みなさん~こんにちは^^

今日は、エディプスコンプレックスと原罪への気付きです^^

最近、旦那さんが菜園を始めて植物の生体が面白くて一緒に勉強しています

色々な植物があり驚くような習性があります

例えば・・寄生植物

他の植物に寄生し、生育に必要な水分や養分などを奪って生長する植物。

自分では全くエネルギーを作り出せない全寄生植物と、自らも光合成能力を有する半寄生植物がある。

繁殖力の強い寄生植物には、宿主(ホスト)を枯らせてしまうものもある。

まるでウィルスのよう、この時に私は、怖いと思いました

みなさんは、いかがですが?

この時の私の感情は、植物の自然な知性が知恵に見えたからです

そして、私が私を疑い罪悪感を持っているという事だと思いました

この罪悪感は、何度も何度もチャレンジしてる自分の中で認識しているものです

この根本は、どこなんだろうと何度も何度も投げ掛けていました

この植物のように自然なことを自分の中で不自然としてるもの

それを追求していました

エディプス・コンプレックス

ここに辿り着きました

小さな子供は、自分と反対の性の親に恋をする

フロイトは、これを人間としてごく自然なことだと言っています

殆どの人が、これを通過すると言われています

この通過の経過が、後の人生のセクシャリティーや人間関係や様々なことと関係して行く

思い当ったので、この視点から見て行くことをしました

尊敬していて、大好きな父、なのにいつも距離を置きたがる

でも、心はいつもそばにいる

複雑な家庭の関係で父の為にとっていると思った距離は、自分への罰だと気付きました

そして、いつもそばにいる心は、母を伴侶だと認めていない事だと気付きました

3人の苦しみが形は違えど同じだったとも気付きました

この視点で自分を見る事は、死んだ時に見せられると言われている自分のしたことを、他者の観点から見さされるというものに似ているんじゃないかと思いました

この自分が罪としてしまった罪が深さを増して

手に入れても自分から壊してしまう人生を選んでいたことが納得出来ました

奪ったものが奪われるのではないか

手に入れたもので幸せになる資格はない

私には、2人の母がおり、産みの親でエディプス・コンプレックスの勝者を育ての母で敗者を経験しました

勝者での罪悪感と敗者での無価値感
 
敗者が勝者になろうとする葛藤
 
私の体験した人生において私が一度たりとも、その創造に参加していなかったと云うことはなかったと腑におちました

親に恋心を抱くことは自然なこと

ユングがこの言葉を残してくれなかったら、私は、このことに蓋をしたまま、向き合えず苦しんでいたでしょう

ユングとフロイトこのことにチャレンジしてきた私に感謝します
 
そして産まれて来て関わって来た方々とエディプス・コンプレックスについての書籍、情報に感謝します
 

原罪は、アダムとイブにあるとされていますが

私には、その先のアダムとイブに罰を与えた神が原罪に見えてきました

食べてはいけないものを食べた

ままならぬ気持ち

これをフロイトは、コンプレックと呼びます

抑制されると出て来る自然なものです

アダムとイブに罪はなかった

すべて自然なことだったと

神の肋骨から出来たイブは、元の神に戻って神と一体になりたかった

土から産まれたアダムは、大地なる母と一体になりたかった

エディプス・コンプレックスは、ここから産まれているように思います

この気持ちを自然なこととし、他者を受け入れ他者の関係性を受け入れていく

罪から産まれたアダムとイブの理性を持ってこのままならぬ気持ちに方向性を与える

そして罪と認識したのは神なのだからそれは、神の罪であると思うのです

神が罪を感じていた

私が神の一部であるなら、自然なことだったと神を許します

具現化への神の恋心は、健全な自然の働きだった

隠したから下心になっただけで具現化は神の愛だった

創造に罪はなかった

産まれ出てこの観点からあなたが見えたことを感謝します

産まれたことを喜び、これからも気づきの中で生きて行きます

ごめんなさい
ゆるしてください
ありがとう
愛しています

私のエディプス・コンプレックスについては、私1人で生きてると思えないので詳しくはここで開示することができません

勉強会を開いて、分かち合いながらまた、色んなタイプがあるのでみなさんとこれを深めて行きたいと思っています

聞いてみたいと思われる方は、お問い合わせください