芥川賞作家の庄野潤三(1921- 2009)に『紺野機業場』(1969)という作品がある。石川県安宅町(小松市安宅町)で織物工場を経営する紺野友次氏のお宅に1965(昭和40)年から4度にわたって訪問し、その一族の話を聞き取ったもの。名前は仮名で、ナラティブなファミリー・ヒストリーであるが、その三男によると話はすべて事実だという。近現代の人々の生活のなかでも信仰についてのエピソードを紹介したい。 

 まずは、美保ヶ関にある海上安全の神様「関の明神」つまり島根県の美保神社のご利益について。帆船の寄港地として栄えた石川県安宅町の船乗りがみな信仰している「関の明神」を、紺野氏も信仰していた。ここで授与される波剪御幣は年間の授与数に制限があるため、毎月1日のみくじによって希望者のなかから授与者が決まる。

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1)友次氏の同級生の父親に船頭がいた。時化に逢い、関の明神に「助かったら、お礼に二円上げます」と祈った。無事に助かったが、値切って一円を送った。すると、関神宮の宮司から「約束が違うから、これを返す」と一円が返ってきた。そこで、安宅の氏神に祈願して謝ってもらい、あらためて二円送った。すると関の明神様から手紙が来て、安宅住吉神社のとりなしにより許す。金は受け取っておくとあった。

 >その話を聞いて感心した友次氏の父親が、友次氏が徴兵から帰ってきて神経衰弱にかかったとき、神様にお願いした。治ったときには、夫婦でお礼参りに行った。

 

2)そのころ波切り御幣も信仰していた。船が難破しかけたとき、この波切り御幣の封を切って、おはらいをして帆柱に立てると、助かるという。そこで、その御幣をいただいて家に置いてあった。友次氏の育ての母親が腸チフスにかかった時、医師にもう駄目だと言われて子供たちを呼んだが、最後に波切り御幣の封を切ってお祓いをしたら、薄紙を剥ぐように快方に向かった。

 御幣の封を一度切ると、関の明神に送って御祈祷をしてもらってまた封をし直して送り返してもらう必要がある。だが、お礼参りもせずに二十年経ったころ、四男が原因不明の大病をした。そこで四男の入院先の病院で、お礼参りをしなかったお詫びをして拝んだところ、三日目に原因がわかり、手術して治った。四男の退院後、友次氏と四男とで関の明神にお参りに行った。

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