(2)では主に石川県金沢市にある前田利家の菩提寺としても有名な九万坊桃雲寺(曹洞宗)に関するエピソードを紹介する。

 紺野家に養子として入った友次氏の実家の檀那寺は小松市の浄誓寺(真宗大谷派)で、母親が亡くなった12歳のときに友次氏は伴僧として寺に入ったが数年して家に戻った。その工場兼住宅の機業場には神仏習合の名残で神棚と仏壇があるが、信仰対象はさまざまである。279

 安宅町には浄土真宗のお寺が2つ、西本願寺と東本願寺のお寺があった。11月の3日間に町を挙げての報恩講があったが、昭和40年ごろには廃れた。かつて報恩講と秋祭は若い衆にとっては唯一の楽しみであり、恋をささやく機会であったという。283-284

 お寺参りが廃れたといっても、病気や結婚、進路選択などにおいて寺社が頼りにされていたことがうかがえる。

 

1)商売について

 友次氏の同級生の母親が精神錯乱を起こしていたことがあった。その同級生は金沢九万坊さま(九万坊桃雲寺)が霊験あらたかな神様と聞き、お参りして御祈祷してもらっていた。薬も教えてもらえるので、書かれたものを持って薬局へ行き、調合してもらった薬を母親に与えた。すると母親の精神錯乱が治り、天寿を全うした。350

 その話を聞いた友次氏は、商売の方向性に迷ったときに、九万坊さまにお参りして、神様にお尋ねした。①織物をやったほうがよいか、②茣蓙織機を作ったほうがよいか、③現在のように両方やったほうがよいか。すると、「将来は織物だけにかためたほうがよい。と言っても、困難なことがあるけれども、やがて成功の大道へ出ることができる」ということだった。そこで方向性を定めて、工場を建てることにした。棟上げのときに倒れて怪我人が出たが、幸いみな軽くて済んだ。354

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2)結婚について①

 友次氏の長女が××に嫁ぐ話が町内に知れ渡ると、警察の巡査がやめたほうがよいと友次氏に忠告に来た。懇意にしていた安宅の住吉神社の神主もやってきて「神様にお伺いを立ててみた。そしたら神様、面白ないと仰言った」という。345-346

 そこで、友次氏の妻が九万坊さまにお伺いに行ったところ、「これはやめたほうがいい。これをやったら、長くて十年の縁や」と言われた。このため、婚約の証としてもらった一升酒を先方に返して断った。××は別なところから嫁をもらったが八、九年経って死んだ。九万坊さまのおっしゃった通りになった。356

 その後、長女のもとに来た縁談について、九万坊さまにお伺いに行ったら、「それはやりなさい。一点瑕なき玉のごとき結婚じゃ」と言われたので、そこに嫁がせた。

 

3)結婚について②

 ある女性に縁談があったが、「親はいい人だが本人についてはいい人だと誰も言わない」と二の足を踏んだ。女性の母親が、小松市のお寺か占い師かにお伺いしたところ、「それは止めとけ」「この子は北の方へ縁があると、非常に幸せ」と言われた。

 その直後に、その女性に、友次氏の長男の嫁にどうかという話があり、しかも、友次氏のところは、その女性のところからみて北だったため、乗り気になり、縁談がまとまった。405