今日は稼働を全休にして、ゆっくりと
時間を過ごした。

というワケで、今回のブログは
またしても過去編になる。
長い上にわかりづらい内容だが
犬に咬まれたと思い、諦めて欲しいw




今から29年前になるだろうか。
自分は大阪は堺筋本町にある、小さな
デザイン会社に勤務していた。

20歳の自分は今からすると、かなり
内向的かつ世間知らずであり、
それが原因で、職場内の人間関係が
なかなか複雑な事になっていた。

これは、また別の機会に書くが、
自分がパチンコを打つきっかけとなる
ある出来事が、前年のクリスマスにあり

そこでビギナーズラックから勝利して
パチンコ雑誌を読むようになって
知識を得てからは、まとまった勝ちを
納められるように成長していた。

そんな、初夏の頃合いだったと記憶する。



大阪に、上本町という街がある。
天神橋筋六丁目駅からやや歩くと、
上本町ハイハイタウンという建物にと
辿り着く。

当時、パチンコ必勝ガイドの熱狂的な
読者だった俺は、爆裂機があると聞けば、
名古屋にまで打ちに行ったりした。
現在のようなインターネットがまだ
生まれていない時代。
雑誌情報と、足を使った情報収集だけが
頼りだった、そんな時代である。

最新号に載っていたのは、京楽の新台
「グランプリ2号」の記事。

京楽は当時まだヒット作に乏しく、
数多ある中小メーカーの一つだったが、
唯一、全国区で売れたのが、
「ダービー」という競馬モチーフの台。
その後継機の「グランプリ2号」が
大阪に先行導入されたとあれば、
見に行かない手はない。


まあ、そんな意気込みで、
上本町まで来たのだった。

店名は忘れてしまったが、
パチンコのみの結構広い店内に、
件の新台は一列鎮座していた。

いざ、打つべし。



2時間経過。

結果的には連チャン性のない
大人しい機械だとわかり、
肩透かしを喰らう恰好に。

まあ、これも何かの縁と、
他店も偵察しましょうかと
周辺店舗へと足を運んだ。


何件か廻り、ある一件の2階で
目に止まる台があった。


パチスロ「バニーガール」(オリンピア)

それまでパチンコばかりで、パチスロは
客層もコワモテな面子が多く、
敬遠してきたのだが、何故かその時
気になり吸い寄せられるように着席。

コインは今のように台間サンドはなく、
カウンターで店員に千円渡すと、
紙で棒状に巻かれた50枚のコインを
差し出される方式。

パチスロの知識は雑誌を見て
なんとなくは知っていたので
コインを手に取り、恐る恐る
打って行く。

千円のコインがなくなるか、な時に
隣のニイサンが自分に対して
「入っとるで」
と一言。

今のAタイプみたいにランプやなんかで
告知する機能がなく、主にリーチ目で
ボーナスを察知する時代だった。

リールは全く見えなかったが
何回転も見続けたら、なんとなく
赤い色だけはわかった。

思い切ってストップボタンを停めると、
777がリール上で揃っていた。




鳴り始める、草競馬のファンファーレ。

ビッグの消化の仕方から、終了後に
店員を呼んでリセットしてもらうのまで
隣のニイサンが面倒見てくれた。



その日は負けたが、パチスロの
自力で揃えられるゲーム性には
惹かれるものがあった。



後日、俺は本格的にパチスロを打つ
きっかけとなる機種と出逢う事になる。

ユニバーサルのリバティベルⅢ。

それは後にパチスロの歴史に名を刻む
ゲーム性との邂逅だった・・・






今回はここまで。

タイトル「ユニバーサルバニーガール」は、
劇場版マクロスフロンティアの名曲
「ユニバーサルバニー」から拝借。

さすがにもじりタイトルも
厳しくなってきたけど
なんとか筋を通すつもりw


明日はおそらく、今住んでいる街の
最後の実戦になるかもしれないので
いい結果を出したい。


オマケ





↑暑いので地域猫らも
ぐでぐでになってます。





新しく始めたアプリ。

URの上にGODがあるのが今のアプリの
デフォなんですかねw
ガチャ大盤振る舞い杉な件w

つうか、ミリオンゴッドで
こんだけGOD引けたらにゃー。



とりとめなく、終わります。

また、逢いましょう。